昨夜も夫より先に眠れた模様。ようやく時差ぼけが治ってきたのか、はたまた本当に疲れているのか、夜中に目覚めなくなったのが嬉しい。今朝も明け方お手洗いに起きるまで一度も目覚めなかった。
モーニングコールより1時間近く早く、夫のスマホアラームが鳴る。うーん、もうちょっと眠れたのに。その30分後、私のアラームが鳴り、ベッドでぐずぐずして起床。お腹は快調だ。
今朝のスケジュールは8時15分に部屋の内側に荷物出し、9時15分集合で少しゆっくりだ。身支度を整え、パッキングを終えて、階下のレストランに降りる。同じグループの方の姿は2組ほど。
昨日とほぼ同じ内容の朝食を頂く。赤いヨーグルトではないが、久しぶりにヨーグルトドリンクを頂く。部屋に戻ると、ポーターさんがまだ荷物回収に来ていない。ちょっと心配になるが、小さなエレベーターが1台しかないため、時間がかかるらしく、出発ぎりぎりにピックアップ。ほっとする。
今日も本降りの雨。1週間旅を続けてきて、全く傘を差さずに済んだのはヴェネツィア1日だけか。こんなに雨に祟られた旅行は生まれて初めてだ。どんなにか強力な雨男ないし雨女が同行していると思われる。
ホテルからグラッツェ橋を渡り、バスが迎えに来ている場所まで傘を差してとぼとぼと歩く。旅行中でなければお家でまったりしていたい気分だ。ポーターさんはもっと大変。グループ分の荷物をカートに載せて雨の中、バスまで運んでくださるのだから。
こういう楽な旅をしてしまうと、自分でえんやこらと荷物を運ばなければならない旅はもうしんどいな、と思う。歳を重ね、病を得、こうして旅に出られるだけ感謝しなければならないのだけれど。
2019年夏、中欧の旅に出て以来、コロナ禍で2020年夏に予約していたトルコ旅行がツアーキャンセルとなり、5年近くぶりの海外旅行である。トルコ旅行も10日の予定だったから、大きなスーツケースを新調したのだが、長く納戸で無用の長物と化していた。ようやく日の目を見た今回の旅、シャンパンゴールドの真新しいスーツケースは、あっという間にあちこちに傷や汚れがつき、すっかり貫禄がついた。
花の都フィレンツェに別れを告げる最後の立ち寄りポイントはミケランジェロ広場。ダビデ像のコピーも冷たい雨で震えているように見える。お天気が良かったら、どれだけ素晴らしい景色かと思うが、繰り言を言っても致し方ない。フィレンツェの街並みを一望し、ぱぱっと写真撮影を終えたら、そそくさとバスに戻る。
今日は中世の面影が色濃く残るトスカーナの古都、糸杉とブドウ畑に囲まれたシエナへと向かう。80㎞1時間半の旅だ。
バスは順調にブドウ畑の丘を抜け、予定より大分早い到着。ここでも大型バスは市内には入れず、ひたすら歩け、歩けの観光になる。バスの駐車場から市内が一望出来る。黒と白の縞模様の美しいドゥオーモが見える。
冷たい雨、びしょ濡れで足元も悪い。そんな悪天候の中、あそこまで歩くのだ、と思うとちょっとテンションが下がる。
ランチを頂くレストランは12時にならないと開かないとのこと。観光は昼食後スタートで、それ迄、時間調整のため、皆でお手洗い休憩を兼ねて聖カロリーナを祀る教会を訪ねる。聖カロリーナは33歳の若さで断食により昇天されたという。教会の中は割とシンプルだったが、カロリーナ礼拝堂の前には観光客が沢山。
シエナは我が家の近辺も真っ青になるほどの坂道の街だ。アップダウンが半端ではない。しかも雨でびしょ濡れの石畳。ここでコケたら洒落にならないと必死で踏ん張って歩くが、足裏はジンジンと痛む。
レストランに到着。斜めの坂道に面して建っているが、中はそれを感じさせないとても素敵な造り。
前菜はブルスケッタ、チーズ2種、生ハム3種類の盛り合わせ。もうこれだけでお腹が満ちてしまうので、申し訳なくも半分以上残す。シエナ名物のピチというかなり太いパスタがメイン。歯ごたえがあり、ちょっとこしの強いおうどんのようなパスタは初めて頂いたが、野菜のソースがまろやかで美味しかった。これも食べきれず。
デザートはセミフレッドにカントッチョの砕いたものとお酒のソースがかかっていてこれだけは完食。夫は今日も昼から白ワインを飲んでご機嫌である。
お手洗いを済ませ、1時間のランチタイムを終えてガイドのカミラさんが合流。いざ観光スタートだ。シエナは今の人口が5,6万で、中世にも人口が5万人だったそう。それがペストの流行で2万人になったという。コロナも当初はそれほどの勢いだったね、と夫と言い合う。商人の町で金融業が盛んで、1400年代に創業した銀行が今も現役で、現存する最古の銀行だという。
目指すはドウォーモ。フィレンツェのドウォーモの外観はとても美しかったが、内部は割とシンプルだったのに比べ、こちらは内部の装飾が素晴らしい。外壁を飾る大理石の縞模様と上部の円花窓を囲む40人もの聖人たちの像はとてもあでやか。
12世紀に起工され、完成は14世紀末と長い歳月が投ぜられている。9年かけて更に増築を試みたが、財源も尽きて、未完成の形で残されている部分もあった。床面は絨毯で保護されている部分もあったが、いくつもの宗教場面が大理石の象嵌で表現されており、それは見事。
八角形の説教壇の彫刻も素晴らしく、ピッコローミニ家の図書室に入ると、ルネッサンス様式の美しいフレスコ画が飾られており、15世紀の聖歌本(五線譜ではなく四線譜)が興味深かった。
とにかく雨宿りと防寒のためにもう少し見ていたいと思うが、そうもいかず、次なる目的地はカンポ広場。市庁舎のプッブリコ宮とマンジャの塔が建つ。緩やかなスロープを描く独創的な扇形をしている。裸馬の競争があり、地区対抗戦だそう。ガチョウやサイ、鷲など、地区マークが街の壁に表示してあるのが楽しい。
それにしても恨めしい雨だ。お天気ならいくらでも楽しくお散歩出来そうなのに、だんだんどうでもよくなってしまう哀しさよ。自由散策時間を頂いたけれど、シエナで有名だというパンフォルテというお菓子を扱う食料品屋さんで試食をし、買い物を済ませたら、もうすることがない。結局、添乗員Tさんに連れられてカフェでお茶を飲んでお手洗い休憩して時間を潰す。
再び、雨の中、滑りそうな石畳の坂道を上り下りしながらバスの駐車場を目指す。道を間違えて戻ったり、着いたらバスが到着していなかったりというアクシデントはあったが、ひとまず無事に皆がバスに乗り込んだ。
ここからサン・フランチェスコ修道院の総本山アッシジまでは120㎞、2時間ほどの移動だ。雨は激しくなるばかり。一体何がいけなかったのだろう、とついつい考えても仕方ないことを考えてしまう。
こちらもバスが入れるのは駐車場まで。この後は、割と急な坂道を歩いてホテルに向かうという。歩けない人はタクシーも準備できますということだったが、折角の聖地、頑張って歩くことに。バスを降りるとき、車内にお手洗いがあったので、お借りしようと思ったらクローズと言われた。なんとなく腹痛の予感。
歩くこと7,8分くらいと聞き、荷物は預けているし、バッグだけで身軽なので大丈夫だろう、と踏んだのだが、甘かった。思いのほか急な坂道。だんだん息が上がってきて、腹痛も酷くなる。途中で、息が苦しくなり、動悸も激しくなる。お手洗いにも行きたいし、どこかホテルに入ってお手洗いを借りたい、もう無理、といったところで宿泊するホテルに到着。
すぐに添乗員のTさんからお手洗いの場所を教えて頂き、駆け込む。危機一髪だった。息は苦しいし、お腹は痛いし、貧血気味になってお手洗いに座り込んでしまった。
なんとかロビーに戻り、チェックイン後、鍵を頂く。昨日までは1階のお部屋だったが、今日は最上階6階だ。他の階は手動の鍵だが、何やらカードキー。部屋の前に行ってみたものの、鍵が開かない。再びフロントに戻って、磁気を入れなおして貰った。とほほ。
今日のホテルはシャワーのみと言われていたが、ラッキーなことにバスタブが付いていた。シャワーだけとバスタブに浸かれるのとでは疲れの取れ方が違うので有難い。
1時間ほど休息時間があり、最低限の荷ほどきを終えて、夕食はホテルのレストランで。もう雨に濡れて歩かなくて済むというだけで随分気が楽だ。
前菜はお豆たっぷりのスープ(湧いてくるかのように各種お豆が沢山で水分が殆どなかった・・・)、リーフチコリ(初めて頂いた。ほろ苦く春菊のよう)の付け合わせに豚肉のソテー、カスタードクリームのデザートに紅茶を頂いた。夫は夜は赤ワインがお伴。
1週間も行動をともにしていると、皆すっかり打ち解け、お互いのお名前も憶えてお喋りが弾む。
今回は4都市2泊ずつ、今夜のアッシジだけが1泊だ。今日の1泊を含め残すところ、ローマ2泊の3泊。9泊11日の長いツアーもそろそろ終わりが見えてきた。
とにもかくにも無事にツアーから帰国すること、その目標が達成出来そうである。夫曰く、これで自信をつけて、また行く!と言うんじゃないの?と。
けれど、体力的にもう厳しいかなと思うのも事実。次回があるかどうかは神のみぞ知る、けれど、しぶとく真面目に治療を続ければ、また神様が微笑んでくださるかもしれない。そんな気持ちで明日は聖地アッシジ観光に臨む。