以前、新しい薬を始める前にやっておきたいこととして「自毛で遺影を撮ること」と書いたことがある。
現段階では薬のチェンジが本決まりになったわけではないが、決まってから慌てて手配をしてドタバタするのも・・・と、思い切って撮影してきた。ちゃんと直前に美容院に行って、私なりに綺麗にしてもらってから。
これは決して後ろ向きな行動ではなく、お墓を建てた時にも考えたことで、ゲン担ぎでもある。その心は「(お墓は)建てれば当分使わない。(遺影は)撮れば当分使わない。」ということだ。実際に完成したお墓を目の当たりにした時、まだここには入りたくない!と強く思った。
今回も同じだ。まだ写真として飾られるだけの存在になりたくないと思う。そして、実際に要り用になった時には「こんなに若い写真じゃ、さすがに使えないでしょう。」と一笑に付してもらうように、細く長くしぶとく生き延びたいと思ってのことだ。
毎年、息子の誕生日に合わせて家族写真を撮影してもらっている写真館とは、息子の年と同じ年月のお付き合いになる。いつも撮る季節は1月末。正真正銘の真冬だ。
振り返れば、これまで誕生日以外に入学、七五三で別途撮りに出向いたが、真夏に撮ったのは後にも先にもこの1回だけ。この時は、その年の3月までタキソテールの治療中で、息子の誕生日には体調も容姿も家族写真を撮りに行こうと思えるような状態ではなかった。5月に職場復帰して3カ月ほど経ち、ようやく精神的にも肉体的にも元気が戻ってきた頃に家族写真を撮ったのだった。当然、当時は自毛ではなく、かつらであった。その半年後に撮った次の年の誕生日の写真も、これまたかつらを被っている。
要は治療で一旦脱毛してしまえば、自毛で写真を撮れるほどになるには治療を止めてから2年以上かかる、ということなのだ。治療を止めればいずれ髪の毛は生えてはきても、ただでさえすっかり薄くなっている眉毛もまつ毛も再びなくなるだろうから、素顔はいわゆる爬虫類・・・になってしまう。
だからこそ、今回はここ数年来で一番元気である今夏、脱毛する前に自分の髪の毛で写しておきたいと思った。
そうはいうものの、予約の電話を入れる時には、緊張した。「お母様お一人で?どんな感じがお好みですか?」と訊かれ、口ごもって「上半身だけで・・・」と言ったものの、「それではまず全身を撮って、それから・・・」と続く。「いえ…遺影なんです。」と応えると、電話の向こうで一瞬息を呑むのが感じられた。
そして撮影日。受付で「変更等はありますか?」と確認があり、それ以上突っ込んだことは聞かれなかったが、スタジオの中、正装した一家が楽しそうに撮影している中、本を読みながら(実際には全く頭に入ってこなかったが)一人で待つ。
いつもは夫と息子と一緒だから、子どもの笑い声が賑やかで、華やかな衣装が数多く飾られた写真館の待合に、一人でほぼ普段着で座っているというのは、いかにも居心地が悪い。証明写真を撮るわけでもなく、何とも場違いでやけに口が渇く。
撮ってくれたのは、ずっとお世話になっている店長さんではなく(さすがに16年も通っていると代替わりもするわけだ。)、ここ数年助手を勤めていた若手の男性だった。私の撮影は、前の七五三の家族写真と後の成人式に挟まれた形だった。
「顔の向きなどのご希望はありますか。」と問われ、「お任せで」と応えた。おりしも夏のキャンペーン中の撮影ということで、向日葵やらハイビスカスやらの造花を「持ってみてください。」と言われ、何とも落ち着かない中、そんなポーズも入れて撮ってきた。
結局、何のことはない普通に立って写した上半身の写真が一番自然で、自分でもこんなものかなと納得して帰宅した。
さすがにそうそうリラックスすることも出来ず、うんと笑うことも出来ず、現世に後ろ髪を引かれている、という表情に見えた。
果たして来月出来上がってきた時、夫や息子はどういう顔をするだろう。時間にして僅か30分弱の撮影だったが、何やらどっと疲れてしまった。いずれにせよ、とりあえず懸案事項が一つこなせて、ちょっぴり気が済んだ私である。
相変わらず今日も暑い。蝉の声も賑やかだ。
息子は今週、部活で出ずっぱりである。家にいて起こしたかと思えばすぐにゴロゴロされているよりは良いけれど、土日は塾の試験で、来週明けには学校が始まる。9月の声を聞くとともに前期期末試験。大丈夫なのかと心配したところで、何でちゃんとやらないのとイライラしたところで、事態は如何ともし難いのは判っているのだが・・・。
現段階では薬のチェンジが本決まりになったわけではないが、決まってから慌てて手配をしてドタバタするのも・・・と、思い切って撮影してきた。ちゃんと直前に美容院に行って、私なりに綺麗にしてもらってから。
これは決して後ろ向きな行動ではなく、お墓を建てた時にも考えたことで、ゲン担ぎでもある。その心は「(お墓は)建てれば当分使わない。(遺影は)撮れば当分使わない。」ということだ。実際に完成したお墓を目の当たりにした時、まだここには入りたくない!と強く思った。
今回も同じだ。まだ写真として飾られるだけの存在になりたくないと思う。そして、実際に要り用になった時には「こんなに若い写真じゃ、さすがに使えないでしょう。」と一笑に付してもらうように、細く長くしぶとく生き延びたいと思ってのことだ。
毎年、息子の誕生日に合わせて家族写真を撮影してもらっている写真館とは、息子の年と同じ年月のお付き合いになる。いつも撮る季節は1月末。正真正銘の真冬だ。
振り返れば、これまで誕生日以外に入学、七五三で別途撮りに出向いたが、真夏に撮ったのは後にも先にもこの1回だけ。この時は、その年の3月までタキソテールの治療中で、息子の誕生日には体調も容姿も家族写真を撮りに行こうと思えるような状態ではなかった。5月に職場復帰して3カ月ほど経ち、ようやく精神的にも肉体的にも元気が戻ってきた頃に家族写真を撮ったのだった。当然、当時は自毛ではなく、かつらであった。その半年後に撮った次の年の誕生日の写真も、これまたかつらを被っている。
要は治療で一旦脱毛してしまえば、自毛で写真を撮れるほどになるには治療を止めてから2年以上かかる、ということなのだ。治療を止めればいずれ髪の毛は生えてはきても、ただでさえすっかり薄くなっている眉毛もまつ毛も再びなくなるだろうから、素顔はいわゆる爬虫類・・・になってしまう。
だからこそ、今回はここ数年来で一番元気である今夏、脱毛する前に自分の髪の毛で写しておきたいと思った。
そうはいうものの、予約の電話を入れる時には、緊張した。「お母様お一人で?どんな感じがお好みですか?」と訊かれ、口ごもって「上半身だけで・・・」と言ったものの、「それではまず全身を撮って、それから・・・」と続く。「いえ…遺影なんです。」と応えると、電話の向こうで一瞬息を呑むのが感じられた。
そして撮影日。受付で「変更等はありますか?」と確認があり、それ以上突っ込んだことは聞かれなかったが、スタジオの中、正装した一家が楽しそうに撮影している中、本を読みながら(実際には全く頭に入ってこなかったが)一人で待つ。
いつもは夫と息子と一緒だから、子どもの笑い声が賑やかで、華やかな衣装が数多く飾られた写真館の待合に、一人でほぼ普段着で座っているというのは、いかにも居心地が悪い。証明写真を撮るわけでもなく、何とも場違いでやけに口が渇く。
撮ってくれたのは、ずっとお世話になっている店長さんではなく(さすがに16年も通っていると代替わりもするわけだ。)、ここ数年助手を勤めていた若手の男性だった。私の撮影は、前の七五三の家族写真と後の成人式に挟まれた形だった。
「顔の向きなどのご希望はありますか。」と問われ、「お任せで」と応えた。おりしも夏のキャンペーン中の撮影ということで、向日葵やらハイビスカスやらの造花を「持ってみてください。」と言われ、何とも落ち着かない中、そんなポーズも入れて撮ってきた。
結局、何のことはない普通に立って写した上半身の写真が一番自然で、自分でもこんなものかなと納得して帰宅した。
さすがにそうそうリラックスすることも出来ず、うんと笑うことも出来ず、現世に後ろ髪を引かれている、という表情に見えた。
果たして来月出来上がってきた時、夫や息子はどういう顔をするだろう。時間にして僅か30分弱の撮影だったが、何やらどっと疲れてしまった。いずれにせよ、とりあえず懸案事項が一つこなせて、ちょっぴり気が済んだ私である。
相変わらず今日も暑い。蝉の声も賑やかだ。
息子は今週、部活で出ずっぱりである。家にいて起こしたかと思えばすぐにゴロゴロされているよりは良いけれど、土日は塾の試験で、来週明けには学校が始まる。9月の声を聞くとともに前期期末試験。大丈夫なのかと心配したところで、何でちゃんとやらないのとイライラしたところで、事態は如何ともし難いのは判っているのだが・・・。