ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.8.22-23 休息出来ずの2日間~“我が家の立つ鳥、跡を濁し”と“母娘揃って・・・”

2015-08-23 22:05:24 | 日記
 旅行から帰って、出来ればのんびりしたかった土曜日と日曜日。蓋を開けて見れば全くそうもいかず。

 土曜日。
 朝一番で、旅行疲れ解消のため、予約していた月に1度のお愉しみリフレサロンへ。オーナーのお嬢さんは、高校生の時にストックホルムにバレエ留学し、2児の母になった今も現役のバレリーナだ。無事に北欧の旅が叶ったことを一緒に喜んで頂き、ちょっぴりお土産をお渡しして、後はいつものように身を委ねる。延々とバスに揺られた所為か、腰がかなり張っていたということで、時間をかけて丁寧にほぐして頂く。
 今月のプレゼントは日焼け後用のクリーム。とても嬉しい。旅行中、ずっと長袖を着ていたが、油断して日焼け止めを塗らなかった手の甲がすっかり日焼けしてしまい、色が変わってしまった。後の祭だが、汚らしくなって大慌てだ。
 施術後は、これからお隣のレストランで食事なので送りは大丈夫です、と言ったところ、“胃腸はお元気ですか”ブレンドのハーブティを淹れてくださった。
 一方、夫と息子は朝一番でリフレサロン隣駅の美容院へカットに。
 それぞれ午前中のスケジュールを終えた後、夫とは2度訪れてとても満足した、サロン隣のフレンチレストランで、3人で合流してお昼のコースを愉しんだ。

 帰りは買い物を済ませ、私は半月ぶりでリンパプラスヨガのクラスに参加。久し振りにホットな環境でたっぷり汗をかき、リラックスし、かつ、ちょっとボーっとして帰宅した。
 夕食は夫が焼肉を準備してくれる。明日の朝、息子がまた京都に戻るということで、スーツケースにパッキング。あれこれ言ってもなかなか作業が進まず、リビングにどんと広げた荷物。お互いにストレスな時間である。

 日曜日。
 夏休み後半の日曜日だから新幹線はさぞや混んでいる筈、しかも息子は夕方から部活だという。されば、ゆっくり寝かしている訳にもいかないと、早めに起こす。洗濯物を片付け、忘れ物の最終確認をして、駅までのタクシーを呼び、途中駅まで送るという夫と息子を無事送り出してほっとした矢先のこと。小さな忘れ物があったけれど、まあ、すぐ使うものではないから来月忘れずに、とLINEで連絡したら、ほどなくして夫の携帯で家の電話が鳴る。嫌な予感である。
 「忘れ物をしたので、家に取りに帰らせた」と。寮の鍵もIC乗車券も定期も大丈夫と言っていた筈なのに、市内バスの定期を忘れたらしい。忘れ物大王ジュニア、ここにあり、である。どこで気付いたのかと言えば、最寄駅ではなく、JR乗換駅とのこと。つまり不要な2駅分の往復と、最寄駅から自宅への往復が加算されたということだ。時間にして最短でも40分。夫の慧眼だったのは、何かあったら、と自分はタクシーに乗っていかずに、マイ電動自転車で最寄駅まで出かけたこと。その自転車を借りて、息を切らして息子が帰ってきた。それにしても何と間抜けなことか。忘れ物と定期を玄関先で渡し、飲み物を飲ませて再び送り出す。私が呆れて口を開こうとすると、言うことが振るっていて「今、メンタルやられているからどうか優しい言葉をかけてほしい」と。
 夫に相当コテンパンに言われたようだ。
 そんなわけで、予定より出発が小一時間遅れ、更にJR乗換駅では窓口が大混雑で、15分並んでも全く埒が明かず、結局、新幹線乗車駅までは普通切符を購入して行ったらしい。
 新幹線乗車駅でも、軒並み満席で1時間近く乗れなかったという。まあ、到着してから荷物を置いて休む間もなく出かけたようだが、これは自業自得だろう。

 昼食は夫と待ち合わせて済ませ、その足でバスに30分程揺られて実家詣で。午後には、10月の大学ホームカミングデーで歌う合唱の練習があったのだけれど、一昨日書いた通り実家で気がかりなことが起きて、そちらに夫と出向くためお休みすることにした。

 実家での気がかりなこととは、母が小腸がんの疑いがある、と言われたことである。
 大腸がん検診でひっかかった母が、市立病院に行ったのが金曜日のこと。内視鏡検査の結果、大腸は問題がなかったけれど、小腸にがんが見つかったとのこと。結構な大きさがあり、開腹手術と抗がん剤治療になるだろうと言われたそうだ。ちょっとネット検索をしたところ、小腸のがんは希少で、5種類あり、種類により治療が異なるらしい。乳がんのように標準治療が確立されているわけでもないようだ。
 来週末に造影CT、結果説明があるのが9月の初め。圧迫骨折で背骨が曲がり、足が弱くなった87歳の父はもはや一人で外出が出来ないから、当然付き添いが出来る状況ではない。私が同席することにしたが、いきなりがん患者の当事者となった母のことも心配ではあるが、家事一般が一切出来ない父を、最低1か月間どうするか、というのが一番のネックだ。
 それについても、治療方針やスケジュールが出ないことにはなんとも動けないのだが、とりあえず父が週2回通っているデイケアセンターと、週明け早々相談することにした。
 148cmで36kgしかない82歳の母が、5~6時間もの開腹手術と1か月の絶食後にどのくらい体力が衰えるているかわからないし、その後の抗がん剤治療にも耐えられるのかどうか。
 とはいえ、起きてしまったこと、なかったことには出来ない。出来る時に出来る人が出来ることをして、家族で乗り切っていかなければならない、と夫が全面的に協力してくれる姿勢であるのが何より心強く有難い。

 今回の旅行も、私を息子と同室にすると、パッキング等も私がどうしても2人分やらなければならないし、休めないだろうから、と自分が全て請け負ってくれた。だからこそ、私は自分のことだけに専念して、8日間のハードスケジュールを何とか体調を崩さずに乗り越えられたのだと感謝している。
 ああ、息子が東京にいて運転免許でも持っていれば、見舞等の送迎もしてもらえたのにと思うが、ないものねだりをしたところで致し方ない。いずれにせよ、カドサイラ(T-DM1)の副作用である手足の痺れや痛みを除き、私の体調が概ね落ち着いている今、で本当に良かったと思う。神様は乗り越えられる試練を与えてくださるのだ、と思うほかない。

 出来れば順番を守ってもらって父から・・・と思っていたが、そううまくコトは運ばないことも実感した。母も、自分のことより父のことが心配らしい。ただ、今、父に自分の身の回りのことをせよ、と言ったところで無理な話だし、ここで何か無理をして、父まで何かあったら洒落にもならない。ここはグッと堪えてフォローしていくしかないのだろう。
 さあ、介護と自分の治療と日々の生活の三足の草鞋の生活がいよいよ始まる、という気がしている。ここが正念場、肝を据えねばなるまいと覚悟する。

 とにもかくにも明日からまた新しい1週間が始まる。10日もしないうちに9月である。何より私が体調を崩さずにいなくては。余計なことは考えずに早めに休むことにしよう。
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2015.8.21 久々の出勤、生きていればいろいろあります・・・

2015-08-21 21:42:01 | 日記
 昨夜は夕食後早々に入浴して、21時前には迷わずベッドにゴー。大分涼しいから大丈夫か、とエアコンを入れないで窓を開けっ放しにして寝始めたのだが、さすがに蒸し暑く寝苦しいことこの上ない。寝ぼけまなこで弱冷房に。その後朝まで、2時間毎に目が覚めたけれど、いつもの時間までしぶとく眠った。なんとか時差ボケが解消できただろうか。

 夫を送り出した後、いつもどおり出勤。息子は、今日は特に予定がないというので、実家のご機嫌伺いに、旅行のお土産を持って行かせることに。
 母が午後から病院で検査だからお構いできないけれど、というが、息子はお正月以来顔を合わせていないし、明後日にはまた京都に戻るので、顔見せだけ行かせることにする。

 一方、大ボケのまま出勤した私。リビングに置いてあるスマホの充電器が見にくいところにある所為もあって、充電器に差したままのスマホを忘れる。夫に至っては携帯とタブレットがダブルでお休みだった(忘れた)とのこと。
 
 朝一番で開けたメールは山のように溜まり、机の上も書類等で一杯。午前中必死になって、黙々と処理マシーンと化した。事務室内は交替で夏休みを取っているせいか、やや人口密度が低く静かで電話も少ないように感じた。

 なんとか残業はせずにほぼ定時に引き上げ、帰宅。息子も既に帰宅しており、しっかりお小遣いも頂いてきた模様。生協のお届け品の取り入れと洗濯物畳みを手伝わせる。実家に御礼の電話をしたところ、息子が帰ったあとで少々気がかりなことが起きた模様。
 まだ詳しい状況が判らないが、来月以降、我が家は大変なことになるかもしれない。どうやって乗り切っていくか思案のしどころ。

 生きていればいろいろあります、である。
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2015.8.20 8日間の旅を終え、無事帰京

2015-08-20 19:43:36 | 
 旅行8日目、最終日。
 結局、2時間半くらいは眠れただろうか。現地時間12時半過ぎ、日本時間6時半過ぎには朝食を摂る人たち(強靭な胃袋だと思う)のザワザワした音で目が覚める。さすがに朝食を摂る元気はなく、歯磨きと着替えを済ませ、ハーブティだけ頂く。
 予定通りほぼ9時間のフライトで、成田には8時半過ぎに到着した。チーフパーサーがご挨拶にいらした折、息子に「お腹一杯になりましたか。若いっていいですね、と皆で言っていたのですよ」と言われ、2人でちょっと赤面。
 入国審査も荷物が出てくるのも、とてもスムーズ。添乗員さんやツアーでご一緒した方たちにご挨拶して税関を通り抜け、リムジンバスのチケット売り場へ直行する。
 最寄駅直行のバスは1時間に一本なので、30分は待つかなと覚悟していたのだが、ちょうど発車時刻のバスがあって、乗り場へ急ぐ。バスはガラガラ。これで1時間帰りが遅くなったら、帰宅後の予定がどんどん押せ々々になるから、本当に助かった。
 雨降りの所為か渋滞。結局、午前中に到着することは出来ず、お昼を回ってしまった。フィンランドから成田まで9時間、成田から地元まで3時間・・・ちょっと複雑で唸ってしまう。
 最低限の買い物を済ませ、タクシー2台に分乗して帰宅した。勢いでスーツケースを3つ開けて、洗濯機を3回回す。折しも甲子園では決勝戦。東北勢初の優勝旗を持って帰らせてあげたいと、洗濯を干し、片付けものをしながら祈ったけれど、残念ながら東海大相模の優勝だった。

 そうこうする間に夕食の時間。夫と息子はそれぞれお昼寝中。ここで寝てしまったらまた時差ボケで夜中に起きることになるだろう、と頑張っているが、もう瞼は落ちかけている。気付けば日暮れもかなり早くなっている。22時近くまで明るかった所にいたから余計に感じるのかもしれないけれど、早く暗くなれば自然と早く眠くなる。

 とにかく明日一日出勤すればなんとか土日である。
 頑張りすぎずに何とか乗り切らなくては。幸いなことに、明日からも35度超えが続く猛暑の予報でもなさそうだ。ここ数日、荷物の扱い等もあって指先のチリチリした痛みが一向に良くならないのは気になるが、胸痛も酷くなることなく、こうして無事に帰ってくることが出来た。本当に良かった。
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2015.8.19 “バルト海の乙女”ヘルシンキ観光後、帰国の途へ

2015-08-20 17:58:37 | 
 旅行7日目。
 昨日は午前ラウマ観光、午後ムーミンワールド観光、夜はプールやジャグジー、サウナと欲張りな活動。その後、眠い目をこすりながら頑張ってほぼ荷物整理を終える。
 6時モーニングコール、7時朝食、8時出発の朝だ。最後までハードスケジュールである。

 メインダイニングでビュッフェの朝食。窓越しに美しい湖を見ながらではあるが、何分時間がないので慌ただしく流し込む感じで、優雅さに欠ける。チェックアウト後、定刻に出発。
 今日もお天気は良く、朝の気温は15度である。180㎞を3時間かけてナーンタリから一路ヘルシンキへ向かう。順調に進み、街に入ってからの渋滞もなく、11時前にはガイドさんとのミーティングポイントである元老院広場に到着した。既に気温は22度まで上がっている。強い陽射しである。

 ヘルシンキは“バルト海の乙女”と呼ばれる美しい港街だ。1812年、当時の統治者ロシア皇帝アレクサンドル1世がトゥルクよりこの地に遷都、建物や街並みにロシアとスウェーデン統治の名残が感じられる。
 元老院広場に建つヘルシンキ大聖堂は、折悪く向かって右半分が工事中。ちょうどその部分が隠れるように、斜め左からアレクサンドル2世の銅像も一緒に写真撮影。ルーテル派の本山となる教会は、どこまでも青い空の下、碧のドームと白い外壁のコントラストが映えて美しい。まさにヘルシンキのシンボルだ。階段には沢山の人達が腰かけている。
 元老院広場は市民の憩いの場。様々な芸人たちが技を競っているが、美声で歌う男性にチップを差し上げたい、と合唱団員の息子。

 ウスペンスキー寺院は赤レンガ造りの、北欧最大のロシア正教会。塔上にある金色の玉ネギのような飾りは “灯”を表すものだという。大きな岩の上に立ち、とても荘厳な佇まいである。内壁に描かれたテンペラ画のキリストと12使徒が見逃せないそうだが、今回は時間の関係で入場は叶わず、残念。
 続いてテンペリアウキオ教会へと向かう。別名ロックチャーチといわれているそうだが、その名のとおり岩に囲まれ、ドーム型の屋根、ガラス張りの天井を持つルーテル派の教会である。この建物のどこが教会なのだろうという外観だが、一歩足を踏み入れると、生のピアノの荘厳な音色が流れてきて、思わず聴き入ってしまう。内部は天窓から降り注ぐ光が剥き出しの岩を照らし、外観とは一転、優しい自然の趣である。こんなところで瞑想をしたらとても幸せだなと思う。
 それにしても、帰国便の関係で自由時間が哀しいほど足りない。
 少しでも長く・・・ということで、次に訪れたお土産屋さんでは短時間でお土産等の調達を済ませ、マーケット広場(カウッパトリ)で解散する。食事と散策を含めて1時間半弱の自由時間である。
 マーケット広場はエテラ港に面した広場。シリアラインの大きな船や観光船が停泊している。果物、野菜、魚介類、工芸品等ありとあらゆる露店が立ち並ぶ。市民生活を垣間見るには最適の場所だそうで、市場フリークの夫は大ハッスル。ちょうどベリー類が旬だそうで、ブルーベリー、ラズベリー等大粒で美味しそうで買って帰りたいくらいだ。

 ランチは、ガイドさんのお薦めで、シベリウスが通ったというレストランと同じ建物内にあるセルフのカフェで。雰囲気が良く、その割にリーズナブルと言われていたが、夫と息子があれやこれや取って、結局、サンドイッチやサラダと飲み物だけでなんと9,000円近くになって、またもや腰が抜けそうになった。
 目の前のテーブルでは、58年ぶりの同窓会の集まりだという高齢者たちが楽しそうに記念撮影をしていて、入れ代わり立ち代わり、それぞれのスマホやカメラを使っての映し合い。夫は全員集合の写真を撮って上げていた。

 そうこうしているうちに、短い自由時間も終了。残るは帰路の飛行機だけ、である。30分ほどで空港に到着し、チェックイン、手荷物検査や免税手続き、余った外貨の再両替を終え、搭乗するまでの時間はラウンジでお茶をしながらのんびり過ごす。

 予定通り、現地時間17時25分発の飛行機に搭乗。息子に窓際の席を乗っ取られる。帰路は9時間ほどの空の旅である。
 夕食には和食をチョイス。2時間弱の映画を2本観たところで、眠いわ目鼻は乾燥するわで、横になることに。今回どこも空気が乾燥していた所為か、後半はほぼ毎日のように鼻血が出ていた。その後、息子は味噌ラーメンも食したようだ。夫は食後さっさとアイマスクをして眠っていた。
 目が覚めれば成田の朝、ということだ。あっという間の1週間だった・・・。
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2015.8.18 トゥルクからラウマへ、ナーンタリで“ムーミン”の世界に浸る

2015-08-19 04:24:00 | 
 旅行6日目。
 昨夜は、船室内ではWi-Fiが繋がらず更新を諦める。時計を1時間進めた所為であっという間に日付が変わる。狭いシャワー室でシャワーを済ませたが、なんだか船酔いのようでお腹が気持ち悪い感じ。
 ようやく寝付いたと思ったらアナウンスが入り、何やら奥底からの地響きのような揺れを感じる。すわ、何かあったのかと焦って起きるが途中の島に停泊したようで、次第に静かになり再び2時間ほど眠りに落ちる。
 とりあえず酷く揺れず、酔わずに済んで良かった。4時半に目覚め、窓の外を見ると見事な朝焼けだ。5時には目覚ましが鳴り、予定通り支度を開始。デッキに出て朝焼けを見ながら、Wi-Fiに繋いで更新した次第である。

 6時からビュッフェの朝食を摂るが、混雑しており実に忙しない。7時に下船するのも混雑で一苦労。ともあれ、フィンランド第三の都市であり、18世紀迄フィンランドの首都だったトゥルクに到着した。
 現地のアシスタントさんに案内されてバスに乗り込む。ふと行き先表示を見ると“OHAYO、オハヨー”と表示されているではないか。なんとも心憎い演出である。スーツケースも無事に出てきて、トゥルク城を背にいざ出発である。これまではWi-Fi付きの最新型バスだったが、今回はそうではないとのこと。気温は10度。天気は良いが冷え込んでいる。

 2時間かけて、旧市街が世界遺産に指定されているラウマを目指す。途中、お手洗い休憩でバスを降りると、今度は表示が“BANZAI,バンザーイ”と変わっているではないか。つい調子に乗って、ドライバーさんや添乗員さんも巻き込んで万歳をしてツーショットの写真撮影。
 順調にラウマに到着する。古き良き時代の面影をそのまま残す情景が印象的だ。18~19世紀に建てられた木造家屋の家並みが残っており、木造のせいか、とても懐かしいアジアンテイストを感じる。
 美術館等は10時開館だが、まだ9時を回ったばかり。オープン迄の時間、正十字架教会のミサ見学を皮切りに、マーケット広場でベリー類の試食をしたり、見どころの場所を確認しながら時間調整。黄色い時計塔のラウマ博物館は旧市庁舎で、18世紀の建物だが、ここで博物館共通入場券を購入。何と学生は無料。北欧諸国は学生を大切にしているなあと思う。

 最初に19世紀後半に建てられた船主の家“マレラ・ハウス”を見学。オンドルやピアノ等の家具や調度品が素晴らしい。続いて18世紀中頃の裕福な航海士の家“キルスティ・ハウス”に向かう。当時の中流家庭の生活がうかがえる。最後に博物館迄戻り、1階のレース博物館でアンティーク・レースにうっとりする。ボビンレースを見ながら、遠い昔、学生時代に訪れたブルージュの街を思い出した。記念に、小さな額に入った、レースで織られた絵を購入。

 早めのお昼は旧市街にあるレストランで。貴族の館のような洒落た建物で、魚料理を頂き、満足。
 食後は110㎞離れたナーンタリへ向かう。町の名前は、スウェーデン語の美しい谷「Nadendal」に由来するという。ここでも順調にバスは進み、15時到着予定が13時半にホテルへチェックイン。これまでずっと強行軍が続いていたので、ホテルのスパとサウナでほっと一息する予定だったのだが、ムーミンワールドにも行けますよと言われ、それでは、と息子のリクエストにも応え(実際は私も十分に楽しんだのだが)、ホテルでチケットを購入し、バスで市内まで送って頂く。

 それにしても暑くなった。26度もある。カラッとして蒸し暑さはないので、じっとり汗が出るわけではないが、とにかくジリジリと肌が焼けるのが分かる。雲一つない青空の下、眩しくてサングラスなしでは目が開けていられない。
 向かったムーミンワールドは、街の北西にある小さな島を丸ごと利用し、ムーミンの世界を再現したテーマパーク。ムーミンに登場するキャラクターとあちこちで出逢う。今日はミーとハグしてツーショット。その後もムーミン一家やスナフキンたちと逢って年甲斐もなくハイチーズ、である。
 冷静に息子と私を観察していた夫によれば、現地の家族連れは親たちが写真に収まるなどということはしていない、小さい子供たちだけがキャラクターと写真を撮っていた、・・・ということだった・・・。遠路はるばる来ましたということでご勘弁頂く。
 それにしても金髪青い目の小さな子どもたちが可愛いこと。皆背中に迷子札の青いシールを貼っていて、後ろ姿がいじらしい。お父さんたちもよく子どもの面倒を見ている。北欧に来ているんだなと改めて思う。
 帰りにショップでお土産を買い、スーパーにも寄りながら、ホテルまで2kmを歩いてきた。
 一服して18時からホテルのメインダイニングで夕食。サーモンの前菜、お肉料理とケーキを頂く。スパとサウナは21時迄ということで、夕食後、慌てて水着に着替えてスパエリアへ。
 家族連れで賑やかなプールは大小5つもあり、とても素敵。今年の夏、初めてのプール遊泳である。息子も京都ではプールに入る機会はないから大喜び。もう20時も過ぎたというのにまだまだ明るく気持ちよく泳ぎ、サウナで温まってきた。

 思い出しても欲張りで盛り沢山な1日だった。病気のことなんか、朝夜薬を飲むとき以外すっかり忘れている。
 いよいよ明日は首都ヘルシンキの観光を経て、帰国便に乗る。
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