ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.3.11 そして、2年。黙祷

2013-03-11 20:41:54 | 日記
 今年も3月11日がやってきた。あれから2年。
 あの日と全く同じ席に座り、同じ仕事を続けている私だ。あの時の恐怖と喧騒は今でもリアルにこの体が覚えている。
 今日、14時45分には学内放送があり、46分から各自がその場で1分間の黙祷を捧げた。

 1月の阪神淡路大震災の時と同様、このところテレビや新聞では震災から2年の特集番組や連載が組まれている。
 あの日、夫も息子も職場や出先から帰って来られなかった。私だけ独り、いつものように徒歩で帰宅し、家の中で倒れた置物やら何やらを片づけた。その後、空腹すら感じることなく、お風呂に入っていいものやらガスを使っていいものやら、何かとても気持ちがチグハグで一晩中毛布にくるまりながら、ただひたすらリビングのテレビが映し出す影像-実際に今、同じ国で起こっているとは信じられない、信じたくない影像-を呆けたように見続け、そして気付くといろいろな方たちに安否確認のメールを送っていた。
 本当に息苦しく、それ以来すっかり涙線が麻痺してしまったかのようだった。

 あれから2年が経った。もう2年なのだろうか。まだ2年なのだろうか。700日余りの日々だ。
 大切な人を突然喪った方たちの心は、2年経とうが、10年経とうが決して癒えることはないだろう。
 未だに行方不明の方があれだけ多くいらっしゃるという現実に、何を言ってみても空しく思う。
 何の前触れもなく突然断ち切られた命。あっという間に黒い濁流に飲み込まれ亡くなった方たちは、どれほど怖かっただろう。どれほど苦しかっただろう。
 命は助かったといえ、家を失い、仕事を失い、あらゆる生活の基盤を失った方たちのこの2年は、いったいどれほど苦難に満ちたものだったのだろう。
 けれど、どれほど辛くても苦しくても、それでも前を向いて日々を生きて行かなければならない、という被災された方たちの現状を想うと、本当にこちらも言葉がない。
 続く福島原発事故の後、あれだけ節電、計画停電と騒いだのはいったいどうなってしまったのだろう。真っ暗になってしまった街が遠い過去になってしまったように、震災と原発事故の一連の出来事の記憶は薄れ始めているのではないか。

 今日は曇り空で、寒かった2年前のあの日とは違って、強い風さえ吹かなければ、春らしい明るい陽射しの1日だった。気温は昨日に比べて10度以上下がったというが、その夏日のバカ陽気のせいか、学内のハクモクレンの蕾が今にも開きそうな気配だ。青空にツンと上を向いた蕾が眩しい。

 3月11日のことを、決して忘れない。
 忘れないでいることが今の私に出来る唯一のことだと思うから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする