朝日新聞のネット記事で息を飲んだ。以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
「赤ちゃんだ」土から小さな手 住民連携、小さな命救う(2017年8月3日18時06分)
東京都東村山市恩多町の河川敷の土中から3日午前、生後間もない男児が見つかった事件。男児の命を救ったのは、付近の住宅街の住民たちの連係だった。
川辺で乳児発見、土に埋まった状態で救助 東京・東村山
3日午前9時半ごろ、現場近くに住む保延務さん(76)宅のインターホンが鳴った。
「崖の下から赤ん坊の泣き声がする」――。隣人の女性が切迫した様子で助けを求めてきた。女性が自宅前で草むしりをしていると、河川敷から泣き声が聞こえたという。
保延さんらが暮らす住宅街は、河川敷から約1.5メートルの高台にある。保延さんが下をのぞき込むと、川べりに小さな手のようなものが見えた。「間違いない。人間の赤ちゃんだ。生きている」
慌てて河川敷まで下りた。土の中から小さな両手と右足首が突き出ていた。土を手で払いのけると、1、2センチ下から青色のタオルをかぶせられ、泣いている男の赤ちゃんが現れた。
へその緒がついたまま、目を閉じており、生後間もないようだった。服は着ておらず、体の下に黒いランニングシャツがシーツのように敷かれていた。保延さんが赤ちゃんの顔の上のタオルを取り除いてやると、ぴたっと泣きやんだ。
「タオルを持ってきて」。保延さんは近所の人たちに呼びかけた。119番通報して新しいタオルに赤ちゃんをくるみ、救急車を待った。
警視庁は、男児は生後間もなく、故意に現場の土中に置き去りにされたとみて、保護責任者遺棄の疑いで捜査している。
「我々があと30分遅れていたら、どうなっていたか」と保延さん。「どんな事情かわからないが、あんなことをしてはいけない。あの子の生命力はすごい。元気になって、強い子に育ってほしい」と話した。(金山隆之介、力丸祥子)
(転載終了)※ ※ ※
都内多摩地区で起きたことだ。土地勘もあり、状況がリアルに迫ってきて息苦しくなった。
小さな命、よくぞ助かった。そしてよくぞ助けてくださった。本当に。どんな事情があってこういうことになったのか知る由もないけれど、この男の子を産んだお母さんはこうするしかなかったのか。望まない妊娠・出産だったのかどうか。そして夏の暑い時期、出産直後の身体は大丈夫なのだろうか。
この子の生命力が勝ったのだろう。生きたい!という全身の声に、心揺さぶられる震える思いだ。これから大変な人生が待っているのは察するに余りある。それでもどうか、どうか元気に育って欲しい、こんな奇跡に支えられた尊い命なのだから。
もうひとつ、こちらは生後20日で捨てられたという高校生の記事。
※ ※ ※(転載開始)
私は生後20日で捨てられた 高3が語った「感謝の心」(2017年8月3日21時01分)
第41回全国高校総合文化祭「みやぎ総文」の弁論部門が3日まで、宮城県東松島市であった。準優勝の岡山県浅口市、ビラン・アンドレさん(18)=おかやま山陽高3年=は、壮絶な体験を語った。
フィリピンで生まれたビランさんは生後20日で、薬物中毒の母に捨てられた。救ってくれたのが、教会でボランティア活動をしていた日本人女性だ。女性はいつかビランさんを引き取りたいと話し、現地の女性に世話を頼んで帰国した。
だが、資金とビザの壁で日本に来ることは長くかなわず、10歳でやっと岡山県へ。その日本人女性が今は「お母さん」だ。
産みの母がミルク代で薬物を買っていたこと、日本に来て言葉の壁が大きかったこと。そして、「育ての母」が日本語教室に連れていってくれたこと。流暢(りゅうちょう)な日本語で語っていく。自らの経験を通して社会問題にどう切り込むかが問われるこの部門。「私のように見捨てられた子どもが世界には約1億5千万以上いると言われています」。ストリートチルドレンなどを例に「自分だけが異常ではない」とも訴えた。
タイトルは「感謝の心で」。今は、この世に生を与えてくれた産みの母もその対象だ。「産みの母を憎しみ続けてきたけれど、僕の人生を語ることで何を伝えたいだろうと思った時、当たり前ではない今の幸せへの感謝を込めたかった」と話す。弁論は、詩人・河野進の詩の次の一節で締めくくった。
不平の百日より感謝の一日を 憎しみの百日より愛の一日を 失望の百日より希望の一日を
会場がある東松島市は、東日本大震災で1千人以上が亡くなった。弁論後に開かれた交流会で、「震災体験は持っているだけなら嫌な思い出、伝えることで人の命を救う価値を持つ」という地元高校生の言葉にビランさんは共感した。「心の傷を話すことで、その背景を考えてもらうのが伝えるということなのかもしれない。世界の困っている人を少しでも減らしたいです」(江戸川夏樹)
(転載終了)※ ※ ※
8月。いつにもまして命を意識する季節だ。これからやってくる広島、長崎の日、さらには終戦記念日。そして、僅か1週間の命の蝉が声を限りに鳴く。
2つの小さな命の記事を読みながら、2つ目の記事の高校生が弁論の最後を締めくくったという「玉島の良寛様」の異名を持つ詩人・河野 進さん(1904年和歌山県生 玉島教会名誉牧師 日本キリスト教救癩協会理事。マザー・テレサに協力するおにぎり運動に尽力 1990年召天:Wikipediaより)の詩の全容が気になって、探してみた。
「一日」
不平の百日より 感謝の一日を
憎しみの百日より 愛の一日を
失望の百日より 希望の一日を
悪口の百日より ほめる一日を
戦争の百日より 平和の一日を
罪の百日より 赦された一日を
悪魔の百日より 天使の一日を
本当にそうだ。気付けば日々どれほど小さな不平不満を口にしているだろう。今、ここにあることがどれほど奇跡に満ちたことなのか。そんな不平を言わず、憎しみを持つことなく、何より決して失望することなく、愛と感謝と希望を忘れない日が送れたら、人はどれほど幸せになれるだろう。
皆が人様の悪口を言わず、罪を犯すことなく、どこかに潜んでいる悪魔に心をもっていかれないように、ごくありふれた平和な日(これが実はどれほど有難いことか)を、赦しに満ち、天使に導かれたような穏やかな日が送れますように・・・と願って止まない。
※ ※ ※(転載開始)
「赤ちゃんだ」土から小さな手 住民連携、小さな命救う(2017年8月3日18時06分)
東京都東村山市恩多町の河川敷の土中から3日午前、生後間もない男児が見つかった事件。男児の命を救ったのは、付近の住宅街の住民たちの連係だった。
川辺で乳児発見、土に埋まった状態で救助 東京・東村山
3日午前9時半ごろ、現場近くに住む保延務さん(76)宅のインターホンが鳴った。
「崖の下から赤ん坊の泣き声がする」――。隣人の女性が切迫した様子で助けを求めてきた。女性が自宅前で草むしりをしていると、河川敷から泣き声が聞こえたという。
保延さんらが暮らす住宅街は、河川敷から約1.5メートルの高台にある。保延さんが下をのぞき込むと、川べりに小さな手のようなものが見えた。「間違いない。人間の赤ちゃんだ。生きている」
慌てて河川敷まで下りた。土の中から小さな両手と右足首が突き出ていた。土を手で払いのけると、1、2センチ下から青色のタオルをかぶせられ、泣いている男の赤ちゃんが現れた。
へその緒がついたまま、目を閉じており、生後間もないようだった。服は着ておらず、体の下に黒いランニングシャツがシーツのように敷かれていた。保延さんが赤ちゃんの顔の上のタオルを取り除いてやると、ぴたっと泣きやんだ。
「タオルを持ってきて」。保延さんは近所の人たちに呼びかけた。119番通報して新しいタオルに赤ちゃんをくるみ、救急車を待った。
警視庁は、男児は生後間もなく、故意に現場の土中に置き去りにされたとみて、保護責任者遺棄の疑いで捜査している。
「我々があと30分遅れていたら、どうなっていたか」と保延さん。「どんな事情かわからないが、あんなことをしてはいけない。あの子の生命力はすごい。元気になって、強い子に育ってほしい」と話した。(金山隆之介、力丸祥子)
(転載終了)※ ※ ※
都内多摩地区で起きたことだ。土地勘もあり、状況がリアルに迫ってきて息苦しくなった。
小さな命、よくぞ助かった。そしてよくぞ助けてくださった。本当に。どんな事情があってこういうことになったのか知る由もないけれど、この男の子を産んだお母さんはこうするしかなかったのか。望まない妊娠・出産だったのかどうか。そして夏の暑い時期、出産直後の身体は大丈夫なのだろうか。
この子の生命力が勝ったのだろう。生きたい!という全身の声に、心揺さぶられる震える思いだ。これから大変な人生が待っているのは察するに余りある。それでもどうか、どうか元気に育って欲しい、こんな奇跡に支えられた尊い命なのだから。
もうひとつ、こちらは生後20日で捨てられたという高校生の記事。
※ ※ ※(転載開始)
私は生後20日で捨てられた 高3が語った「感謝の心」(2017年8月3日21時01分)
第41回全国高校総合文化祭「みやぎ総文」の弁論部門が3日まで、宮城県東松島市であった。準優勝の岡山県浅口市、ビラン・アンドレさん(18)=おかやま山陽高3年=は、壮絶な体験を語った。
フィリピンで生まれたビランさんは生後20日で、薬物中毒の母に捨てられた。救ってくれたのが、教会でボランティア活動をしていた日本人女性だ。女性はいつかビランさんを引き取りたいと話し、現地の女性に世話を頼んで帰国した。
だが、資金とビザの壁で日本に来ることは長くかなわず、10歳でやっと岡山県へ。その日本人女性が今は「お母さん」だ。
産みの母がミルク代で薬物を買っていたこと、日本に来て言葉の壁が大きかったこと。そして、「育ての母」が日本語教室に連れていってくれたこと。流暢(りゅうちょう)な日本語で語っていく。自らの経験を通して社会問題にどう切り込むかが問われるこの部門。「私のように見捨てられた子どもが世界には約1億5千万以上いると言われています」。ストリートチルドレンなどを例に「自分だけが異常ではない」とも訴えた。
タイトルは「感謝の心で」。今は、この世に生を与えてくれた産みの母もその対象だ。「産みの母を憎しみ続けてきたけれど、僕の人生を語ることで何を伝えたいだろうと思った時、当たり前ではない今の幸せへの感謝を込めたかった」と話す。弁論は、詩人・河野進の詩の次の一節で締めくくった。
不平の百日より感謝の一日を 憎しみの百日より愛の一日を 失望の百日より希望の一日を
会場がある東松島市は、東日本大震災で1千人以上が亡くなった。弁論後に開かれた交流会で、「震災体験は持っているだけなら嫌な思い出、伝えることで人の命を救う価値を持つ」という地元高校生の言葉にビランさんは共感した。「心の傷を話すことで、その背景を考えてもらうのが伝えるということなのかもしれない。世界の困っている人を少しでも減らしたいです」(江戸川夏樹)
(転載終了)※ ※ ※
8月。いつにもまして命を意識する季節だ。これからやってくる広島、長崎の日、さらには終戦記念日。そして、僅か1週間の命の蝉が声を限りに鳴く。
2つの小さな命の記事を読みながら、2つ目の記事の高校生が弁論の最後を締めくくったという「玉島の良寛様」の異名を持つ詩人・河野 進さん(1904年和歌山県生 玉島教会名誉牧師 日本キリスト教救癩協会理事。マザー・テレサに協力するおにぎり運動に尽力 1990年召天:Wikipediaより)の詩の全容が気になって、探してみた。
「一日」
不平の百日より 感謝の一日を
憎しみの百日より 愛の一日を
失望の百日より 希望の一日を
悪口の百日より ほめる一日を
戦争の百日より 平和の一日を
罪の百日より 赦された一日を
悪魔の百日より 天使の一日を
本当にそうだ。気付けば日々どれほど小さな不平不満を口にしているだろう。今、ここにあることがどれほど奇跡に満ちたことなのか。そんな不平を言わず、憎しみを持つことなく、何より決して失望することなく、愛と感謝と希望を忘れない日が送れたら、人はどれほど幸せになれるだろう。
皆が人様の悪口を言わず、罪を犯すことなく、どこかに潜んでいる悪魔に心をもっていかれないように、ごくありふれた平和な日(これが実はどれほど有難いことか)を、赦しに満ち、天使に導かれたような穏やかな日が送れますように・・・と願って止まない。