先週の通院日には、3冊読んだ。
1冊目は湊かなえさんの「往復書簡」(幻冬舎文庫)。
帯には「手紙だからできる、告白―驚きと感動に満ちた書簡形式のミステリ」とある。
彼女の作品は面白い。単刀直入に“面白い”としか書けない語彙の貧困さが情けないのだけれど。これまで「告白」、「少女」、「贖罪」と読み進めてきたが、裏切られたことがない。
章ごとに各々の独白だったり、今回のような手紙であったりするが、こうして最後に真相が明かされるというのが彼女のスタイルなのだろう。
かつて手紙魔のきらいもあった私としては、こうした手紙のやり取りで、各々の目線と主観で同じ出来事が複眼的に描かれる手法はとても興味深い。
4編が収録されている。「十年後の卒業文集」、「二十年後の宿題」、「十五年後の補習」、「一年後の連絡網」。
「二十年後の宿題」は裏表紙にあるとおり、“高校教師の敦史が小学校時代の恩師の依頼で彼女のかつての教え子6人に会いに行く。6人と先生は20年前の不幸な事故で繋がっていた。各々の空白を手紙で報告する敦だが、6人目となかなか会うことが出来ない。過去の事件の真相が手紙のやりとりで明かされていく。”というストーリー。
11月に公開予定で吉永小百合さんが主演の「北のカナリアたち」という映画の原案になっているとのこと。
巻末には「文庫化によせて」として吉永さんのインタビューが収録されている。「告白」に続き、読んでから観るということになりそうだが、楽しみである。
2冊目は城山三郎さんの「少しだけ、無理をして生きる」(新潮文庫)。
帯には「広田弘毅、浜口雄幸、渋沢栄一らの生き方。初心を忘れず 自ら計らわず 一歩、前へー」とある。裏表紙には「大変な無理だと続かない。大事なのは、ほんの少しだけ、自分を無理な状態に置く。つまり挑戦をし続けることなのだ。」と、プロの作家としてやっていくために大学の先輩から言われたという言葉が紹介されている。「逆境を生きる」が改題されての文庫だ。
私は恥ずかしながら「落日燃ゆ」も「男子の本懐」も「雄気堂々」も読んだことがない。城山さんとの出会いは最愛の奥様をがんで亡くされた手記「そうか、もう君はいないのか」である。その後、「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」と、お嬢さんの井上紀子さんが書かれた「父でもなく、城山三郎でもなく」を読んだだけである。
が、今回、心に残った言葉が散見された。「人は、その性格に合った事件にしか出会わない」という文芸評論家・小林秀雄さんの言葉。伊達正宗の「無所属の時間を持てる強さ」、父から息子へ伝えるべき事柄としての毛利元就のエピソードの嘘、膨大な数の率直な手紙の数々。
そういえば大昔、父が現役の頃読んでいた記憶がある「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」は城山さんの翻訳だったのだ、ということさえ知らなかった。これからの時代にビジネスマンとして生きるには「蟻であり(黙々と働く)、トンボであり(複眼的な見方ができる)、人間である(人として豊かで魅力的で愛される)」という3つの条件をそろえなくては勤まらないという先見の明。加えて、百歳の野上弥生子さん老いてなお強い生き方についてなど、200頁の薄い文庫だったが、惹かれる部分が多かった。
3冊目は千住文子さんの「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(新潮文庫)。
以前、前著である、千住家の3人兄弟の子育てを描いた「千住家の教育白書」も惹き込まれるように読んだ。
裏表紙には、「巨匠ストラディヴァリによって製作された幻のヴァイオリン、デユランティが売りに出された。幸運にも試奏を許されたヴァイオリニスト千住真理子は、この名器に運命的なものを感じる。どうしても手に入れたい。だがその値段は億単位。途方に暮れる真理子と母の背中を押したのは、画家と作曲家である二人の兄だった。」とある。
ストラディヴァリウスが、とてつもない奇跡の重なりとともに千住家にやってくるという、半端でないドキドキ感がひしひしと伝わってきて、一緒に息苦しくなってしまうほど。この筆力は凄いと思う。
芸術家というのは当たり前ながら凡人とは全く違うものであると同時に、支える家族も同様に凡人では務まらないものなのだろう、とため息が漏れてしまった。
毎日同じ文章で恐縮だが、今日も今日とて暑さが厳しい。空調が効いている事務室にいれば、外の抜けるような夏の青空を見るのは眩しくも気持ち良いが、いざ一歩でも外に踏み出すとたちまち熱風でフラフラする。
明日以降もまだ酷暑が続くという予報。明日は朝食抜きで朝から造影CT検査だ。
1冊目は湊かなえさんの「往復書簡」(幻冬舎文庫)。
帯には「手紙だからできる、告白―驚きと感動に満ちた書簡形式のミステリ」とある。
彼女の作品は面白い。単刀直入に“面白い”としか書けない語彙の貧困さが情けないのだけれど。これまで「告白」、「少女」、「贖罪」と読み進めてきたが、裏切られたことがない。
章ごとに各々の独白だったり、今回のような手紙であったりするが、こうして最後に真相が明かされるというのが彼女のスタイルなのだろう。
かつて手紙魔のきらいもあった私としては、こうした手紙のやり取りで、各々の目線と主観で同じ出来事が複眼的に描かれる手法はとても興味深い。
4編が収録されている。「十年後の卒業文集」、「二十年後の宿題」、「十五年後の補習」、「一年後の連絡網」。
「二十年後の宿題」は裏表紙にあるとおり、“高校教師の敦史が小学校時代の恩師の依頼で彼女のかつての教え子6人に会いに行く。6人と先生は20年前の不幸な事故で繋がっていた。各々の空白を手紙で報告する敦だが、6人目となかなか会うことが出来ない。過去の事件の真相が手紙のやりとりで明かされていく。”というストーリー。
11月に公開予定で吉永小百合さんが主演の「北のカナリアたち」という映画の原案になっているとのこと。
巻末には「文庫化によせて」として吉永さんのインタビューが収録されている。「告白」に続き、読んでから観るということになりそうだが、楽しみである。
2冊目は城山三郎さんの「少しだけ、無理をして生きる」(新潮文庫)。
帯には「広田弘毅、浜口雄幸、渋沢栄一らの生き方。初心を忘れず 自ら計らわず 一歩、前へー」とある。裏表紙には「大変な無理だと続かない。大事なのは、ほんの少しだけ、自分を無理な状態に置く。つまり挑戦をし続けることなのだ。」と、プロの作家としてやっていくために大学の先輩から言われたという言葉が紹介されている。「逆境を生きる」が改題されての文庫だ。
私は恥ずかしながら「落日燃ゆ」も「男子の本懐」も「雄気堂々」も読んだことがない。城山さんとの出会いは最愛の奥様をがんで亡くされた手記「そうか、もう君はいないのか」である。その後、「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」と、お嬢さんの井上紀子さんが書かれた「父でもなく、城山三郎でもなく」を読んだだけである。
が、今回、心に残った言葉が散見された。「人は、その性格に合った事件にしか出会わない」という文芸評論家・小林秀雄さんの言葉。伊達正宗の「無所属の時間を持てる強さ」、父から息子へ伝えるべき事柄としての毛利元就のエピソードの嘘、膨大な数の率直な手紙の数々。
そういえば大昔、父が現役の頃読んでいた記憶がある「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」は城山さんの翻訳だったのだ、ということさえ知らなかった。これからの時代にビジネスマンとして生きるには「蟻であり(黙々と働く)、トンボであり(複眼的な見方ができる)、人間である(人として豊かで魅力的で愛される)」という3つの条件をそろえなくては勤まらないという先見の明。加えて、百歳の野上弥生子さん老いてなお強い生き方についてなど、200頁の薄い文庫だったが、惹かれる部分が多かった。
3冊目は千住文子さんの「千住家にストラディヴァリウスが来た日」(新潮文庫)。
以前、前著である、千住家の3人兄弟の子育てを描いた「千住家の教育白書」も惹き込まれるように読んだ。
裏表紙には、「巨匠ストラディヴァリによって製作された幻のヴァイオリン、デユランティが売りに出された。幸運にも試奏を許されたヴァイオリニスト千住真理子は、この名器に運命的なものを感じる。どうしても手に入れたい。だがその値段は億単位。途方に暮れる真理子と母の背中を押したのは、画家と作曲家である二人の兄だった。」とある。
ストラディヴァリウスが、とてつもない奇跡の重なりとともに千住家にやってくるという、半端でないドキドキ感がひしひしと伝わってきて、一緒に息苦しくなってしまうほど。この筆力は凄いと思う。
芸術家というのは当たり前ながら凡人とは全く違うものであると同時に、支える家族も同様に凡人では務まらないものなのだろう、とため息が漏れてしまった。
毎日同じ文章で恐縮だが、今日も今日とて暑さが厳しい。空調が効いている事務室にいれば、外の抜けるような夏の青空を見るのは眩しくも気持ち良いが、いざ一歩でも外に踏み出すとたちまち熱風でフラフラする。
明日以降もまだ酷暑が続くという予報。明日は朝食抜きで朝から造影CT検査だ。