昨夜はバタンキューで眠った後、明け方に一度目覚めた。その後、目覚まし時計はなぜか鳴らずじまい。そのまま起床したが、隣室の2人は私がモーニングコールするまで爆睡中だった模様。
母と恒例の浴槽足湯に入り、膝や足を軽くマッサージしてあげる。随分楽になったとびっくりしている。さすが、均整術。ビフォーアフターが実感出来るのが素晴らしい。
ホテルのレストランでビュッフェの朝食を摂る。昼が遅くなりそうとのことで、あれこれしっかり頂く。いざ市内観光へ出発。今日も同じシュさんとメンバー14名である。外は曇天だが、蒸し暑い。
まずは朝一番が幸先が良いとのことで、前回も訪れた忠烈祠(ツォンリエツゥー)へ。しっかり場所取りをして開始に備えた。33万人もの英霊を守る衛兵は皆身長178センチ以上視力良好のイケメンエリートである。一糸乱れぬ交代式は圧巻の一言に尽きる。30分近く瞬きもせず、汗の流れも気にせず、訓練の賜物とはいえ、凄いものである。
続いて中華歴代の至宝を収蔵する世界四大博物館の一つ、故宮博物館(クゥコンポォウーリェン)へ。うっかり手提げ袋に水を入れたまま入ってしまい、没収の憂き目にあう。母は随分昔に父と訪れているというが、様子は変わっているのだろうか。階段の上り下りが大変そうで、午後からの九份がちょっと心配になる。
私は6年前、お腹の調子が悪くて、見学しながら何度もお手洗いを往復したのを思い出す。玉石、青銅などなど、美術の教科書で見たことのあるいわゆる見るべきものはいくらでもあるけれど、滞在時間は120分と限られている。ガイドさんも途中で説明が全速力になる。
6年前は写真撮影が出来なかったが、今回はフラッシュなしなら撮影OKになっており、故宮博物館、太っ腹だ。前回は翠玉白菜とペアで見ることが出来たいわゆる豚の角煮そっくりな肉形石が、新たにオープンした故宮博物館・南院へ移管のため見られなかったのは残念。一方の翠玉白菜の方は再確認してきた。黒山の人だかりとはこのこと。ショップでの買い物時間も殆どなく博物館を後にした。
続いて、昼食前にお土産屋さんへ連れていかれる。前回も立ち寄ったお店であることを交差点向かいの建物から思い出す。昨日、早々に大方のお土産を買ってしまった我が家は特に買い足すものもなく、ひたすら手持無沙汰で40分を過ごす。
お待ちかねの昼食は、日本にある支店には2時間待たないと入れないという人気店“鼎泰豊”へ。大きな蒸籠にアッツアツの小籠包が運ばれてくる。肉汁がじゅわーっと出てくるので、口の中を火傷しないように食べ方のコツを教えて頂く。本当に美味しい。テーブルに何段重ねにもなるほど沢山の蒸籠が次から次へと運ばれてくる。数種類の餃子、シュウマイ、私の好きな酸辣湯や空心菜の炒め物、炒飯も。最後はデザートにこし餡の小籠包も頂く。
上海式の点心をお腹一杯まで愉しんだ後、永康街(ヨンカンチェ)の散策へ。市民が憩いのひと時を過ごすという永康公園が中心となるエリアだ。リーズナブルでボリュームがある絶品グルメとチャイナテイストのお洒落雑貨の集合地帯で、女の子なら大好きな場所だろう。昼食後、まだお腹がこなれていないのに、人気だというマンゴやストロベリーたっぷりのかき氷屋さんに。しばし暑さを忘れるどころかすっかりお腹が冷えてしまい、昼食を殆ど2人前はたいらげた息子が珍しくギブアップ。
結局、私たち4人は誰一人として完食出来ず。フレッシュマンゴーは本当に美味しかったのだけれど。その後、散策の時間はお腹が非常事態になった息子のお手洗い探しとなってしまい、あれよあれよという間に集合時間。そうこうしているうちに、泣きっ面に蜂ではないが、ポツポツと雨が降り出してくる。
再びバスにピックアップしてもらい、九份(チョウフン)を目指す。お腹一杯なのと昨日からの寝不足のせいか、皆バスの中で夢心地。小一時間、気づけば九份へ到着。いきなり外は青空になっている。金鉱の街として栄えた面影を残す映画「非常城市」の舞台、と言いながら恥ずかしながら「非情城市」の映画は知らない。今は「千と千尋の神隠し」と言った方が有名だ。
前回は帰国日の午前中慌ただしく訪れたので、お店は徐々に開店準備といった風情で、殆どシャッター商店街状態でガラガラだった。海を臨む山の斜面に石段や石畳の小道、古い家並みが続き、情緒豊かでノスタルジックな風景は素敵だった。夕暮れ時はさぞや美しいだろうと後ろ髪をひかれて退去したのだった。
ところが今回はどうだろう。ものすごい人、人、人である。どこもかしこも押すな押すなの大混雑、ここは原宿か渋谷かといった感じ。バスの駐車場からひたすら階段を上り、1934年(母より1つ年下)開館の映画館で涼を取った後、自由散策時間になったが、ここまでで足はガクガク、汗だく。母をこの後歩き続けさせるのは不安ということで、シャッターポイントとして有名な“阿妹茶楼”でお茶を頂くことに。
テラス席で夫と息子は冷たいお茶を、母と私は暖かいお茶をチョイスし、お茶淹れのパフォーマンスに感動する。母はそのまま休憩し、私たち3人は30分ほど目抜き通りを散策。アジアの迫力満載の強烈な各種食べ物の匂いに圧倒されながらお店を冷やかしてきた。
その後、茶楼の向かいにある“海悦楼茶坊”の3階席で夕焼けを見ながら、郷土色豊かな10品コースの夕食を頂いた。ライトアップされた街並みの美しいことといったらなかった。真下を見ればレストランに入る待ち人たちで大混雑。どこから人が湧いてくるのだろうという感じだ。
夜景に別れを告げて再び台北まで、50キロ近い距離を1時間ほどバスに揺られ、ホテルに戻ったのは8時過ぎ。習った均整術で母の膝に施術。ああ、誰か私にもやってほしい。
ところで夫と息子の部屋は、なぜかお掃除がされていないという非常事態。なんとDon't disturbのランプを誤って付けっぱなしにしたようだった。疲れて帰って来た部屋が朝出かけたまま・・・。なんという悲しさよ。タオルやアメニティだけは追加で持ってきてもらうようにしたけれど。
というわけで、明日も一日フルで動き回る。84歳の母にはかなりの強行軍だ。我が母ながら実によく頑張っていると感心する。一都市滞在とはいえ随分ハードな旅行である。一昨年に直腸がんの手術をしたことを思えば、よくぞここまで復活したと思う。
そして6年前と同じように散策できている自分自身も。普段ヨガで鍛えているおかげだろうか。膝が笑いながらも元気な人たちと一緒に頑張れている。有り難いことである。
旅行も折り返し地点、明日も訪れる場所満載である。
母と恒例の浴槽足湯に入り、膝や足を軽くマッサージしてあげる。随分楽になったとびっくりしている。さすが、均整術。ビフォーアフターが実感出来るのが素晴らしい。
ホテルのレストランでビュッフェの朝食を摂る。昼が遅くなりそうとのことで、あれこれしっかり頂く。いざ市内観光へ出発。今日も同じシュさんとメンバー14名である。外は曇天だが、蒸し暑い。
まずは朝一番が幸先が良いとのことで、前回も訪れた忠烈祠(ツォンリエツゥー)へ。しっかり場所取りをして開始に備えた。33万人もの英霊を守る衛兵は皆身長178センチ以上視力良好のイケメンエリートである。一糸乱れぬ交代式は圧巻の一言に尽きる。30分近く瞬きもせず、汗の流れも気にせず、訓練の賜物とはいえ、凄いものである。
続いて中華歴代の至宝を収蔵する世界四大博物館の一つ、故宮博物館(クゥコンポォウーリェン)へ。うっかり手提げ袋に水を入れたまま入ってしまい、没収の憂き目にあう。母は随分昔に父と訪れているというが、様子は変わっているのだろうか。階段の上り下りが大変そうで、午後からの九份がちょっと心配になる。
私は6年前、お腹の調子が悪くて、見学しながら何度もお手洗いを往復したのを思い出す。玉石、青銅などなど、美術の教科書で見たことのあるいわゆる見るべきものはいくらでもあるけれど、滞在時間は120分と限られている。ガイドさんも途中で説明が全速力になる。
6年前は写真撮影が出来なかったが、今回はフラッシュなしなら撮影OKになっており、故宮博物館、太っ腹だ。前回は翠玉白菜とペアで見ることが出来たいわゆる豚の角煮そっくりな肉形石が、新たにオープンした故宮博物館・南院へ移管のため見られなかったのは残念。一方の翠玉白菜の方は再確認してきた。黒山の人だかりとはこのこと。ショップでの買い物時間も殆どなく博物館を後にした。
続いて、昼食前にお土産屋さんへ連れていかれる。前回も立ち寄ったお店であることを交差点向かいの建物から思い出す。昨日、早々に大方のお土産を買ってしまった我が家は特に買い足すものもなく、ひたすら手持無沙汰で40分を過ごす。
お待ちかねの昼食は、日本にある支店には2時間待たないと入れないという人気店“鼎泰豊”へ。大きな蒸籠にアッツアツの小籠包が運ばれてくる。肉汁がじゅわーっと出てくるので、口の中を火傷しないように食べ方のコツを教えて頂く。本当に美味しい。テーブルに何段重ねにもなるほど沢山の蒸籠が次から次へと運ばれてくる。数種類の餃子、シュウマイ、私の好きな酸辣湯や空心菜の炒め物、炒飯も。最後はデザートにこし餡の小籠包も頂く。
上海式の点心をお腹一杯まで愉しんだ後、永康街(ヨンカンチェ)の散策へ。市民が憩いのひと時を過ごすという永康公園が中心となるエリアだ。リーズナブルでボリュームがある絶品グルメとチャイナテイストのお洒落雑貨の集合地帯で、女の子なら大好きな場所だろう。昼食後、まだお腹がこなれていないのに、人気だというマンゴやストロベリーたっぷりのかき氷屋さんに。しばし暑さを忘れるどころかすっかりお腹が冷えてしまい、昼食を殆ど2人前はたいらげた息子が珍しくギブアップ。
結局、私たち4人は誰一人として完食出来ず。フレッシュマンゴーは本当に美味しかったのだけれど。その後、散策の時間はお腹が非常事態になった息子のお手洗い探しとなってしまい、あれよあれよという間に集合時間。そうこうしているうちに、泣きっ面に蜂ではないが、ポツポツと雨が降り出してくる。
再びバスにピックアップしてもらい、九份(チョウフン)を目指す。お腹一杯なのと昨日からの寝不足のせいか、皆バスの中で夢心地。小一時間、気づけば九份へ到着。いきなり外は青空になっている。金鉱の街として栄えた面影を残す映画「非常城市」の舞台、と言いながら恥ずかしながら「非情城市」の映画は知らない。今は「千と千尋の神隠し」と言った方が有名だ。
前回は帰国日の午前中慌ただしく訪れたので、お店は徐々に開店準備といった風情で、殆どシャッター商店街状態でガラガラだった。海を臨む山の斜面に石段や石畳の小道、古い家並みが続き、情緒豊かでノスタルジックな風景は素敵だった。夕暮れ時はさぞや美しいだろうと後ろ髪をひかれて退去したのだった。
ところが今回はどうだろう。ものすごい人、人、人である。どこもかしこも押すな押すなの大混雑、ここは原宿か渋谷かといった感じ。バスの駐車場からひたすら階段を上り、1934年(母より1つ年下)開館の映画館で涼を取った後、自由散策時間になったが、ここまでで足はガクガク、汗だく。母をこの後歩き続けさせるのは不安ということで、シャッターポイントとして有名な“阿妹茶楼”でお茶を頂くことに。
テラス席で夫と息子は冷たいお茶を、母と私は暖かいお茶をチョイスし、お茶淹れのパフォーマンスに感動する。母はそのまま休憩し、私たち3人は30分ほど目抜き通りを散策。アジアの迫力満載の強烈な各種食べ物の匂いに圧倒されながらお店を冷やかしてきた。
その後、茶楼の向かいにある“海悦楼茶坊”の3階席で夕焼けを見ながら、郷土色豊かな10品コースの夕食を頂いた。ライトアップされた街並みの美しいことといったらなかった。真下を見ればレストランに入る待ち人たちで大混雑。どこから人が湧いてくるのだろうという感じだ。
夜景に別れを告げて再び台北まで、50キロ近い距離を1時間ほどバスに揺られ、ホテルに戻ったのは8時過ぎ。習った均整術で母の膝に施術。ああ、誰か私にもやってほしい。
ところで夫と息子の部屋は、なぜかお掃除がされていないという非常事態。なんとDon't disturbのランプを誤って付けっぱなしにしたようだった。疲れて帰って来た部屋が朝出かけたまま・・・。なんという悲しさよ。タオルやアメニティだけは追加で持ってきてもらうようにしたけれど。
というわけで、明日も一日フルで動き回る。84歳の母にはかなりの強行軍だ。我が母ながら実によく頑張っていると感心する。一都市滞在とはいえ随分ハードな旅行である。一昨年に直腸がんの手術をしたことを思えば、よくぞここまで復活したと思う。
そして6年前と同じように散策できている自分自身も。普段ヨガで鍛えているおかげだろうか。膝が笑いながらも元気な人たちと一緒に頑張れている。有り難いことである。
旅行も折り返し地点、明日も訪れる場所満載である。