
1948年の真善美社版と、1965年に同作者によって推敲された冬樹社版の二種類がある。

冬樹社版では「亡き友金山時夫に」が「亡き友に」になっている。


それとも固有名詞を出すのに何らかの差し障りが在ったのかも知れない。
冬樹社版では観念的な表現を平易な文章に改稿している。
安倍公房は中国の東北部「満州国」で生まれたという。

彼は、15年間殆どこの地で過ごす。いわば故郷である。





中学校の校庭の隅に、4、5人の男子が集まっていた。

Bは「大鵬」というあだ名で巨体だった。いつもニコニコしていた。
その間に背の低い僕と博士と言われる物知りの分厚い眼鏡のCがいた。
「へその下やと思うねん」
Cが言った。
「そこから生まれるんか」
AがCの顔を覗き込むようにして言った。
「へぇ」
と言って、Bはニヤニヤ笑った。
僕には、見当がつかなかった。
ただ、その時は、
父ちゃんの○○○が絡んでいるとは全員知らなかった。
こうした因果で僕らは生まれた。そして、孫まで生まれた。

考えれば考えるほど分からない。
