昨夜は、日付が変わる頃、ほぼ定刻通りにホーチミン空港を離陸した。
搭乗前には、旅のアンケートを書きながらも眠くてたまらなかったが、6時間の飛行時間の間中は眠ることが出来ず、本を読んだりしながら過ごした。カーディガンを羽織り、ブランケットにくるまっても、かなり寒い。赤ちゃんや小さいお子さん連れのお客さんが多かった。泣き疲れて寝てしまうのでは・・・という願いも空しく、一晩中泣き続けた赤ちゃんもいて殆ど完徹状態。
日本時間で6時前、窓の外は見事な朝焼け。ほどなく朝食がサービスされたが、ろくに顔も洗えず、歯も磨けず、加えて寝不足では、食欲は殆どない。フルーツとヨーグルトをつまんで、食後にフェアストンを飲んだ。
出かける時はロキソニンの手持ちが少なく、不安に始まった旅だったが、別の痛み止めを1度飲んだだけで、ロキソニンのお世話になることがなかった。毎朝食後にフェアストンを飲んだだけで、本当に不思議なくらい体調が良く、何とも有難かった。
頭を雲の上に出した富士山がくっきりと見え、ほぼ定刻通りに無事着陸。入国審査も全く並ぶことなく、ガラーンとした雰囲気で、ちょっと怖いくらい。さすがに朝早いので、到着便も少なくターンテーブルからスイスイとスーツケースが出てきた。車椅子でアテンドされた父と付き添いの母と合流し、お世話になった添乗員さんにご挨拶。
最寄り駅行きのリムジンバスを30分ほど待って帰路へ。別ルートに乗った両親とは5分違いのバスの発車となり、空港で別れた。空港での気温は28度弱。暑さを覚悟していたが、久しぶりのお湿りがあったそうで、楽だった。
この旅行中ずっと少人数のグループだったので、バスの中では1人で2席を使わせてもらっていた。そのため、隣に人がいるととても圧迫感を感じてしまう。発券する時に「中央道が渋滞のため20分ほど遅延」とは聞いていたが、新宿辺りから全く動かなかった。
結局、3時間以上かかって、到着はお昼を回ってしまった。軽く昼食をとり、最低限の買い物をしてようやく帰宅。殆ど同時に両親から到着の留守番電話が入っていた。あちらも3時間半以上かかったとのこと。とはいえ、大荷物を持って電車のホームを上り下りするよりもたとえ時間がかかってもバスの方が世話無しだろう。
1週間留守にした我が家の窓を開け放し、スーツケースから出てくる出てくる大量の洗濯物を片付けるため、洗濯機を回すこと4回。さすがに途中でクラクラしてきたが、とにかく何とか汚れ物が目の前から消えてくれてほっとした。
夕食はこの1週間の飽食からお腹を休ませるようにさっぱりと済ませた。そしてダイニングテーブルにはお風呂の故障のお詫びに、とホテルからプレゼントされたランタンにろうそくを灯して洒落てみた。
今しがた、撮ってきた写真千数百枚をスライドショーにして観終わったところだ。
高齢の両親は楽しめたのだろうか。朝はゆっくり目の出発時間で無理ない移動というツアーではあったが、それでもテンコ盛りの内容だったし、国内便にも2回乗り、足場の悪い遺跡や寺院等の観光地ではやはり厳しかっただろうと思う。頭では分かっていても、親の老いと我儘も突き付けられた感が強く、夫や息子の手前、ちょっと落ち込んでしまった私である。
この1週間、宿泊先のホテルでは殆どテレビを見る時間もなかったし、NHKの衛星放送も放映していなかった。日本の新聞が置いてあったのは最後に宿泊したホテルだけ。
そんなわけですっかり浦島太郎状態。機内でも新聞を取り損ね、情けないことにオリンピックの状況も全く分からない。帰宅後も新聞のまとめ読みが出来ていない。
気の毒なことに夫は明日、日曜出勤。そして息子は昼前から塾のテスト。
私は2週間ぶりの合唱練習の日。だが、月曜日からフルタイムで仕事だから疲れ具合と体調によっては家で疲労回復に努めた方がよいかも・・・と思っている。
搭乗前には、旅のアンケートを書きながらも眠くてたまらなかったが、6時間の飛行時間の間中は眠ることが出来ず、本を読んだりしながら過ごした。カーディガンを羽織り、ブランケットにくるまっても、かなり寒い。赤ちゃんや小さいお子さん連れのお客さんが多かった。泣き疲れて寝てしまうのでは・・・という願いも空しく、一晩中泣き続けた赤ちゃんもいて殆ど完徹状態。
日本時間で6時前、窓の外は見事な朝焼け。ほどなく朝食がサービスされたが、ろくに顔も洗えず、歯も磨けず、加えて寝不足では、食欲は殆どない。フルーツとヨーグルトをつまんで、食後にフェアストンを飲んだ。
出かける時はロキソニンの手持ちが少なく、不安に始まった旅だったが、別の痛み止めを1度飲んだだけで、ロキソニンのお世話になることがなかった。毎朝食後にフェアストンを飲んだだけで、本当に不思議なくらい体調が良く、何とも有難かった。
頭を雲の上に出した富士山がくっきりと見え、ほぼ定刻通りに無事着陸。入国審査も全く並ぶことなく、ガラーンとした雰囲気で、ちょっと怖いくらい。さすがに朝早いので、到着便も少なくターンテーブルからスイスイとスーツケースが出てきた。車椅子でアテンドされた父と付き添いの母と合流し、お世話になった添乗員さんにご挨拶。
最寄り駅行きのリムジンバスを30分ほど待って帰路へ。別ルートに乗った両親とは5分違いのバスの発車となり、空港で別れた。空港での気温は28度弱。暑さを覚悟していたが、久しぶりのお湿りがあったそうで、楽だった。
この旅行中ずっと少人数のグループだったので、バスの中では1人で2席を使わせてもらっていた。そのため、隣に人がいるととても圧迫感を感じてしまう。発券する時に「中央道が渋滞のため20分ほど遅延」とは聞いていたが、新宿辺りから全く動かなかった。
結局、3時間以上かかって、到着はお昼を回ってしまった。軽く昼食をとり、最低限の買い物をしてようやく帰宅。殆ど同時に両親から到着の留守番電話が入っていた。あちらも3時間半以上かかったとのこと。とはいえ、大荷物を持って電車のホームを上り下りするよりもたとえ時間がかかってもバスの方が世話無しだろう。
1週間留守にした我が家の窓を開け放し、スーツケースから出てくる出てくる大量の洗濯物を片付けるため、洗濯機を回すこと4回。さすがに途中でクラクラしてきたが、とにかく何とか汚れ物が目の前から消えてくれてほっとした。
夕食はこの1週間の飽食からお腹を休ませるようにさっぱりと済ませた。そしてダイニングテーブルにはお風呂の故障のお詫びに、とホテルからプレゼントされたランタンにろうそくを灯して洒落てみた。
今しがた、撮ってきた写真千数百枚をスライドショーにして観終わったところだ。
高齢の両親は楽しめたのだろうか。朝はゆっくり目の出発時間で無理ない移動というツアーではあったが、それでもテンコ盛りの内容だったし、国内便にも2回乗り、足場の悪い遺跡や寺院等の観光地ではやはり厳しかっただろうと思う。頭では分かっていても、親の老いと我儘も突き付けられた感が強く、夫や息子の手前、ちょっと落ち込んでしまった私である。
この1週間、宿泊先のホテルでは殆どテレビを見る時間もなかったし、NHKの衛星放送も放映していなかった。日本の新聞が置いてあったのは最後に宿泊したホテルだけ。
そんなわけですっかり浦島太郎状態。機内でも新聞を取り損ね、情けないことにオリンピックの状況も全く分からない。帰宅後も新聞のまとめ読みが出来ていない。
気の毒なことに夫は明日、日曜出勤。そして息子は昼前から塾のテスト。
私は2週間ぶりの合唱練習の日。だが、月曜日からフルタイムで仕事だから疲れ具合と体調によっては家で疲労回復に努めた方がよいかも・・・と思っている。