葬儀の形が実に多彩になっている。
かつて結婚式がその流れに変わっていったように、人生の終い方もお仕着せのものでなく、自分らしいものを、ということか。亡くなる前に自分でプロデュースしておく人も少なくないと聞く。エンディングノートを用意することも以前に比べタブー感は小さくなって、言うなれば遺される人たちになるべく負担をかけないためのエチケットとして浸透してきているのではないだろうか。
悲しみの中、病院と提携した葬儀社の車に有無を言わさず載せられて、あれよあれよと・・・ということではあまりに切ない。故人の遺志を尊重するようなお別れの式が出来るならそれに越したことはない。
私自身、葬儀は要らないかな、と思っていた。けれど、全く何もないと五月雨式にお別れの方が来て下さったりして、遺された家族にとってはその対応が葬儀以上に負担になる、ということを何かの本で読んだ。
さすがに全くけじめをつける機会がない、お別れを言ってもらう機会がないというのでは、却って失礼にあたるのではと思い直し、出来るだけ簡素に、祭壇等は要らないから好きな色のお花で飾って送ってもらえれば、それで十分。葬儀というよりはちょっと長めのお別れ会(だって、どなたともいずれはあの世でお逢いするんですもの!)のような感じで、と思っている。
先日、ある方とお話した時のこと。
ご主人を亡くし、お子さんもいらっしゃらないので、お墓は建てずに葬儀もせず、海洋散骨にすることに決めた、とのこと。2人で旅行した思い出の海に、専用クルーザーを出しての散骨式が可能だという。散骨は昔のイメージが強く、何となく法的に難しい気がしていたのだが、現在では規制対象外だそうだ。
なるほど、ネットで検索してみたら、すっかりパッケージ化しているのに驚いた。遺灰を粉末化し水溶性の紙に包み、沖に出て、養魚場・養殖場を避け、セロハンで巻いた花束を禁じ、花びらだけにする等の節度を持った方法で、母なる海に還すセレモニーであるという。土に還る樹木葬もしかり。こうして情報が簡単に入手できるのも、それだけの需要があるということだろう。
随分前のこと。実家の両親は、一人娘は病気だし(あてにならないし)、一人しかいない孫に墓守をさせるのも酷と考えたらしく、何の相談もなく都立霊園の共同埋葬墓地に申し込んで、準備万端整えてしまった。
それを聞いた時は、随分水臭いんじゃないかと、ちょっと憤慨したけれど、今、冷静に考えてみれば英断だった、有難い、とも思う。
夫の郷里にある先祖代々のお墓と、新たに建てることになる実家の両親のお墓、さらには勢い(!)で新しく建ててしまった私たち夫婦のお墓。今後、これらを全て息子に一人で守っていかせるなど、あまりに非現実的だ。さらに息子が結婚したら、妻方のお墓まで加わるわけだから、お墓参りだけで1週間が潰れてしまう。
と、そんなことを悩んでいても仕方ないけれど、髪の毛があるうちに、皺くちゃになる前に、と遺影も撮ったことだし、こういうことを考えられるのは元気な証拠!とつらつら明るく考える夏の日の夜である。
夕方の風は涼しくなってきたが、日中は相変わらずの残暑が続いている。8月も余すところあと2日だというのに。
かつて結婚式がその流れに変わっていったように、人生の終い方もお仕着せのものでなく、自分らしいものを、ということか。亡くなる前に自分でプロデュースしておく人も少なくないと聞く。エンディングノートを用意することも以前に比べタブー感は小さくなって、言うなれば遺される人たちになるべく負担をかけないためのエチケットとして浸透してきているのではないだろうか。
悲しみの中、病院と提携した葬儀社の車に有無を言わさず載せられて、あれよあれよと・・・ということではあまりに切ない。故人の遺志を尊重するようなお別れの式が出来るならそれに越したことはない。
私自身、葬儀は要らないかな、と思っていた。けれど、全く何もないと五月雨式にお別れの方が来て下さったりして、遺された家族にとってはその対応が葬儀以上に負担になる、ということを何かの本で読んだ。
さすがに全くけじめをつける機会がない、お別れを言ってもらう機会がないというのでは、却って失礼にあたるのではと思い直し、出来るだけ簡素に、祭壇等は要らないから好きな色のお花で飾って送ってもらえれば、それで十分。葬儀というよりはちょっと長めのお別れ会(だって、どなたともいずれはあの世でお逢いするんですもの!)のような感じで、と思っている。
先日、ある方とお話した時のこと。
ご主人を亡くし、お子さんもいらっしゃらないので、お墓は建てずに葬儀もせず、海洋散骨にすることに決めた、とのこと。2人で旅行した思い出の海に、専用クルーザーを出しての散骨式が可能だという。散骨は昔のイメージが強く、何となく法的に難しい気がしていたのだが、現在では規制対象外だそうだ。
なるほど、ネットで検索してみたら、すっかりパッケージ化しているのに驚いた。遺灰を粉末化し水溶性の紙に包み、沖に出て、養魚場・養殖場を避け、セロハンで巻いた花束を禁じ、花びらだけにする等の節度を持った方法で、母なる海に還すセレモニーであるという。土に還る樹木葬もしかり。こうして情報が簡単に入手できるのも、それだけの需要があるということだろう。
随分前のこと。実家の両親は、一人娘は病気だし(あてにならないし)、一人しかいない孫に墓守をさせるのも酷と考えたらしく、何の相談もなく都立霊園の共同埋葬墓地に申し込んで、準備万端整えてしまった。
それを聞いた時は、随分水臭いんじゃないかと、ちょっと憤慨したけれど、今、冷静に考えてみれば英断だった、有難い、とも思う。
夫の郷里にある先祖代々のお墓と、新たに建てることになる実家の両親のお墓、さらには勢い(!)で新しく建ててしまった私たち夫婦のお墓。今後、これらを全て息子に一人で守っていかせるなど、あまりに非現実的だ。さらに息子が結婚したら、妻方のお墓まで加わるわけだから、お墓参りだけで1週間が潰れてしまう。
と、そんなことを悩んでいても仕方ないけれど、髪の毛があるうちに、皺くちゃになる前に、と遺影も撮ったことだし、こういうことを考えられるのは元気な証拠!とつらつら明るく考える夏の日の夜である。
夕方の風は涼しくなってきたが、日中は相変わらずの残暑が続いている。8月も余すところあと2日だというのに。