ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.3.19 人生を豊かにしてくれたのは・・・「犬にみとられて」

2013-03-19 22:01:30 | 読書
 昨年来このブログにコメントを寄せてくださっているTさんのご厚意により、既に手に入らなくなっているノンフィクションライター・向井承子さんの「犬にみとられて」(ポプラ社)を読むことが出来た。2004年2月に初版が刊行されている。

 向井さんは北海道のご出身。道庁勤務後、婦人団体機関紙編集者などを経て、ノンフィクション・ライターに転身された方。ご自身とご家族のご病気や、老いたご両親を看取った体験等をきっかけに、医療を中心としたテーマで執筆されている。恥ずかしながら、私はこれまでそうした向井さんの著書を読んだことがなかった。

 表紙の上半分は、ダイニングテーブルを前に立つ向井さんと、車いすに乗り、愛犬ゴン太の頭を優しく撫でるお母様の写真。下半分には「しぼみかけた母の命をもう一度温めたのはゴン太だった。90歳で逝った母と自らの老いと向き合う著者が、犬との出会いで人生を豊かにした、熱い涙が溢れる感動のエッセイ。」とある。
 10年近く前のエッセイではあるが、全くその歳月を感じさせない。向井さんは医療ライターとして、現代社会での老いや病やいのちそのものへのまなざしの変化が気になって、様々な“いのち”の場面をテーマに書いてこられたという。医療ライターならではと思わせる、冷静かつ理知的な文章にあっという間に惹きこまれた。
 ご本人は「これまでの著作の延長線上で「犬とみとりの物語」を書いてしまった。飼い犬とは人の理性を惑わせる毒物のようで・・・」と、ゴン太にありったけの愛情を注いだご自身をあたかも卑下しておられるようだが、とんでもない。冷静な観察に裏付けられた緻密な記録と丁寧な筆致は最後まで揺るぎがなかった。

 先週の通院日に読んだのだが、待合で何度も何度も涙で頁が曇り、往生した。
 当時著者がお住まいだった場所はたまたま母の実家の傍でもあり、土地勘があるところ。リアルに散歩道等の風景が目に浮かんできた。足元の小さな自然を感じられるようになったのはゴン太のおかげ、というくだりにも頷いた。子育て、仕事、介護と、慌ただしく時間を過ごす中で小走りに歩く著者の姿も、早朝の散歩で犬の仕草の一つ一つを擬人化して悦に入る著者の姿も思い浮かべつつ、いつのまにか自分に置き換え、鼻の奥がツンとするのだった。
 このエッセイの主人公であるミニチュア・ピンシャー犬のゴン太は、向井さんが初めて飼った犬。40代の終わりから60代半ば迄、15年を一緒に暮らしたという。子犬の愛らしさと成長ぶりに目を細めていた頃は、50代に足を踏み入れかけたところで、三世代暮らしで、子育ては終わりかけていたものの、老親の世話をする日々、と今の私のライフステージにも重なる部分がある。

 ポプラ社の編集部の方の紹介文には「基本的には著者にとって初めての飼い犬、ゴン太を育て、ともに暮らし見送るまでの愛犬物語。しかし内容は2つの「老いと死」から構成されている。一つ目は、家族の片隅に取り残されがちだった老人が、犬を得て、その無心の献身で蘇り、犬のぬくもりに包まれながら世を去るまでの物語。二つ目はゴン太の老いと死。親の看取りから8年が過ぎ、老いにさしかかった著者が、一足先に世を去っていく愛犬の姿に狼狽し、悲しみにくれながらも時の移ろいとともに再生していく姿が中心に描かれる」とある。文字通り第1章は「犬と家族」第2章は「老い犬との日々」である。

 「あとがき」で向井さんは「ゴン太との物語は、理屈で書いたのではない。ただ、小さな犬一匹を愛しく思い、その死に慟哭せざるを得なかった。素朴な手記ではあるが、むしろ今の世で病んで死んでいく人間のかなしみと孤独を想っていただければ、と願う」と書いておられる。

 なぜ、犬を飼ったこともない私がこれほど感情移入して読んでしまったのか、と考えた。
 自分自分の初めてで余裕がなかった子育て時代。仕事も家事も子育ても、両立どころか全てが中途半端だった当時を思い返せば、申し訳なさで一杯になり、気持ちに余裕がないまま両親に優しく接することが出来なかったこと等を苦々しく思い出していたたまれなくなったり・・・。気が付けばまだ消化しきれていなかった色々な気持ちがない交ぜになって、どんどん勝手に思い入れをしながら読んでしまったのだ。

 もしそのやり直しが出来るのなら、小さく弱い生き物の“命”を受け入れたい・・病を抱えた私でもこんな子犬と出逢うことが出来たら、その命を引き受けて一緒に豊かな気持ちで老いと死を乗り越えることが出来るのではないだろうか、などと大胆なことまで思ってしまったのかもしれない。

 もちろん、その小さな命を最期まで看取ることが出来るかどうかもわからないまま、その覚悟もなく安易に引き受けるということを自分自身が一番許さないことは十分解っている。能天気にあと15年生き伸びることが出来るかもしれないから、などと無責任なことを思っているわけでもない。

 本文に「余生と思ったらできないことはなにもないね」という医師の台詞が出てきたが、実際30代で死線をさまよった経験を持つ向井さんは、この時点で余生が30年を超えたと書いておられる。今では40年に近いということになるから、本当に人の余命なんぞ当てにならないものだとも思うのだけれど・・・。

 かくして、全編通じて頁を繰るのがもどかしいほど一気呵成に読んだ。そして、涙を押さえながら読み終えた時にはしばし放心状態の1冊だった。

 今日は昨日の雨風が嘘のように良いお天気になった。予報通りぐんぐん気温が上がり、お昼休みに外に出ると、薄いセーターの上のジャケットは要らず、それでもまだ汗ばむほど。大学正門前の桜もちらほら咲き始めた。いつもなら都心より開花が1週間から10日は遅いのだが、この暖かさで一気に咲きそうだ。レンギョウも木蓮も満開!
 あっという間に春がやってきた。
コメント (4)
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