ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.5.25 「いのちの真実」講演会参加

2014-05-25 21:52:02 | 
 昨夜就寝が遅かった割には、目覚ましをかけた時間の3時間前に目覚めてしまう。さすがに起きるには早過ぎる、としつこく二度寝をした後、恒例の浴槽足湯と爪囲炎のケアを済ませ、朝食ビュッフェのレストランへ向かった。
 沢山の小鉢が選り取り見取り。ご当地の食材豊富なヘルシーな朝食をしっかり頂いて、エネルギーチャージする。今日も気温が上がりそうだ。
 昨夜遅くまでご一緒したOさんは、早朝5時に緊急訪問をされたという。いのちに関わるお仕事の大変さと尊さに頭が下がる。

 午後からの講演会に備え、昨日の疲れを持ちこさないように、と昼前まで部屋でブログ記事を書いたり、本を読みながらゆっくり過ごすことにする。
 ホテルの最寄駅から地下鉄と私鉄特急を乗り継いで1時間弱。たぁさんが2回にわたるガンマナイフ治療をされた病院の記念講堂が会場だ。

 今日の講演会の講師は有国智光さん。山口県周南市にある浄土真宗本願寺派長久寺のご住職だ。7年前、15歳のご子息を3年に及ぶ闘病の末、小児がん(ユーイング肉腫)で亡くされている。「良くなることは期待できない。死んでいくことがどういうことか考え始めよう」とご子息とともに生と死に向き合い、あの子は『おおきないのち』へ還って行き、『おおきないのち』になった、と仰る。
 講演会のご案内には「大切な人を亡くして悲しみの中にある方、又身体だけでなく心のケアを担っておられる看護、介護職にある方にとっても大きな生きていく力となるようなお話が聴けるものと思います。「何があっても大丈夫」と言われる有国先生のお話を“生命が芽吹く”この季節に皆さまと共に共有することが出来たらと願っております」とある。

 著書の「遊雲さん、父さん―小児がんを生きたわが子との対話」は、他でもないたぁさんのブログで知り、有国さんのインタビュー等が掲載された記事等はネットで検索して拝読していた。今回講演会を聴講するのにあわせて著書を購入し、繰り返し読み、持参してきた。本当に“哲学書”なのである。

 2時間の講演では、有国さんは立ったまま、ノー原稿でお話をされた。前半はとても大きく、深い“いのち”に触れる話、そして後半は大切なご子息を亡くされた経験をもとにした、具体的なお話だった。その圧倒的とも言える内容は、とてもここで軽々しく書いてしまうことは出来そうにない。
 開演前、会場に流れていたCD-遊雲さん(亡くなったご子息)が河川愛護月間推進標語で国土交通大臣賞を受賞された「川が好き 川にうつった 空も好き」が歌になったもの-も購入することが出来た。この収益はNPO法人小児がん治療開発サポートに寄付されるという。

 会場では、たぁさんのお友達のUさんとお目にかかり、お隣の席で聴講することが出来た。これまでLINE等でやりとりをさせて頂いていたが、実際にお目にかかってお話をさせて頂き、たぁさんが親しくしていらしたことが本当に良く分かる。
 講演の終了後、持参した本にサインもして頂いた。たぁさん繋がりで東京から来たこと、10年近く闘病中であることもお話する。「何があっても大丈夫」と書いて頂く。そして、ずうずうしくも握手をして頂き、その手の暖かさに感激するとともに、お帰りの前、ミーハーついでにツーショットの写真も撮らせて頂いた。

 その後、Sさん、Oさん、Uさんと甘味喫茶でお茶。今日もたぁさんのお話をしながら、気づけば2時間近くが経過。特急に飛び乗ってホテルへ戻ってきた。
 こうして、たぁさんに繋げてもらった1,100kmを超えるご縁の有難みを噛みしめる1日となった。

 講演後、空港まで2時間かけて戻って、今日のうちに帰京するのは体力的に厳しいため、本日も連泊。
 無事、今回の旅の2つの大きなミッションを果たすことが出来た。

 明日は昼前の飛行機で帰京する予定である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014.5.24 三たび、翼に乗って 新しいご縁とともに・・・

2014-05-25 19:36:22 | 
 昨年12月、そして先月と訪れた街―たぁさんが住む街―に三たび、やってきている。
 自宅最寄駅まで夫に見送ってもらい、今回は昨年12月に初めて訪れた時と同様、一人旅だ。4月の時と同じ時間のリムジンバスで揺られること2時間弱。今回も殆ど渋滞することなく、予定より20分早く到着した。
 いいお天気で、予報通り気温が上がりそうな気配だ。
 
 搭乗手続きを済ませる。到着空港までお迎えに来てくださるSさんを少しでもお待たせしないように、と今回はキャリーケースを機内持ち込みにしてもらった。空弁を調達後、ラウンジでお茶をしながら態勢を立て直し、Sさんにご連絡をして、ほっと一息つく。当初は定刻通りとの案内だった飛行機は、到着便の遅れの所為で15分近く遅延となった。

 離陸した後は、そそくさと空弁の昼食を摂り、見事な円錐状の富士山を見下ろす。本を読みながら2時間弱の飛行時間をやり過ごし、無事1か月ぶりの空港に降り立った。あまりの暑さにクラクラする。予想最高気温は30度という。もはや既に真夏、である。
 今回の目的はたぁさん宅でお参りをさせて頂くこと、そして翌25日、Sさんが企画された講演会―3月にがんセンターで開催され、たぁさんが入院中にお聞きになったもの―を聴講することだ。ここで、たぁさん繋がりのお2人の方にお目にかかれることになっている。

 去る4月20日の夜、9年近い闘病生活に終止符を打ち、たぁさんが旅立たれてから、早くも1か月以上が過ぎた。今もまだ信じられない気持ちだ。ふと、今回、自分は何をするためにここにやって来たのだろう、と思ってしまう私がいる。
 Sさんが運転される車の助手席で、Sさんがわざわざ朝摘みで揃えてくださった薔薇と百合のアレンジメントの大きな籠を抱き抱え、車に揺られること1時間半ほど。たぁさんのお宅に到着した。
 自宅を出てからたぁさん宅到着まで、実に7時間半である。

 ご主人と末娘さんに迎えられ、ご挨拶をしてリビングへ進む。先月伺った折り、ベッドがあった空間は全て片付けられ、がらんとしている。
 そして、沢山の写真やお花、キャンドルとともにたぁさんの遺影、お骨が備えられたスペースが出来ている。神道での葬儀をされたので、お線香も鈴(りん)もない。まずは写真を見ながらたぁさんにご挨拶。静かに微笑む彼女の遺影を見ながらも、まだ、ピンとこない。
 先日、私がお出しした手紙もお供え頂いている。ほどなくして、彼女をケアされた訪問看護師のOさんが到着される。ご主人とSさん、Oさんと4人で紅茶を頂きながら尽きることない彼女のお話をする。
 その間、時々ケージに入った猫ちゃんの甘えた声がする。末娘さんは静かに私たちの話を聞いている。時折、お嬢さんのお顔を見ながら、胸が締め付けられそうな気持ちになる。

 気づけばあっという間に3時間近く。ご長男が帰宅される。翌25日は高校の運動会だそうで、その練習をされてきたとのこと、日に焼けて紅潮した顔をしておられた。外がとても明るいので、もう6時だとは思えない。いつも思うことだが、東京よりもまるまる1時間、日が長いのである。
 思いは尽きないがこれでたぁさんの遺影にお別れをし、再び車に乗せて頂いて、Sさん、Oさんとともに夕食をご一緒するレストランへ向かった。

 ここでも彼女の生き様の話は尽きることがなかった。Oさんは、18年間で500人の方の看取りをされているというベテランの訪問看護師でいらっしゃる。Sさんも音楽療法士のお仕事をされておられる。
 こうして、たぁさんが繋いでくれた不思議なご縁に身を委ねながら、私は1,100kmを超えた距離をものともせずに、ほぼ初対面のお2人と食事をし、お話をしている。
 深く、重いいのちの話を続けながら、いろいろ伺ってみたかったことを沢山伺うことが出来た。おいおいこのブログでも記事にしていきたいと思う。

 そして、またも3時間半近くが経過した。まだまだお話したいこと、伺いたいことは沢山あったのだけれど、さすがに、朝早くから乗り物に揺られている時間も長く、緊張していた所為か、体が重く、目がしょぼしょぼしてくる。
 翌日の講演会のチラシを頂き、帰り道には会場も教えて頂き、宿泊するホテルのあるターミナル駅まで再び車で飛ばすこと1時間半、送って頂く。

 ホテルにチェックインしたのは11時を過ぎていた。長い長い1日となった。
 講演会のご準備もある中、遠回りをして私のことを送って頂いたSさんには、本当に申し訳なかったと思う。

 そんなわけで、昨夜は荷物をほどいて入浴し、とても記事をアップすることも出来ず、1時近くの就寝となった。ご訪問頂いた方には、新しい記事をお読み頂くことが出来ず、大変失礼いたしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする