相変わらず朝から良いお天気で、暑い。
昨日は夫が代休、息子は夏休み最終日。朝からまったりする2人を横目に私だけ通常通り出勤した。終日胸の鈍痛と圧痛が鬱陶しかったが、帰宅すると宿題も無事終わって、懸案事項の部活の乗車記も完成していた。お昼は夫の指導のもと、息子は調理実習もどきをしたようだ。有難いことだ。
そして、今朝。40数日ぶりにようやく通常の朝のひと時が戻ってきた。
お弁当の作り方を忘れた感じで、支度にもたついてしまったが、とにかくなんとか2人を送り出してから一人の時間が小一時間。何にも替え難い貴重な時間である。
さて、これまでも何度かご紹介したことのある朝日新聞アピタルから、日野原先生の連載記事で気になるものがあったので、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※ (転載開始)
「緩和」「末期」 暗い響きを見直す 日野原重明 100歳・私の証 あるがまゝ行く(2012年8月27日)
がんの患者さんで、がんが進行し、心身ともに痛みを感じている人たちが入院する「緩和ケア施設(PCU)」(英語でpalliative care unit)がいま、日本には244施設(4836床)あると言われます。PCUのある病院に入院すれば、身体的な痛みやその他の症状はモルヒネで取り去ることができ、精神面では、不安を軽減する薬を処方したり、音楽療法などで心を静めたり、といった対策が取られます。
とはいえ、このような「緩和ケア」を受けている患者さんで、たとえ痛みが和らいだとしても、やはり死が近づく足音を心に感じて、思い悩みながら生活しているケースがあります。「自分は『緩和ケア』を受けている」ということが常に気になり、「死が近いのではないか」と心の中でおびえる患者さんが、決して少なくないのです。
そんな問題がある中、2007年に米国テキサス州ヒューストンにある、がん専門病院「MDアンダーソンがんセンター」が、「これまでの『緩和ケア』という言葉は、がん患者に何となく暗い感じを与える」として、新たなシステムと名称を考案しました。がんに関する外来、入院、コンサルテーションを統合して、これを「サポーティブケア」と呼ぶことにし、PCUについても、「サポーティブケアセンター(SCC)」という名称に変えた、というのです。
私は1993年、日本における独立型ホスピス「ピースハウス病院」を財団法人ライフ・プランニング・センターの一施設として、神奈川県中井町に開設しました。この財団法人で今年7月半ば、国際フォーラムを開き、その講師に、前述のMDアンダーソンがんセンターのサポーティブケアセンターから、スリラム・イェニウー博士を招いて、導入の経緯や成果についてお話しして頂きました。そして、日本各地から集まったフォーラム参加者の間でも、「末期ケア」「緩和ケア」といった呼び名は改め、「サポーティブケア」か、それにふさわしい日本語を考えてはどうか、という意見でまとまりました。
(以下略)(転載終了)※ ※ ※
かつて、緩和ケアはターミナル(終末期)ケアとして主に末期がん患者等に対して行われ、治癒や延命ではなく、痛み等の身体的、精神的な苦痛の除去を目的とした医療を意味する場合が多かった。が、近年では、がん診断初期から積極的治療として並行して行うべきであるとされ、さらにはがん以外の疾患への拡大が行われるようになっているという。つまり診断の時に始まり、根治治療、保存的治療、症状緩和治療へと治療目的が推移するごとに、段階を経ながら緩和ケアの役割を大きくしていくことが推奨されている。
このブログでも何度も書いているが、痛みがあるとどうしても前向きになれない。だから闘病を続けていく上で、取り除ける痛みは取り除くのが一番だ。末期に限らず、痛みをコントロールしながら治療を続けることは、私たち患者にとってとても大切なことだと思う。私自身は「緩和」を「痛みを取り除く」という意味で捉えているので、その言葉自体にはそれほど違和感はない。
けれど、「末期」という言葉はいかにも暗くて、救いがない。確かに多臓器に遠隔転移があるわけだから、いわゆるがんの病期としては最終ステージのⅣ期であるには違いない。そして、完治は非常に難しい進行がんであることも事実で、そのことは自分でも受け容れている。けれど、決して強がりではなく、自分が末期がん患者であるとは思っていない。
「末期」という定義は難しい。一般的には他臓器転移があり(Ⅳ期)、治らないから即「末期」ではなく、積極的な治療が出来なくなり、予後が2-3カ月とされた時に「末期」というようだ。けれど、余命1カ月と言われつつ何年も治療に頑張っていらっしゃる方は沢山いる。余命なんぞ誰にも決められないし、結局のところ誰にもわからない。
言葉だけ明るくして何の意味があるのか、とおっしゃる向きもあるかもしれないけれど、言葉の力は決して侮れない。自ら「末期」などと言ったら、免疫力もドーンと落ちそうである。それが「サポーティブケア」と言われれば、症状の有無にかかわらず一人じゃない、支援してもらえるのだ、と再び前を向いていけるのではないか。
使っていない治療薬は残っているし、仮に薬の選択肢が底をつく日が来ても、何とか粘って凌いでいれば、新しい薬の恩恵を被ることだって夢ではないと思う。だから決して自分から「末期」と名乗りたくはない。
しつこい保険の勧誘電話があると、これまでは「末期がんの治療中なのですが、それでも加入出来ますか?」と言っていたのだが(これで必ず相手は息を呑んで電話を切ってくれる。確実な撃退法だ。我ながら嫌な奴ですが・・・。)、最近は「進行がんで治療中なのですが・・・、」と言うようにしている(ちなみに病院での点滴等指示書や処方箋には“再発・進行乳がん”と記されている。)。
聞く方にとっては、こちらがこだわるほど大きな意味をもたないかもしれないけれど。
昨日は夫が代休、息子は夏休み最終日。朝からまったりする2人を横目に私だけ通常通り出勤した。終日胸の鈍痛と圧痛が鬱陶しかったが、帰宅すると宿題も無事終わって、懸案事項の部活の乗車記も完成していた。お昼は夫の指導のもと、息子は調理実習もどきをしたようだ。有難いことだ。
そして、今朝。40数日ぶりにようやく通常の朝のひと時が戻ってきた。
お弁当の作り方を忘れた感じで、支度にもたついてしまったが、とにかくなんとか2人を送り出してから一人の時間が小一時間。何にも替え難い貴重な時間である。
さて、これまでも何度かご紹介したことのある朝日新聞アピタルから、日野原先生の連載記事で気になるものがあったので、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※ (転載開始)
「緩和」「末期」 暗い響きを見直す 日野原重明 100歳・私の証 あるがまゝ行く(2012年8月27日)
がんの患者さんで、がんが進行し、心身ともに痛みを感じている人たちが入院する「緩和ケア施設(PCU)」(英語でpalliative care unit)がいま、日本には244施設(4836床)あると言われます。PCUのある病院に入院すれば、身体的な痛みやその他の症状はモルヒネで取り去ることができ、精神面では、不安を軽減する薬を処方したり、音楽療法などで心を静めたり、といった対策が取られます。
とはいえ、このような「緩和ケア」を受けている患者さんで、たとえ痛みが和らいだとしても、やはり死が近づく足音を心に感じて、思い悩みながら生活しているケースがあります。「自分は『緩和ケア』を受けている」ということが常に気になり、「死が近いのではないか」と心の中でおびえる患者さんが、決して少なくないのです。
そんな問題がある中、2007年に米国テキサス州ヒューストンにある、がん専門病院「MDアンダーソンがんセンター」が、「これまでの『緩和ケア』という言葉は、がん患者に何となく暗い感じを与える」として、新たなシステムと名称を考案しました。がんに関する外来、入院、コンサルテーションを統合して、これを「サポーティブケア」と呼ぶことにし、PCUについても、「サポーティブケアセンター(SCC)」という名称に変えた、というのです。
私は1993年、日本における独立型ホスピス「ピースハウス病院」を財団法人ライフ・プランニング・センターの一施設として、神奈川県中井町に開設しました。この財団法人で今年7月半ば、国際フォーラムを開き、その講師に、前述のMDアンダーソンがんセンターのサポーティブケアセンターから、スリラム・イェニウー博士を招いて、導入の経緯や成果についてお話しして頂きました。そして、日本各地から集まったフォーラム参加者の間でも、「末期ケア」「緩和ケア」といった呼び名は改め、「サポーティブケア」か、それにふさわしい日本語を考えてはどうか、という意見でまとまりました。
(以下略)(転載終了)※ ※ ※
かつて、緩和ケアはターミナル(終末期)ケアとして主に末期がん患者等に対して行われ、治癒や延命ではなく、痛み等の身体的、精神的な苦痛の除去を目的とした医療を意味する場合が多かった。が、近年では、がん診断初期から積極的治療として並行して行うべきであるとされ、さらにはがん以外の疾患への拡大が行われるようになっているという。つまり診断の時に始まり、根治治療、保存的治療、症状緩和治療へと治療目的が推移するごとに、段階を経ながら緩和ケアの役割を大きくしていくことが推奨されている。
このブログでも何度も書いているが、痛みがあるとどうしても前向きになれない。だから闘病を続けていく上で、取り除ける痛みは取り除くのが一番だ。末期に限らず、痛みをコントロールしながら治療を続けることは、私たち患者にとってとても大切なことだと思う。私自身は「緩和」を「痛みを取り除く」という意味で捉えているので、その言葉自体にはそれほど違和感はない。
けれど、「末期」という言葉はいかにも暗くて、救いがない。確かに多臓器に遠隔転移があるわけだから、いわゆるがんの病期としては最終ステージのⅣ期であるには違いない。そして、完治は非常に難しい進行がんであることも事実で、そのことは自分でも受け容れている。けれど、決して強がりではなく、自分が末期がん患者であるとは思っていない。
「末期」という定義は難しい。一般的には他臓器転移があり(Ⅳ期)、治らないから即「末期」ではなく、積極的な治療が出来なくなり、予後が2-3カ月とされた時に「末期」というようだ。けれど、余命1カ月と言われつつ何年も治療に頑張っていらっしゃる方は沢山いる。余命なんぞ誰にも決められないし、結局のところ誰にもわからない。
言葉だけ明るくして何の意味があるのか、とおっしゃる向きもあるかもしれないけれど、言葉の力は決して侮れない。自ら「末期」などと言ったら、免疫力もドーンと落ちそうである。それが「サポーティブケア」と言われれば、症状の有無にかかわらず一人じゃない、支援してもらえるのだ、と再び前を向いていけるのではないか。
使っていない治療薬は残っているし、仮に薬の選択肢が底をつく日が来ても、何とか粘って凌いでいれば、新しい薬の恩恵を被ることだって夢ではないと思う。だから決して自分から「末期」と名乗りたくはない。
しつこい保険の勧誘電話があると、これまでは「末期がんの治療中なのですが、それでも加入出来ますか?」と言っていたのだが(これで必ず相手は息を呑んで電話を切ってくれる。確実な撃退法だ。我ながら嫌な奴ですが・・・。)、最近は「進行がんで治療中なのですが・・・、」と言うようにしている(ちなみに病院での点滴等指示書や処方箋には“再発・進行乳がん”と記されている。)。
聞く方にとっては、こちらがこだわるほど大きな意味をもたないかもしれないけれど。