先週末、母と昼食を摂った時に話したこと。
私は一人娘で、実家は後期高齢者となった両親が2人で暮らす平屋の一軒家。建坪が30坪あまり、別に納戸やガレージもあるから団地暮らしの我が家と違って収納スペースには特に問題がない。そのせいで、信じ難いことだけれど、私が生まれて実家に暮らした四半世紀分のありとあらゆるもの-幼稚園の時の作品などというものさえ!?-が全て保管されている・・・ようだ。
今年の誕生日を迎えれば父が86歳、母は81歳になる。
実家の断捨離については、いずれ真剣に考えないと・・・と思っていた。が、いざ、となると両親ないしは自分の死後という話になるのでなかなか切り出しにくいことでもある。
夫には「もう、そうなったら業者に頼んでブルドーザーで処分するしかないよね。」と言われていた。けれど、それはちょっと切ない・・・というのが本音でもある。
その時、母の方から「あなたの、棚にびっしり並んだ本やらを・・・」との話があったので、これ幸いに、とホイホイ乗っかってお願いすることにした。
先日も、自分の体重より重い本を処分したばかりなのだけれど、実家にもかなりの本が死蔵されている。
実家を出て以来、読みたいから・・・と取りに行ったこともないし、絶対捨てないで、とお願いしていたわけでもないが、何分貧乏性の一家である。本は大切なものであり、本を処分する-捨てる-ということがなかなか出来ない。
今回処分していいかしら、と言われたので、どうぞよろしく、と答えた。
ふと、あ、中学時代の恩師に贈られたあの全集だけは・・・と思ったのだが、そう言い始めたらまた話はややこしくなるので、一刀両断、全て処分してもらうことにした。
そして次になんと、レコードやカセットテープどうする、ときた。レコードにカセットテープ・・・、これは既に死語と化した代物である。
夫が「もはや聴くためのレコードプレーヤーを手に入れるのが困難だし(いや、実家にはもう40年以上前に買ったステレオがあるのだけれど、これについても一緒に処分になるだろう。)・・・」と説明し、これもお手数ですが・・・とお願いする。
少しほっとした。
この後、私が一体何回実家に出向いて整理出来るか。そんなこと、全くもって当てにならない。日々の生活と自宅の断捨離だけで手一杯だというのに。
そして、今だからこそ日々家にいる両親が、細々とでもそういう終活が出来るのだ。
いつかも書いたけれど、がんという病気は最期の経過が早い。今はおかげさまでごくごく普通の生活が出来ている私だけれど、いつかは使える薬が尽き、長年のきつい治療のために体力は落ち、本当にあと3カ月となった時には、あっという間なのだろう。
そして、今読んでいるホスピス医が書いている本(佐藤健さん著「ホスピスという希望~緩和ケアでがんと共に生きる」新潮文庫)によれば、皆さん、わかってはいてもいざ、あと何か月くらいと余命が言われる段階になると、嫌な現実を見つめたくなくて、なるべく辛い現実への対処を先送りして、考えないようにする傾向がある。例えばあと3カ月、と言われればもうそれしか時間がないと辛い気持ちになりながらも、やるべきことを先延ばしにして、残りの1か月になるまで何もせずに過ごしがちである。けれど、3カ月と思っていたことが実際に1カ月だったりすると、それが予想外のことで対処出来ずに慌てることになる。そう、3カ月という余命の予想期間はあくまで不確実な予想であるから、それより早く亡くなってしまう場合だって少なくない、という。
冷静に考えれば、あと3カ月ですよ、と言われて、はい。では!と目一杯張り切って整理を始められる強靭な精神力の持ち主はそうは多くないだろう。だからこそ、である。今、元気で動き回れるうちになるべく身軽になっておきたい、と思うのだ。
なのに気付けば、なかなか進まない断捨離。
そして、どこに行ってもモノが溢れている中で、働いているのだし、治療も頑張っているのだからまだお買い物したい、お洒落もして綺麗にしていたい、という物欲との狭間にある俗物の私。なんとも情けないことなのであるけれど・・・。
今日は、朝は雨模様、午前中は肌寒いくらいの曇り空、そして昼すぎには汗ばむほどの強い陽射しの忙しい一日だった。
明日は通院日。また気温が上がるという。しっかり水分補給をして乗り切らなくては。
私は一人娘で、実家は後期高齢者となった両親が2人で暮らす平屋の一軒家。建坪が30坪あまり、別に納戸やガレージもあるから団地暮らしの我が家と違って収納スペースには特に問題がない。そのせいで、信じ難いことだけれど、私が生まれて実家に暮らした四半世紀分のありとあらゆるもの-幼稚園の時の作品などというものさえ!?-が全て保管されている・・・ようだ。
今年の誕生日を迎えれば父が86歳、母は81歳になる。
実家の断捨離については、いずれ真剣に考えないと・・・と思っていた。が、いざ、となると両親ないしは自分の死後という話になるのでなかなか切り出しにくいことでもある。
夫には「もう、そうなったら業者に頼んでブルドーザーで処分するしかないよね。」と言われていた。けれど、それはちょっと切ない・・・というのが本音でもある。
その時、母の方から「あなたの、棚にびっしり並んだ本やらを・・・」との話があったので、これ幸いに、とホイホイ乗っかってお願いすることにした。
先日も、自分の体重より重い本を処分したばかりなのだけれど、実家にもかなりの本が死蔵されている。
実家を出て以来、読みたいから・・・と取りに行ったこともないし、絶対捨てないで、とお願いしていたわけでもないが、何分貧乏性の一家である。本は大切なものであり、本を処分する-捨てる-ということがなかなか出来ない。
今回処分していいかしら、と言われたので、どうぞよろしく、と答えた。
ふと、あ、中学時代の恩師に贈られたあの全集だけは・・・と思ったのだが、そう言い始めたらまた話はややこしくなるので、一刀両断、全て処分してもらうことにした。
そして次になんと、レコードやカセットテープどうする、ときた。レコードにカセットテープ・・・、これは既に死語と化した代物である。
夫が「もはや聴くためのレコードプレーヤーを手に入れるのが困難だし(いや、実家にはもう40年以上前に買ったステレオがあるのだけれど、これについても一緒に処分になるだろう。)・・・」と説明し、これもお手数ですが・・・とお願いする。
少しほっとした。
この後、私が一体何回実家に出向いて整理出来るか。そんなこと、全くもって当てにならない。日々の生活と自宅の断捨離だけで手一杯だというのに。
そして、今だからこそ日々家にいる両親が、細々とでもそういう終活が出来るのだ。
いつかも書いたけれど、がんという病気は最期の経過が早い。今はおかげさまでごくごく普通の生活が出来ている私だけれど、いつかは使える薬が尽き、長年のきつい治療のために体力は落ち、本当にあと3カ月となった時には、あっという間なのだろう。
そして、今読んでいるホスピス医が書いている本(佐藤健さん著「ホスピスという希望~緩和ケアでがんと共に生きる」新潮文庫)によれば、皆さん、わかってはいてもいざ、あと何か月くらいと余命が言われる段階になると、嫌な現実を見つめたくなくて、なるべく辛い現実への対処を先送りして、考えないようにする傾向がある。例えばあと3カ月、と言われればもうそれしか時間がないと辛い気持ちになりながらも、やるべきことを先延ばしにして、残りの1か月になるまで何もせずに過ごしがちである。けれど、3カ月と思っていたことが実際に1カ月だったりすると、それが予想外のことで対処出来ずに慌てることになる。そう、3カ月という余命の予想期間はあくまで不確実な予想であるから、それより早く亡くなってしまう場合だって少なくない、という。
冷静に考えれば、あと3カ月ですよ、と言われて、はい。では!と目一杯張り切って整理を始められる強靭な精神力の持ち主はそうは多くないだろう。だからこそ、である。今、元気で動き回れるうちになるべく身軽になっておきたい、と思うのだ。
なのに気付けば、なかなか進まない断捨離。
そして、どこに行ってもモノが溢れている中で、働いているのだし、治療も頑張っているのだからまだお買い物したい、お洒落もして綺麗にしていたい、という物欲との狭間にある俗物の私。なんとも情けないことなのであるけれど・・・。
今日は、朝は雨模様、午前中は肌寒いくらいの曇り空、そして昼すぎには汗ばむほどの強い陽射しの忙しい一日だった。
明日は通院日。また気温が上がるという。しっかり水分補給をして乗り切らなくては。