創作日記&作品集

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連載小説「Q」21

2020-04-29 06:57:38 | 小説
連載小説「Q」21
――今日は大暑か。
田代順平は、ため息と一緒に独り言ちた。
正暦2019年。
令和元年。
いつのまのにか元号が代わっていた。
昭和、平成、令和。
今日で七十三歳になる。
長い年月を生きてきたもんだ。
それも今では一瞬のような気もする。
七十三年も過ぎ去ってみれば薄い本のようなものだ。
本の中には記憶という曖昧な文字で書かれた頁がひっそりと住んでいる。
しかし、何の記憶もない無数の頁は失われたままだ。
それが、順平の個人的な記憶だ。
孤独なもんだと思う。
誰もが一人である。
一億人いれば一億人の孤独がある。
七十三年……。
本当にそんなに長い時間生きてきたのだろうか?
年老いた自分がその証拠かもしれない。
妻は今年の六月に受けたT町の検診で乳がんが見つかった。
「女やったんやなあに」 
と、まず言ってしまって、妻の怒りは沸点を超えた。
鹿児島の指宿で陽子線治療を受けることになった。
治療自体は簡単で一日一回十五~三十分程度治療照射するだけだという。
「ゆっくり温泉に入って、おいしいもん食べて、五十年のあか落としますわ」
と、妻は遠足気分で出かけて行った。 
順平の二ヶ月間の一人暮らしが始まった。
順平は一日を生きるのがやっとである。
今日より明日、明日より明後日、段々命が短くなる。
妻は民間の介護サービスの手続きや夕食の宅配など後の始末をきっちりとしていった。
介護サービスは週二回、火曜日と金曜日にヘルパーさんが来てくれる。
和田さんは掃除と洗濯、山口さんは買い物である。
時間は一時間と決められている。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。