ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.3.7 看取りについて思うこと

2013-03-07 21:14:15 | 日記
 急に暖かくなったと思ったら、昨日、桜の開花予想が早まったというニュースが流れてきた。去年の桜は遅かったので入学式に十分間に合ったけれど、今年はあと2週間余りの23日に開花、月末から4月1日には満開になるという。先日訪れた京都も、あと1カ月足らずでお花見の観光客でごった返すことだろう。

 さて、朝日新聞の医療サイトアピタルに先日まで抗がん剤の止めどきについて書いておられた長尾和宏先生、今度は看取りについての話題である。
 以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

町医者だから言いたい 《1052》介護施設での看取りは発展途上(2013年3月5日)

日本人の死に場所」をテーマに話をしてくれないか――そんなオファーが、昨年から増えてきました。看取りの場所は、病院と在宅とは限りません。
老健、特養のみならず、有料法人ホーム、グループホーム、サービス付き高齢者向き住宅での看取りが推進されています。といっても、そもそも介護施設には医療者は常駐していません。
私が主治医を依頼されているある施設での看取りは大変です。いや看取りどころか、日々、さまざまな連絡が入るのです。介護士が体温、血圧、脈拍、酸素飽和度などを測定します。
夜中も3時間おきに時には1時間おきに入所者さんのバイタルサインを測定しては、報告してきます。
夜中の3時に報告されてもこちらも困ります。別に死にかけでもなんでもないのに、37度の微熱が出ただけでも、大騒ぎ。
インフルではないか?ノロではないか?原因は何だ???
施設が、ミニ病院化している??介護士たちは、毎日、パニックになっています。医療が無い施設とは、こんな感じになりがちです。
「お願いですから、寝ている時に血圧を測らないでください」といくら言っても無駄です。深夜でも2~3時間毎にバイタルをチェックすることが仕事。
一度、強くお願いしたことがあります。「お願いだから血圧を測らないでください!」と。すると今度は、介護職員がパニックになりました。
黙って見ていることに、彼らが耐えられないのです。バイタルサインを測定すると、安心するのだそうです。職員自身が安心するためのバイタルチェックなのです。
これが多くの介護の現場の現実、です。普段がこれですから、「看取り」なんて、ウルトラCです。多くの施設が、「看取りなんてとんでもない」と。
国の方針と、現場は真逆を向いています。医療の一番悪いところを真似しています。介護施設での看取り研修は本当に難しい。

(以下略・転載終了)※  ※  ※

 先日、ようやく特養のショートステイから正式入所が叶った義母のこと。これまでのショートステイと環境が変わらない同じタイプの部屋に入ることが出来た。これで落ち着いてくれるといいね、と話していたところだった。
 先週末、義妹から連絡があったそうで、具合が良くない、つまり“あまり食べない”のだそうだ。もちろん、元気に起きて活動しているわけでない。ほぼ一日中寝たきりだから、基礎代謝は相当落ちているのだろうし、お腹もすかないのだろう。が、このまま食べてもらえないのでは大変、ということで昨日、施設の主治医に診てもらって今後の対策を、ということになったそうだ。当日は仕事の約束があったが、義妹独りでは無理ということで、夫は仕事を休んで出向いて行った。

 今の施設は90歳どころか100歳以上の入所者の方も沢山いらっしゃるので、このまま最後まで看て頂けるものだと思っていた。が、当然ではあるが、施設は医療行為が出来ないので看取りはしない、普通に食べられなくなったら即病院へ・・・なのだということに改めて気付かされた。つまり、ぎりぎりまで普通に口から食事が摂れていて、朝起きたら(もしくは気付いたら)亡くなっていた、といういわゆるPPK以外、入所者は病院で最期を迎えるしかないということなのだ。

 致し方ないことなのかもしれないけれど、唸った。病院に搬送されれば、口から食べられなくても点滴で栄養補給され続けてしまう。全ての栄養を点滴で、となれば間違いなく体は冷えるし水分過多になるだろう。そうすれば、胃腸だって腎臓だって肝臓だって今以上に負担がかかる。浮腫みだって出るだろう。かつてタキソテール投与の副作用で体中に浮腫みが出た時に、本当に辛かったことを思い出す。本人は苦しいだろうに、それすら訴えることも出来ないのだ。残酷だと思う。

 さらに胃ろう処置されたら、それこそ何年もの長期にわたってそのまま生き続けなければならない。誤嚥性肺炎だって起こりうる。一旦胃ろうにされてしまうと、今入所出来ている施設には戻れなくなる。そうしたら今度は何処に行けばよいのか。病院だって最長半年しかいられないではないか。胃ろうOKの施設を探すまで、病院を転々とするのだろうか。

 夫が撮ってきた義母の写真では、1月末に夫と見舞った時よりもずっと状態が悪いことが一目瞭然だった。呼びかけても全く反応がないらしい。夫は医師と相談して、なるべく枯れるように(自然に逝かせてやりたい)ということを話してきたという。とりあえず直ぐに入院はせず、施設の看護師さんから水分補給の点滴だけしてもらうことになったようだ。

 先日読んだ石飛幸三先生の「口から食べられなくなったらどうしますか『平穏死』のすすめ」(講談社文庫)を思い出した。延命治療の限界を見極め、人として安らかな最期を迎えにはどうすればよいのだろう。現代人は自然に枯れて行くように死んでいくことがとことん出来ないのだな、と何とも苦い溜息が出る。
コメント (2)
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