先日、たぁさんの住む街の訪問看護師Oさんとお話をした時、私が今、一番訊きたかったことを話していただいた。
このことについて2日に分けて、書いておきたいと思う。
1つ目は、今日の標題の「積極的治療の止めどき」だ。いわゆる抗がん剤治療から、いつ、身を引くのがベストか、ということだ。もちろん“いいとこどり”が出来るタイミングのことを言っている。出来るだけ長く薬が奏功して、しかもその後の身体を出来るだけ長持ちさせるための、引き際である。
初発患者は完治のためにきつい抗がん剤治療を行う。期間限定、回数限定であり、再発しなければそれで目出度く終了、のものだ。
一方、再発患者は、文字通り延命のため、少しでも長く命を繋ぐためにきつい抗がん剤治療を続ける。けれど、長く治療を続けても、がん細胞はだんだん形を変えながら生き延び、ぶり返してくるものだ。いずれ徐々に進行して身体を蝕んでいく。そうなれば、遅かれ早かれ、毒である抗がん剤が弱った身体を打ち負かす日がやってくる。骨髄機能や肝機能、腎機能がダメになれば、その時いくらまだ使っていない薬が残ってはいても、治療を続けることは出来なくなる。
そして、そうなった時、身体の中にあるがん細胞はラストスパートの増殖を続けて、宿主を食いつくし、挙句、自らも死滅していくというシナリオが出来上がっているわけだ。
出来るだけ長く自分の中のがん細胞と共存-がん細胞が体内にあっても生命を脅かさない状態でコントロールしていく-しながら、もはや・・・となった時、どのタイミングで抗がん剤を止めるのがベストなのだろう、とずっと考えてきた。
がんを原因とする辛い症状が出て、それを緩和してくれる(結果的に延命出来る)抗がん剤治療が出来るなら、それは迷わずやるしかないだろう。
けれど、自分の身体の状態も考えずに、やみくもに効くかどうかわからない新しい薬を使い続けることは、決して賢いことではないとも思う。奏功するかどうかは人体実験のごとく、自分の体で試してみないことにはわからない。たとえ辛い副作用があっても、本来の作用がきちんと出てくれればよいけれど、作用は殆どなく、副作用にだけ身体を痛めつけられるだけになるとしたら・・・これまでせっかく抗がん剤で命を繋いできたのに、最期にその抗がん剤に命を持っていかれるとしたら、やるせない。
あまりにギリギリまで抗がん剤治療を続けると、そのゆるゆるとした最期の時期はあっという間に終わってしまう、と聞いていた。
だから、“いいとこどり”をするためには、自分の身体の声を聴きながら治療を進めていくのが一番だろう、と思ってきた。
ここで止めなければ、薬が効いてくれるより前に自分の身体がやられてしまう、だからもう積極的治療は止めて、緩和治療に移行しよう、と。もう十分頑張ってきた、だから今後、痛みや不快な症状を抗がん剤でない方法で取り除いてもらうことが出来るならば、ゆるゆると最期の時期を迎えよう、という思いに至ることが出来るのではないか、と。
が、いわゆる末期のがん患者さんたちを沢山在宅で看取ってこられたOさんによれば、止めるタイミングは、患者自身が聴く自分自身の声というよりも、闘病をずっと傍で見てきてくれた家族が一番判るのだという。
土壇場の段階になった時、これまで頑張ったのだから・・・、と頑張った患者さんほど、“止める”という決断がしにくくなるようだ。もちろん積極的治療を止めるということは、自分で迫りくる死を黙って待つということに他ならないから。
結局、自分のことは最終的に客観的に見ることは出来ないのだろうか。
自分のこと、自分の闘病を一番よく判ってくれている筈の夫を大事にしなければな、と改めて思わされた瞬間だった。
このことについて2日に分けて、書いておきたいと思う。
1つ目は、今日の標題の「積極的治療の止めどき」だ。いわゆる抗がん剤治療から、いつ、身を引くのがベストか、ということだ。もちろん“いいとこどり”が出来るタイミングのことを言っている。出来るだけ長く薬が奏功して、しかもその後の身体を出来るだけ長持ちさせるための、引き際である。
初発患者は完治のためにきつい抗がん剤治療を行う。期間限定、回数限定であり、再発しなければそれで目出度く終了、のものだ。
一方、再発患者は、文字通り延命のため、少しでも長く命を繋ぐためにきつい抗がん剤治療を続ける。けれど、長く治療を続けても、がん細胞はだんだん形を変えながら生き延び、ぶり返してくるものだ。いずれ徐々に進行して身体を蝕んでいく。そうなれば、遅かれ早かれ、毒である抗がん剤が弱った身体を打ち負かす日がやってくる。骨髄機能や肝機能、腎機能がダメになれば、その時いくらまだ使っていない薬が残ってはいても、治療を続けることは出来なくなる。
そして、そうなった時、身体の中にあるがん細胞はラストスパートの増殖を続けて、宿主を食いつくし、挙句、自らも死滅していくというシナリオが出来上がっているわけだ。
出来るだけ長く自分の中のがん細胞と共存-がん細胞が体内にあっても生命を脅かさない状態でコントロールしていく-しながら、もはや・・・となった時、どのタイミングで抗がん剤を止めるのがベストなのだろう、とずっと考えてきた。
がんを原因とする辛い症状が出て、それを緩和してくれる(結果的に延命出来る)抗がん剤治療が出来るなら、それは迷わずやるしかないだろう。
けれど、自分の身体の状態も考えずに、やみくもに効くかどうかわからない新しい薬を使い続けることは、決して賢いことではないとも思う。奏功するかどうかは人体実験のごとく、自分の体で試してみないことにはわからない。たとえ辛い副作用があっても、本来の作用がきちんと出てくれればよいけれど、作用は殆どなく、副作用にだけ身体を痛めつけられるだけになるとしたら・・・これまでせっかく抗がん剤で命を繋いできたのに、最期にその抗がん剤に命を持っていかれるとしたら、やるせない。
あまりにギリギリまで抗がん剤治療を続けると、そのゆるゆるとした最期の時期はあっという間に終わってしまう、と聞いていた。
だから、“いいとこどり”をするためには、自分の身体の声を聴きながら治療を進めていくのが一番だろう、と思ってきた。
ここで止めなければ、薬が効いてくれるより前に自分の身体がやられてしまう、だからもう積極的治療は止めて、緩和治療に移行しよう、と。もう十分頑張ってきた、だから今後、痛みや不快な症状を抗がん剤でない方法で取り除いてもらうことが出来るならば、ゆるゆると最期の時期を迎えよう、という思いに至ることが出来るのではないか、と。
が、いわゆる末期のがん患者さんたちを沢山在宅で看取ってこられたOさんによれば、止めるタイミングは、患者自身が聴く自分自身の声というよりも、闘病をずっと傍で見てきてくれた家族が一番判るのだという。
土壇場の段階になった時、これまで頑張ったのだから・・・、と頑張った患者さんほど、“止める”という決断がしにくくなるようだ。もちろん積極的治療を止めるということは、自分で迫りくる死を黙って待つということに他ならないから。
結局、自分のことは最終的に客観的に見ることは出来ないのだろうか。
自分のこと、自分の闘病を一番よく判ってくれている筈の夫を大事にしなければな、と改めて思わされた瞬間だった。