ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2009.12.18  婦人科検診

2009-12-18 20:05:32 | 日記


 今日は職場の婦人科検診。昼から職場を出て都心の検診機関へ向かった。昨年はちょうど病気休暇中で、指定された日時にタキソテールの副作用がひどく体調が悪かったので、とても都心まで出かけて行くことが出来ず、受診せずじまいだった。

 3年前のこの検診で卵巣の腫れを見つけて頂き、要精密検査となり、MRIを撮影した。そしてそのフィルムをお借りして、当時通っていた病院の婦人科に紹介状を書いて頂き、受診した。当時、腫瘍の大きさは5~6センチ程度で、手術するかそのまま経過観察するか微妙な大きさだった。
 3ヶ月ほど経過を見たけれど、結局ノルバデックスを飲んでいる限り腫瘍が消えて小さくなることはない、ほおっておいて大きくなって茎捻転を起こしたら大事になる、ということで、一昨年の4月に両側(結果的に片側だけでなく両側に多胞性の腫瘍があった)卵巣腫瘍核出手術を受けた。ついでに小さな子宮筋腫も見つかり、とっていただいた。当時は乳がんの既往があることから当然卵巣転移が疑われた。いろいろな検査をしてみたところで、結局のところお腹を開けて病理検査をしてみないと悪性かどうか確定はできなかったけれど、そのときの手術でもある程度(転移の)覚悟はしていた。術後のダメージを考え、「良性なら腹腔鏡手術が適用ではないか」と相談したのだが、「悪性の可能性もあるし、帝王切開の既往があり癒着している可能性もあるので大事を取って」ということで開腹手術となった。もし術中の迅速検査で悪性となれば、卵巣子宮広範囲摘出手術に切り替えになり、骨盤内リンパ節郭清されることがわかっていたため、リンパ浮腫がとても心配だった。
 結果は良性だった。手術室から出るときに執刀医が耳元で「良性でしたよ。」と囁いてくださったことだけはぼんやり覚えている。

 当時外科の主治医は「女性ホルモンの関係から卵巣を全摘してしまった方が今後の乳がん治療には良い。」とおっしゃっていたけれど、婦人科の主治医からは「全摘して更年期障害がひどくなっても、乳がん治療のためにホルモン補充治療を施せないから漢方でしのぐしかない。」とも聞いていたので、「なんとか腫瘍摘出にとどめて頂きたい。」とお願いしていた。おかげで核出手術で事なきを得た。
 そんなこんなでその後も経過観察を続けていた。最初は1ヶ月後、3ヶ月、ようやく半年ごとになった去年の6月の経過観察時に、「実は今年(2008年)になって転移が判明し、転院をした」ということをお話して、昨年12月を最後に婦人科からも紹介状を書いて頂き、現在では腫瘍内科とあわせて同じ病院のお世話になっている。

 職場の婦人科検診なので、乳がん、子宮頸がんが対象。マンモグラフィと超音波、視触診である。子宮頸がんも同じく細胞診と超音波、内診である。
 今日は、問診の後に婦人科へ。子宮頸がんの方は、今通っている病院で6月に体がんも合わせてチェックして頂き、異常なしだったので、無理にオプションで体がんの検査はプラスしなかった。なにより、頸がんと違って入り口ではなく子宮の奥から細胞をとってくるので、痛みが子宮頸がんの細胞診の比でない。6月の時も脂汗とにじんでくる涙の中、憔悴して検査が終わった。今日は既往を確認するためか、超音波でかなり長い時間診られたように感じた。診察台が新しく進化していた。
 その後、胸の超音波も下の階に移動して行うなど、少しシステムが変わっていた。既往があるし、超音波で見ると術後の傷の状況等で興味深い症例なのか、一昨年に受けた前回検診の時もとても時間がかかり、一番最後になってしまった。
 今年もマンモグラフィはパスして(傷口を圧迫されると飛び上がるほど痛い)超音波と視触診だけお願いした。最近なかなか定期的に自己検診もしていないので、ちょっと不安であった。プローブが動くのをじっと見ていたけれど、いろいろな所で影の大きさを測ったり、撮影をしたりしていたので、いやな感じはしていた。再び上の階に上がって診察を待った。触診後、画像を示しながら先生から「まだしこりという状況ではないが、左の傷口周辺とそれ以外の場所に、また右胸にも影がある。本来なら針を刺して調べるところだが、毎週点滴治療に行っているということなので、今回のことを報告して主治医の先生に相談するということでいいでしょう。」ということだった。
 とりあえず終了。正式な検査結果は1ヶ月後に封書で自宅に届く。前にも書いたけれど、検診を受けたとき、その場で「異常なし」と言われるならいいのだが、「何かあるかもしれない」となると、結果が届くまで本当に憂鬱だ。
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2009.12.16 one of themとonly one

2009-12-16 20:26:07 | 日記
 かつて流行った歌ではないけれど、私たちは一人ひとりがかけがえのない”only one”だ。組織の中では歯車のひとつでしかないけれど、そうはいっても一人ひとりが、当然そこに至るまでの自分史と家族と、その他いろいろなものを背負っている。だから自分は、自分にとっても、家族にとっても”only one”であることは間違いない。

 組織に自分の代わりはいくらでもいる。若い頃にはなかなかこのことを認め難いものがあったが、年を重ねてきて、しかも病気で休んだりということを繰り返してくると、不思議なくらいごく自然に、悔しがることもなく、そうだよなあと思うようになっている。もちろん、代替者が自分と全く同じやり方でやるかどうかは別にして、ともあれ自分がいなくても組織は間違いなく回っていく。それが現実なのだけれど、ちょっと哀しい。
「私じゃなきゃダメ」な仕事なんてそうそうはないのだ。
一方で家族の一員としての役割を担うのは、他でもない自分にしか出来ないことだ。我が家でいえば息子にとっての母であり、夫にとっての妻である、という私の役割。もっとも主婦については、夫が家事一通りのことは何でも出来るので全くもって問題はないのだが。

 その、自分こそは“only one”だ、ということを相手に押し付けるかどうか、そこが問題だ。特にお互い気心が知れ信頼関係がある間柄ならまだしも、そうでない相手に対して、ということだ。今回の新型インフルエンザワクチン優先接種証明書の問題もしかり。証明書さえかざせば自分が一番先にやってもらえるのは当然だ、という態度で病院に行く人がいるという。確かに基礎疾患があり、対象者であることは間違いがないのだろうけれど、その中でも最優先なのか優先なのか、再度調整して順位付けする必要があるということをなかなか理解できず、キレる患者に、受付は調整するのが大変だという。まさしくモンスターペイシェントとでも呼ぶのだろう。

 普段の診察でもそうだ。受け持ち患者をたくさん抱えている多忙な主治医に、自分が“only one”だ、として全てを求めるのは、冷静に考えればとても酷だと気づくだろう。先生だって医師であると同時にいろいろ背負っている一人の人間なのだから。

 だからこそ、前にも書いたが、少しでも賢い患者にならなくてはと思う。きちんと勉強して、先生や看護師さんと臆することなく話が出来るようにならなくては、と思う。今、私は幸いなことに信頼できる主治医に出会い、納得して治療を受けることができている。判らなければ、納得できなければ、なるべくその場で質問する。気になっても不明なことは、調べてから次の診察のときにでも質問する。(今は毎週の通院だから、それがしやすい環境であるということは事実だが。確かに3ヶ月に一度の通院だったときは、なかなか質問しづらいこともあった。)
診察室の場でうっかり忘れてしまえば、点滴を受けている間に看護師さんを通じて聴いて頂いたり、お願いしたりすることもある。そして、その際にいやな顔をされたことは、全くない。質問するのは患者として当然のことだ。誰のものでもない、”自分の”体なのだから。

 ただ、納得して治療を始めたら、明らかに症状の悪化が見られるなどの事実がなければ、主治医を信じて自分が選択した治療を継続するのが普通だと思う。もちろん“only one”の大事な自分の体だから、もっと別に良い治療法があれば、といろいろ試してみたくなる気持ちも当然理解できる。だが、先日主治医に内緒で他の病院に行って別の治療を試み、主治医から「私はあなたの主治医ではないですからね。」という態度をとられた、と憤慨する患者の話を聞いたときには考えさせられた。
 この場合、嘆きたいのは主治医ではないだろうか。自分が知らない場所で勝手に他の治療をされ、結果として自分が行っている治療が効いているのか、他で行った治療が効いているのか分からない患者に対して、責任を持って「自分が主治医です。」とは言えないだろう。(少なくとも、もし私が医師であったら、決して言えないと思う。)
現在の治療では今の主治医が自分にとっての“only one(best one)”だと信頼せずして、主治医にだけ自分という患者を“only one”と扱ってくれ、というのはあまりに虫がいいのではないだろうか。朝からひっきりなしに何十人もの患者を診察する多忙な医師にとって、私たち患者一人ひとりは冷静に考えてみれば当然、“one of them”に過ぎないのだから。

 さて、新型インフルにかかった息子は処方されたタミフルがしっかり効いて、今朝は平熱に戻った。食欲も戻ってきた様子。さすがに今日明日は安静だけれど、金曜日からは登校できそうだ。あとはこちらがうつらないことを祈るのみだ。
 最初にエントリーしていた最寄の駅にあるクリニックから今しがた「お待たせしていましたが、ようやくワクチンが入ったので」と電話があった。週明け月曜日に接種が決まった。1月に入ってからの接種予定がまた20日早くなったので、ほっとした。

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2009.12.15 ハーセプチン72回目

2009-12-15 19:08:29 | 治療日記
 今日は内科受付の後、30分ほど待って中待合へ。その後ほどなくして診察室へ入った。「前回の傷跡付近の痛みはその後どうですか。」と聞いて頂き、「あまり気にならなくなりました。」とお答えする。何がいけなかったのか、先生も首を傾げていらした。ただ、指のこわばりは相変わらずで、指先はむくみもあるのか指輪が全く入らない。結婚指輪ももう1年以上はずしたままだ。
その後処置室へ。今日は患者さんが少なめで点滴椅子の空きがあった。薬を待ち、順調に点滴も終了した。

 今日も2冊の本が読めた。1冊目は井形慶子さんの『イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか』(新潮文庫)。彼女の本は何冊か読んだことがあったが、今回の本では「窮地に立つ人を傷つけないかかわり方」の章にとても学ばされた。“いつもは疑いもしなかった人間関係が、ここ一番の窮地に立たされたことによってリトマス試験紙となり、本当の姿をあぶりだす。一人になったときには果てしない寂寥感に脱力させられ、「こちらの状況を教えなければよかった」という後悔にかられる。そこに恋人は伴侶が絡んでいると、ますます複雑な心境になる。これはとても残酷なことだ。”という部分には実に納得がいった。確かにピンチになった時、ナーバスになっているということもあるだろうが、普段は気にもかけないようなことにも驚くほど反応するようになり、本心から心配してくれているのかそうでないのか、怖いくらい良くわかるのだ。
 2冊目は重松清さんの『みんなのなやみ』(新潮文庫)。これは十代の子どもたちのなやみに重松さんが答える形になっているけれど、帯にあるように大人も必読、だと思った。息子対策ではあるが、本当に自分が子どもだったとき、中高生だったときに情緒不安定で不機嫌だったことを都合よく忘れ、今の息子の不機嫌を厭うだめな母であることを改めて反省した。

 その息子が、昨日の夕方まだ職場にいた私の携帯に電話をしてきた。「熱があって頭が痛くて関節が痛い。」とのこと。また塾の日であったので「また行きたくないのかな、それとも今度こそ新型インフルエンザかも」と近所のクリニックで合流した。昨日はまだお腹の風邪、との診断だったが、夜寝るときには38度まであがり、今朝は朝から39度。夫が休みをとってクリニックに連れて行ってくれて、新型インフルの診断が下った。タミフルを処方して頂き、今は39度5分で自分の部屋に隔離されている。担任の先生に連絡したら、教室では今はかかっている生徒はいないそうで、どこでもらってきたことやら。だが、年末にはスキーやら旅行やらを予定しており、本人は「いいときにかかったよ、試験も終わっているし」とのんきなことを言っている。

 さて、そろそろ喪中欠礼も出揃った頃で、年賀状を書き出さないといけないが、旧友には昨年の年賀状で持病再発転移と治療専念につき休職中の旨を伝えた。何人かが心配して文字通り恐る恐る、という感じで気遣いながらメールやら電話やら手紙をくれた。その頃はまだ治療の真っ只中で、とても通院以外は外出するという状態(精神状態も含め)ではなかったけれど、本当に十年ぶり以上たって懐かしい声を聞かせてくださった方もいた。一番久しぶりだったのは中学時代の数学の先生だ。母と同世代だけれど、お母様を介護していらっしゃるとのことで、あいかわらずとてもパワフルなお声だった。お会いしてお見舞いできれば、と気を使ってくれた友も何人もいたし、同窓会でいきなり寄せ書きを募ってくれて綺麗なお花とともに届けてくれた友もいた。本当にとてもありがたいことだった。あらためてこの年になると本当にいろいろな人たちに支えられてこれまでやってきたのだ、と実感する。

 それでも自分でも揶揄しながら言っていたのだが、差別用語の批判を恐れずに書けば「はげ(副作用で完全脱毛)でぶ(副作用で妊婦なみの体重となったひどいむくみ)ぶす(副作用で顔のただれ、発疹)」の三重苦の状態で、とてもじゃないけれど元気で綺麗にしている人たちに会いたい、と思えなかった。驚かれるかもしれないけれど、脱毛してかつら生活になってからは、両親にも親戚にも会っていない。(もちろん電話ではご機嫌伺い等、話はするけれど)せめて自分の髪できちんと髪の毛が整えられるようになるまでは、治療報告も事後で、と思っている。

 今でもまだかつて元気だった頃とは違い、眉もまつげも薄くぼーっとした顔だし、むくんでいるので出来れば昔の若く元気な私を知っている方たちとは会いたくない、というのが本音だ。最後に(なるかもしれない)会った印象が悪いのは出来れば避けたい。

 吉村昭さんが「死顔」に書いていらしたように、お葬式で、最後のお別れと称して誰にもかれにも棺の中の顔を見られるのはいや、ということが本当によくわかる。そんな顔、家族以外にとても見られたくないではないか。
もちろん映画「おくりびと」で出ていたように死化粧を施され綺麗にエンバーミングもしてもらったにせよ、やっぱりもう生物でない自分を晒すのは出来れば勘弁してもらいたい。元気な頃の笑顔の私を記憶にとどめてもらうのが一番幸せだと思う。

 そんな見栄えばっかり気にして馬鹿みたい、と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもせっかくなら留めて頂く記憶は綺麗な方がいいに決まっている。きちんと自分の意思決定が出来るうちにそれだけは何とか伝えておきたい。やせ衰えているのかむくんでいるかどうなっているかわからないけれど、病人然とした私は見なかったことにしてほしい。老衰で大往生、というわけではないだろうから。それでももちろんいよいよ必要、となれば、きちんとお別れすべき人には自分で行けるうちにお別れに行かなければいけないと思うけれど・・・。

と、どうもこんなことを言うなんてマイナス思考で失礼しました。


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2009.12.14 メールとブログ

2009-12-14 22:13:17 | 日記

 ひょんなことからブログを始めることになったけれど、年に1度の年賀状だけのやりとりで病気のことを伝えている友人知人に対する私の生存確認のため、ということと、今はまだ読めないかもしれないけれど、手書きのメモよりもこういう形で読みやすく残しておけば、私がいなくなった後に、成長した息子が母はあの時どうしていたのか、何を考えて生きていたのか、ということを知りたいと思った時のために、何か残しておいてやりたい、という想いがあった。

 もともとあけぼの会の治療日記がスタートなので、治療のことが中心になっている。とりあえず治療に行った日の忘備録であるのだが、治療オンリーの記載になってしまうとどうしても内容が重くなってしまうし、自分としても息苦しくなってしまう。そして当然ながら毎日24時間ずっと患者としてだけ生活しているわけではないから、その時々の読書や、季節を感じるちょっとした小さな幸せも大切に入れこんで、程よく風通しを良くしたいと思っていた。ただ、よくありがちな「私生活の垂れ流し」にはならないように、と心してはいる。当然私の職業は物書きでもないし、ただの、ごく普通の、40代の女性なので、内容が稚拙なことは否めないけれど。

 もちろん読んでくださっている方にはいろいろな方がいらっしゃるのだから、その方にとって必要でない、面白くない、と思われる部分は読み飛ばして頂いて、全くかまわない。言うまでもなくブログとは、そういう性質のものだと思っている。私も何人かの方のブログを「お気に入り」に登録しているが、当然のことながらそういう読み方をしている。ただ自分にとってこのブログは記録であるので、自分が書きたいことを書きたいように書いていく自由は当然ある、と考えている。適当に書きちらす、といういい加減な気持ちは、ない。そして開始以降ずっと「コメントは受付ない」設定をしているのも、それを受け付ければ当然嬉しくない書き込みも多々あるだろうし、それを気にすれば、自分が本当に書きたいことが書けなくなるだろうし、それでは本末転倒だ、と考えるからだ。

 メールだと相手に対して読むことを強要するが、ブログはそうではない、と思う。電話と手紙、の関係にも少し似ているかもしれない。もちろんメールは受取拒否設定をすることも出来るし、読まずに捨て置くことも出来るから、相手の都合を考えずに鳴る電話ほどは暴力的ではないけれど、それでも手紙とも違って、書いて、折りたたんで、封筒に入れて、相手を思いながら宛先を書いて封をして、切手を準備して、ポストに投函する、という一連の手続きがない。
メールの、ろくに読み返しもせずにただ送信ボタンを押しさえすれば、すぐにリアルタイムで相手に送れてしまう、という手軽さ。もちろんこれが便利なのだが、同時に、怖い。何かメールを受け付けるとすぐに返事をしなければならないような脅迫観念に襲われるのは私だけだろうか。常にPCに張り付いていてメールが来たらそれにすぐさま返事を書く、しかもきちんと読み直しもしないで、思ったことを書き散らして勢いで送信・・・、というのはとても怖いことだ、と思う。

 ブログは読みたい方が読みたいときに読みたい部分だけ読めるから、強要するものではない。数多くの友人知人個人個人に対してメールで病気の治療のような超プライベートなことを、いちいち細かい話まで延々とするのは忙しい相手の立場を考えれば、どう考えても迷惑だろうと思う。ただ、最初に書いたように私のことを心配してくれている友人知人に対して、今、私がどうしているか、ある程度知っておいてほしい、今後、不義理を重ねることになったおりにも状況をわかって頂いていれば、少しはお詫びになるだろうと考えていることもあり、ブログのアドレスだけは何人かにはお知らせしている。

 たまたま会のホームページからのリンクでブログを見つけて頂いた方で、その後も追ってくださっている方がどのくらいいらっしゃるかわからないけれど、アクセス数を見るとそれなりの数がカウントされている。こうした乳がんを含むがんの闘病記のブログは本当に数多い。毎日のようにブログ数が増えているので、やはりみな自分のことを書いておきたいのだな、と思う。

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2009.12.8ハーセプチン71回目

2009-12-09 21:25:39 | 治療日記
 内科で受付を済ませると程なく「中待合へどうぞ」の番号が点滅し、廊下に入ると、これまた殆ど待たずに診察室から先生が私の名前を呼びつつお顔を出された。
「先週はどうでしたか」といういつものご質問に「昨日あたりから左胸の傷口あたりの痛みがある」ことをご報告。胸骨周辺にはずっと鈍痛はあるし、押せば傷口周辺も当然痛むのだが、何もしないでいても痛むのは久しぶりなので、その旨お話する。「昨年に比べてどうですか、寒くなったからかな」と先生にも触診して頂いた。
 昨年に比べて、と言われたところで去年はタキソテールの副作用で傷口の痛みどころではなかった・・・とお答えする。まあ相対的に今は元気、なのでより気になるのかもしれないけれど。確かに寒いと古傷は痛む。ただ不思議なことに帝王切開と卵巣のう腫で2回入れたメスが今は同じ傷になっているが、そちらはほとんど痛むことはない。なのに、胸の傷はもう5年近く経っているのにずっと痛む。初発の後の経過観察でも、検診でも、触診されるたびにずっと痛みがあった。(これが良性と悪性の違いなのかなあ)と一人で納得している。胸の傷口は皮膚の上からさわってもでこぼこしており摘出した塊の部分が今も空洞なのでえぐれている感じだ。
 さて、気になっていた腫瘍マーカー値は先月に続きまた上がっていた。ただ前回よりも上がり方は鈍っている。なんとか正常範囲内なので、「特に気にしない方がよい」と言って頂いた。気にせずに新年を迎えたいと思う。ホルモンの状況は前回の半年前に比べて「より一層閉経後」の状況だそうで、下垂体から出る女性ホルモンは血中には検出されないくらいの濃度、ということで先生には「ご卒業」と言われた。喜ぶべきや否や。病気そのものが卒業になればよかったのに、と思うけれど。
 今日はポートへの針刺しに全く痛みがなく、嬉しかった。翼状針という翼を広げたようなかわいい針なのだが、なかなか太い針なので痛いときは痛い。その後点滴もスムーズに開始、順調に進み、いつになく早く終了した。

 今日は点滴時間と電車の中等も含めて3冊読めた。
1冊は加藤重広さんの「その言い方が人を怒らせる-ことばの危機管理術」(ちくま新書)。最近の言葉の使い方で、なんとなくそうだなあ、と思っていたことをなるほどそうだなあ、と納得できるように実に明快に解説して頂き、とてもすっきりした。日本人の「文章を閉じたくない病」にはとても納得する。言わなければならないことははっきり言いつつ、人を怒らせずに気持ちよく話がしたいものだ。
2冊目、3冊目は岡井崇さんの「ノーフォールト」(上・下)(ハヤカワ文庫)。現在放映中のテレビドラマ「ギネ 産婦人科の女たち」の原作だ。テレビでは明日が最終回のようだ。原作とは登場人物の設定がだいぶ違うようだけれど、専門用語はある程度すっとばしつつ一気に読んだ。35年間の医師経験に裏打ちされた文章には迫力があった。私も丸高ぎりぎりの高齢出産で難産だったため、最終的に帝王切開に切り替えることになった経験がある。そのときは「2人分産んだ(苦しみだった)ね。」と看護師さんに言われたけれど、帝王切開にかかるいろいろなリスクを思えば、「無事に産ませてくださって本当にありがとうございます。そして無事に産まれてきてくれてありがとう。」と改めて思った。この下巻で今年読んだ本はちょうど300冊になった。

 今日は明日の朝がまた都心での早朝会議だったため、先月と同じホテルに前泊した。
本当は一度帰宅してもろもろ家事をしてから、と思っていたけれど、夫と息子が新しく出来たレストランでの外食を望んでくれたおかげで、病院からホテルに直行し、さらに読書を楽しむことが出来た。

 前に怖くて聞けないでいる、と書いたことがあるが、再発と再々発は同一疾病なのかそれとも別なのか、ということについて職場で担当に確認し、回答が来た。

 以下の文章はそれぞれの担当さんが書いてくれたものだ。

(Q)病気休職事務処理要領に以下のとおり、同一疾病の記載がある。
⇒同一の疾病(病名は異なるが、病状及び病因等から同一の療養行為と認める場合を含む。以下、同じ。)
次の条件の場合、同一疾病とするのか否かについてお伺いしたい。
・ 「再発乳がん、骨転移、肺転移、リンパ節転移」の病名により病気休職を取得し職場復帰している職員がいる。 (私のことです。)
・復帰後1年以内に再発した場合、引き続き病気休職を発令されることになるが、がんの転移場所がたとえば脳や肝臓と別部所での再発の場合、病名は広義ではがんであるが、狭義では「脳腫瘍、肝臓がん」など別病名となる。(「脳腫瘍、肝臓がん」は、正しくは「再発乳がん脳転移、肝転移」という病名になるだろう。)
・また再発の部所により、症状や療養行為が異なるのだが、再発がんを、前回病気休職を取得した疾病「再発乳がん等」と同一疾病とするのか否か、お伺いしたい。

(A)・がんが転移したことが認められる場合には、同一の病因による疾病とみなす(通算対象)
・ただし、がんが転移したものではなく、新たに発生したと認められる場合は、「同一の病因」と見なさず通算もしない。
・要領にある「療養行為」は、病気を原因として休んでいる事実を示しており、具体的な 治療方法が異なるかどうかということではない(同一疾病でも治療方法が異なることはあり得る)。

 答えとしては「同一疾病かどうか」は、がんについては「転移したものと認められるかどうか」がポイントになるようで 、転移ではなく新たに発生したと認められる場合、別疾病と判断されるようです。 転移ではなく新たに発生した、とどういうふうに認められるのかについては言及はありませんでした。

とのこと。

 要は、今後、乳がんが別部位に再発したとしてもそれが乳がんの転移であるなら、あくまでも同じ、同一疾病だ、ということだ。別の病気と認めてもらうためには新しいがんを患うこと、多重がんにならないといけない、ということか。しかし、本当のところ病理検査をしなければ確定はできまい。こう考えればとにかく前回の病気休職から1年が経過すると、再び病気休暇を取得することができるようになるため、来年の5月までは今の状況でつないでいくしかない、ということだろう。心のどこかで、(もし来年の5月までに再々発したら、治療のため即病気休職になる。そうなると、残りの休職期間は限られてくる。いよいよ辞め時なのかもしれない)、とぼんやり思っている。もちろん、そんなことは実際にそうなってから考えればよいことだろうし、取り越し苦労なら良いのだが。


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