創作日記&作品集

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失われた言葉の断片 2

2016-10-21 08:24:51 | 創作日記
 連載小説 失われた言葉の断片 2

 お誘いがあった。Aの送別会。女の派遣社員だ。こいつとは二ヶ月程組んだけれど、迷惑だった。期限が迫っているのに、定時にさっさと帰ってしまう。突然休みを取る。送別会を何とか断る理由を考えたが、それも面倒になった。いつも断っていれば、はじき出される。
 送別会は最悪だった。まず会場にカラオケがあった。音痴の私には歌えない。昔、歌うと、般若心経かと言われた。それから絶対歌わない。歌うもんか。誰も聞きたくないと思うけど。みんな上手いよ本当に。紋切り型の部長の乾杯で始まり、宴会は盛り上がってきた。私は酎ハイを結構飲んだ。他にすることがない。酒に酔ったことがない。S主任がいつものように酔っていく。「座布団、座布団」の声が飛ぶ。目がすわるから、座布団。あっ、お局の胸をガバッとつかんだ。つまらない駄洒落を飛ばすI主任は完全にまわっている。多分このあたりの記憶はないだろう。その点若い子は適量を心得ているから上手に飲む。この職場はみんな仲がよい。あまり利害関係がないからだ。出世争いなんて、ほんとうに二、三の人のことだ。派遣なんて、ひっくり返っても出世なんて関係がない。
「村瀬さん1曲」
 きた。とんでもないというふうに手を振る。でもしつこい。だが、嵐はいつか過ぎる。お調子もんが歌い始める。一次会が終わりに近づくと、私は社員のUさんにそっと言う。「ごめん、今日は帰る」。彼は自分が選ばれたのが嬉しい。「そう、また」。分かった、分かったという顔をする。そっと、集団から離れる。「村瀬さん帰ったの」。質問に彼は答えてくれる。「用事があるんだって」
 私は美人だ。だが、好かれる美人ではない。とことん嫌われる美人だ。多分ブスでもこんな美人になりたくないだろう。
 帰り道にKさんが歌った「ルビーの指輪」を口ずさむ。Kさんは本当に上手い。顔を頭に浮かべない方がいい。目を閉じて聞いたけど。
 私もあんなに歌えたら、人生変わっていたかも知れない。今頃はAの舌足らずな挨拶が始まっているだろう。
「短い期間でしたけれど、みんなに迷惑ばかりで、ありがとうございました」
 多分そこで嘘泣きをする。そして、気のあったもの同士が二次会に流れていく。きっと、明日は二日酔いの顔が並ぶ。
 夏が去っていく。残暑は厳しいけれど、夜になると秋の風がまじる。思い切り背伸びをする。
 一人は寂しいけれど自由だよ。



 二〇〇六年十月一日(日)。私はこの日を多分一生忘れないだろう。

 ひと月に一回か、ふた月に一回ぐらいの割合で休日出勤がある。締め切りが迫った時だ。もちろんない時もある。水曜日に「ごめんやけど、土日どっちか出てくれへんか」と、S主任から言われた。組んでいる子は多分断ったのだろう。「いいですよ。日曜日に出ます」と言った。Kさんと打ち合わせをしている時だった。たくさん引き受けると、日曜日なのに暇なんだなあと思われる。

 守衛さんに「おはようございます」と挨拶をして、鍵をもらい、カードを通して、ビルに入る。人気のない廊下を歩く。足音が響く。静かだ。違う会社に入ったようだ。
 朝から雨が降って、やっと秋めいてきた。昨日までは暑かった。「暑いざんしょ」と、アホなI主任が言っていた。でも、この部屋には残暑はない。一年中が同じ季節だ。誰もいない仕事場は奇異な気がする。何かが抜け落ちているような感じだ。人の影だけが、行き交っている。明日になれば、実体が動き出す。一日一日が同じ日を刻む日めくりのように過ぎていく。

 お昼はコンビニで買ってきた缶コーヒーとパンを食べた。意識していないのにいつもの休み時間に合わせている。そんな自分が嫌だ。
 コン、コンと部屋をノックする音が聞こえた。とても控えめな音だ。私は慌てて、食事を済ませた。食べている姿を人に見られるのが嫌いだった。だから、いつも職員食堂では一人で食べている。また、コン、コンと部屋をノックする音が聞こえた。パンの袋と、空き缶をバックに入れて立ち上がった。
「Kです」
 私はドアを開けた。照れくさそうにKさんが立っていた。
「近くに来たもんやから」
「雨、止んでた」
「まだ降ってる」
 窓からは雨が見えない。時々下を通る人の傘が開いている。
「仕事進んだ?」
「うん、もうちょっとやね」
「じゃまかあ」
「ううん、全然。私も休んでたし」
 缶コーヒーをKさんは差し出した。二本も飲んだら、おしっこが近くなるなあ、と頭の隅で考えた。
 Kさんは私の前にちょこんと腰掛けた。この人に男だという怖さはない。突然狼になる危険性はゼロ。安心なのだ。
 二人だけで話をしたのは初めてだった。トリック・劇場版2が話題になった。仲間由紀恵と阿部寛のコンビ。貧乳と巨根。超常現象とトリック。テレビの深夜枠から始まり、人気になった。私はビデオで見た。面白い。常識の枠を上手く外している。無意味なものの面白さ。それが、段々つまらなくなり、トリック・劇場版2で息絶えた。でも、Kさんはそうではなかったらしい。ガッツ石松虫についてのうんちくを喋っていた。トリック・劇場版2で出ていたかしら。とにかく私は一人で映画館で見たのだ。面白かったと私もKさんに合わせた。本当は途中から眠ってしまった。こちらが決めセリフを言う番だ。「全部お見通しだ!」
 話が途絶えると、部屋の静けさが増した。
「九月に神宮球場にヤクルト・広島を見にいってん」
「どっちが勝ったん」
「ヤクルト、8対5」
 また、話が途切れた。そういえば一日有休を取っていた。連休の前だから、旅行にでも行くのかと思った。
 実家は広島らしいから、カープ・ファンかも知れない。パリーグもよく見に行くから、特定の球団が好きだというのではないのかも知れない。話の内容からも、そんな感じがする。野球のファンなんだ。
「中日で決まりやね」
 私が言った。
「そうや。今日は雨で中止。チケットもってんのに。もう終わりやなあ。払い戻して帰りますわ」
 大きく伸びをして、言った。白いカッターシャツにブレザー、ノーネクタイ、いつもの服装だった。
「まだ、プレーオフや日本シリーズがあるやん」
「プレーオフはええわ。仕事もようけあるし」
 Kさんはいつものようにニコニコして言った。
「これサーティワンで買(こ)うてきてん」
「おおきに」
 私は、Kさんが帰った後、アイスクリームを一人で食べた。Kさんと一緒に食べてもよかったのに。Kさんは自分の分を多分持って帰った。どこで食べたのだろう。無神経な自分が嫌になった。
 Kさんが置いていったスポーツ新聞を足を組んで読んだ。まるっきりおっさんだ。
 仕事は午後三時頃一段落した。雨の御堂筋を梅田まで歩いた。なぜかその日は沢山歩きたかった。Kさんに対する無神経な自分を忘れたかった。結局、Kさんの気持ちを遊んでいたのだ。
 阪急百貨店で少し贅沢な総菜を買った。休日は、繁華街も少しゆったりとしている。いつの間にか雨は止んでいた。
To be continued