創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

イエスタデイ ー女のいない男たち2・村上春樹著<文藝春秋1月号>~「読者の余白」について~ 

2013-12-15 11:00:30 | 読書
「ドライブ・マイ・カー」・村上春樹著<文藝春秋12月号>に続いて「女のいない男たち」に連なる短編である。また、BookLive(電子書籍ストア)で買った。連続だから、まとまったら買おうかという気になっている。でも、新作は早く読みたい。今度は記事もゆっくり読もうと思ったが、心に残るものは何もなかった。むやみに成功者の同窓会の写真がいやーな感じで残っている。話を「イエスタデイ」に戻そう。凡百の記事よりはるかにこの方がいい。二つ気に入らないことがある。一つは前にも書いたが、「女のいない男たち」という副題である。「神の子供たちはみな踊る」なんかにくらべるとずいぶん不細工だ。もう一つは、「恋するザムザ」村上春樹著~村上春樹の変貌~にも書いたが、書きすぎである。「読者の余白」まで書いているように思う。「読者の余白」とは読者が、自由に考えたり、想像したりする余地である。すなわち、後半の「たぶん化粧室にアイメイクを直しにいったのだろう」以下である。


冬の京~智積院・長谷川等伯の障壁画

2013-12-08 14:18:23 | お出かけ
長谷川等伯の障壁画を観るためにまた京都を訪ねました。紅葉のシーズンも終わり、冬の京は静かです。目指すは智積院(ちしゃくいん)。智積院には長谷川等伯・久蔵の父子の障壁画が並んでいます。26才で没した久蔵は父以上と言われる才能をその遺作「桜図」に残しています。やがて長谷川派は跡絶え、狩野派が延々と続きます。久蔵の死後に描かれたと言われる等伯の「楓図」。父親の慟哭が聞こえてくるようです。ドーンと感動に震えました。庭園も見事です。帰りに三十三間堂と思っていましたがもうお腹が一杯です。



かぐや姫の物語・高畑勲監督作品

2013-12-03 16:13:05 | 映画・舞台
待望の映画を観てきました。観客は六名。平日で朝一(9時20分)なら仕方のないことです。いや、多いですよ。一人かなあと思っていました。素晴らしい作品でした。「竹取物語」に正面から取り組んだ作品でした。この映画は残ります。何もかもが素晴らしい。

「恋するザムザ」村上春樹著~村上春樹の変貌~

2013-12-01 17:03:01 | 読書
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み返している。とてつもなく面白い。この疾走感は尋常じゃない。三十年近く前の作品である。私は氏の長編小説(ノルウェイの森を除く)は全て読んでいる。ノルウェイの森は何度か挑戦したが何故か読み通せなかった。当然、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も読んでいる。今回、読みながら村上春樹の小説は変貌していると強く思った。
○始まり
それは、氏が「コミットメント」を言い始めた時と重なっているように思う。一人称が三人称になって鮮明になったようにも思う。
○何が
テーマや主張が前面に押し出され、物語の疾走感が損なわれた。
○何故
文化人と小説家の二面性を持つことを氏はよしとしなかったと思う。ノンフィクション作品は二作品(アンダーグランド他一篇)で終わった。小説で「コミットメント」を表現しょうとしている。それが小説の面白さを削ぐことになっても。
○「恋するザムザ」
「恋するザムザ」は翻訳小説のアンソロジー「恋しくて」の最後にある氏の短編である。この短編にも上記の特色は明らかである。ザムザが虫から人間に変身する。そこに、せむしの若い女性が鍵の修理にやって来る。ザムザはその女性に恋をする。緊張のプラハの街で。それだけで読者は十分小説の世界に引き込まれるだろう。氏は最後にいくつかのアフォリズムを書き込む。それによって、物語の疾走感が損なわれる。まるで流れに逆らう杭のように。
○作家は戻れない
以上述べたことは氏本人が百も承知のことだと思う。だが、「作家は戻れない」。宿命だと思う。これで、村上文学がつまらなくなったとは思わない。一番好きな作家で、これからも読み続けたい。物語の疾走感を味わいたければ戻れば良いのだから。「読者は戻れる」。