ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.8.18 旅行3日目、淡水観光と行天宮へ、足裏マッサージと地下鉄乗車

2017-08-18 22:08:55 | 
 今朝は無事目覚まし時計が鳴り、ホテルからのモーニングコールもあった。昨日同様、母と私は足湯でリラックス。ちょっぴり足のマッサージサービスをした。

 今日は昨日より30分ほど早めにレストランへ。海外研修生だという、青森から来た笑顔いっぱいの賑やかな中学3年生の一行と一緒になる。

 今日一日ご一緒するのは、京都からの3人家族と静岡からのご夫妻と私たちの9名。バスも大型バスから15人乗りの中型バスにサイズダウン。小回りが利いて小さい道もスイスイ。乗り降りの階段も少ないので母には有難いことだ。

 定刻通り出発。バスは小一時間ほど走り、最初の観光地は関渡媽祖宮。海の神様を祭った極彩色のお寺が青空に映える。6本一組の長いお線香を頂き、天から始まって媽祖、観音様、学門、土地、財の6人の神様にお参りをすると、うまいこと境内を一周して裏口に出る仕組みになっている。今回の旅はこうした実体験重視がウリのようだ。

 再びバスで30分ほど移動して淡水(タンスェイ)へ。美しい夕陽と異国情緒に魅了される“台湾のヴェニス”の異名を持つところだ。ウオーターフロントの高級マンションが目立つ。日本ではお台場といった風情か。
 悠々と流れる大河・淡水河の河口に広がる港町はスペイン、オランダ、清朝、日本に統治された歴史を持つため、各々の時代の面影を残す建造物が街並みに点在する。

 今日もとてもいいお天気。最高気温は36度の予想だ。海辺を歩くために、アームカバーも帽子も日傘も装備して厳重警戒の出で立ちである。サンセット鑑賞の名所として名高い、お洒落なデートスポット・フィッシャーマンズワーフ・漁人碼頭(ユーレンマートゥ)へ。
LOVEの字をハートの形に組み合わせたフォトスポットに家族4人で納まるのはちょっと照れくさい。港にかかるベイブリッジが美しくライトアップされるというから、ここも夕暮れ時に来られれば良かったのだけれど・・・。

 海辺の遊歩道に向かって散策開始。色鮮やかにペインティングされた階段を降りていく。昨日ほどではないが今日も歩け、歩けである。釣りをする人たちを横目に淡水駅は目の前だ。鉄男の息子が駅を見たいというので、まずはこちらで記念撮影。まだ新しい立派な駅である。屋台街は少しだけぶらついておしまいにする。あまりの暑さで脱水症状を起こす前に、スタバに緊急避難してお茶休憩。マンゴーとパッションフルーツのスムージーの美味しかったこと。 

 再び台北に戻って、お昼は牛肉麵。“天下三絶”というお洒落なレストランっぽいお店の個室に通される。牛肉麵が売り物のお店だ。スープはサッパリ塩が効いていて汗をかいた身体に沁み渡ったが、厚切りの牛肉がどっさり乗っていて息子に助けてもらう。食後の梅酢とプアール茶が美味しかった。

 お腹が一杯になったところで、お待ちかねの足裏マッサージ店へ。一行9名が一部屋のリクライニングシートに。壮観な眺めだ。歩き疲れた足に茶葉の足湯が心地よい。ずっと浸かっていたい感じだ。今日は肩と膝の反射区が痛かった。昨日の階段昇降でふくらはぎがかなり辛い。

 結局、全員、延長で上半身もマッサージすることになり、次の間に移動してうつぶせになること30分。均整術で習った手技を感じながら、なるほどこうするのか、と思ったりしつつも極楽状態。このままお昼寝をしてしまいたいほど、ぐったりきてしまう。このお店には随分日本の有名人も訪れたようで、見たことのある人たちのサインや写真が沢山飾ってあった。

 続いての観光先は行天宮(シンティエンゴン)。青空に映える赤と黒の絢爛豪華なお寺で、屋根の上の龍の髭が長く立派である。商売の神でもある三国志の名将・關羽を祀る寺廟だ。關羽は初めてそろばんと帳簿を使ったことから商売の神様とされているそうだ。ガイドさんから参拝するための三跪九叩の作法を教授されて早速実践。続いて長蛇の列に並んで収驚も体験する。

 「魂」は人の精神力を統制し、「魄」は人の行動力を司るが、人が何かに驚いたり強いショックを受けたりすると「魂魄」が抜けて思考が停滞し、動きが悪くなるという。こうした時に「収驚」を受けて魂魄を取り戻すことにより元気になるそうだ。母は高齢者のせいか、列に並ばずにいきなり優先的にやって頂いた。私たち3人はしっかり並んだあと無事に終えた。なんだか不思議な気分。一度頂けば生涯有効というお守りも頂戴し、お礼参りもしてきた。

 このお寺の前の交差点の地下道にあるのが占い横丁。小さなブースが軒を連ね、仕事から健康、財産、なんでも占ってくれる。日本語OKの看板もそこかしこに。残念ながら占いをしたい人は誰もいなかったので、そのまま通り抜けて3度目のお土産屋さんに連れていかれる。

 ここも昨日、一昨日と訪れたお店と品揃えに大差なく、再び手持無沙汰の小一時間を過ごす。皆同じだったようで、早めに集合してしまい、そのまま夕食レストランに向かう。まだ明るい中での夕食だ。
 
 最後の夕食は台湾料理。“欣葉”は団体旅行にもよく使われるという大きなお店だが、10品以上出された料理はまあまあのお味。私としては、もちもち杏仁豆腐のデザートが珍しく、美味だった。

 まだ日は高い。結局息子が買いたいお土産が揃わず、中央駅近くで降ろしてもらい、百貨店へと向かう。訪れた甲斐があり気に入った品物を種々買い求めることが出来た。
 ここからホテルまでタクシーで戻っても良かったのだが、鉄男の息子が「せっかくなので目の前から乗れる地下鉄にぜひ乗りたい」モード。
 MRTに1駅乗って乗り換え、もう1駅乗ったら無事ホテル最寄り駅到着。どの列車でも母を見ると皆が席を譲ってくれて恐縮する。見ないふりでスマホをいじったりしていないのにびっくり。有り難い地下鉄体験だった。

 こうして3日目も無事終了。あっという間に明日は最終日だ。数か所の観光後、夕方の便で帰国の途に就く。
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2017.8.17 旅行2日目、市内観光後九份へ、階段昇降と混雑で大変!

2017-08-17 23:02:48 | 
 昨夜はバタンキューで眠った後、明け方に一度目覚めた。その後、目覚まし時計はなぜか鳴らずじまい。そのまま起床したが、隣室の2人は私がモーニングコールするまで爆睡中だった模様。

 母と恒例の浴槽足湯に入り、膝や足を軽くマッサージしてあげる。随分楽になったとびっくりしている。さすが、均整術。ビフォーアフターが実感出来るのが素晴らしい。
ホテルのレストランでビュッフェの朝食を摂る。昼が遅くなりそうとのことで、あれこれしっかり頂く。いざ市内観光へ出発。今日も同じシュさんとメンバー14名である。外は曇天だが、蒸し暑い。

 まずは朝一番が幸先が良いとのことで、前回も訪れた忠烈祠(ツォンリエツゥー)へ。しっかり場所取りをして開始に備えた。33万人もの英霊を守る衛兵は皆身長178センチ以上視力良好のイケメンエリートである。一糸乱れぬ交代式は圧巻の一言に尽きる。30分近く瞬きもせず、汗の流れも気にせず、訓練の賜物とはいえ、凄いものである。

 続いて中華歴代の至宝を収蔵する世界四大博物館の一つ、故宮博物館(クゥコンポォウーリェン)へ。うっかり手提げ袋に水を入れたまま入ってしまい、没収の憂き目にあう。母は随分昔に父と訪れているというが、様子は変わっているのだろうか。階段の上り下りが大変そうで、午後からの九份がちょっと心配になる。

 私は6年前、お腹の調子が悪くて、見学しながら何度もお手洗いを往復したのを思い出す。玉石、青銅などなど、美術の教科書で見たことのあるいわゆる見るべきものはいくらでもあるけれど、滞在時間は120分と限られている。ガイドさんも途中で説明が全速力になる。

 6年前は写真撮影が出来なかったが、今回はフラッシュなしなら撮影OKになっており、故宮博物館、太っ腹だ。前回は翠玉白菜とペアで見ることが出来たいわゆる豚の角煮そっくりな肉形石が、新たにオープンした故宮博物館・南院へ移管のため見られなかったのは残念。一方の翠玉白菜の方は再確認してきた。黒山の人だかりとはこのこと。ショップでの買い物時間も殆どなく博物館を後にした。

 続いて、昼食前にお土産屋さんへ連れていかれる。前回も立ち寄ったお店であることを交差点向かいの建物から思い出す。昨日、早々に大方のお土産を買ってしまった我が家は特に買い足すものもなく、ひたすら手持無沙汰で40分を過ごす。

 お待ちかねの昼食は、日本にある支店には2時間待たないと入れないという人気店“鼎泰豊”へ。大きな蒸籠にアッツアツの小籠包が運ばれてくる。肉汁がじゅわーっと出てくるので、口の中を火傷しないように食べ方のコツを教えて頂く。本当に美味しい。テーブルに何段重ねにもなるほど沢山の蒸籠が次から次へと運ばれてくる。数種類の餃子、シュウマイ、私の好きな酸辣湯や空心菜の炒め物、炒飯も。最後はデザートにこし餡の小籠包も頂く。

 上海式の点心をお腹一杯まで愉しんだ後、永康街(ヨンカンチェ)の散策へ。市民が憩いのひと時を過ごすという永康公園が中心となるエリアだ。リーズナブルでボリュームがある絶品グルメとチャイナテイストのお洒落雑貨の集合地帯で、女の子なら大好きな場所だろう。昼食後、まだお腹がこなれていないのに、人気だというマンゴやストロベリーたっぷりのかき氷屋さんに。しばし暑さを忘れるどころかすっかりお腹が冷えてしまい、昼食を殆ど2人前はたいらげた息子が珍しくギブアップ。

 結局、私たち4人は誰一人として完食出来ず。フレッシュマンゴーは本当に美味しかったのだけれど。その後、散策の時間はお腹が非常事態になった息子のお手洗い探しとなってしまい、あれよあれよという間に集合時間。そうこうしているうちに、泣きっ面に蜂ではないが、ポツポツと雨が降り出してくる。

 再びバスにピックアップしてもらい、九份(チョウフン)を目指す。お腹一杯なのと昨日からの寝不足のせいか、皆バスの中で夢心地。小一時間、気づけば九份へ到着。いきなり外は青空になっている。金鉱の街として栄えた面影を残す映画「非常城市」の舞台、と言いながら恥ずかしながら「非情城市」の映画は知らない。今は「千と千尋の神隠し」と言った方が有名だ。

 前回は帰国日の午前中慌ただしく訪れたので、お店は徐々に開店準備といった風情で、殆どシャッター商店街状態でガラガラだった。海を臨む山の斜面に石段や石畳の小道、古い家並みが続き、情緒豊かでノスタルジックな風景は素敵だった。夕暮れ時はさぞや美しいだろうと後ろ髪をひかれて退去したのだった。

 ところが今回はどうだろう。ものすごい人、人、人である。どこもかしこも押すな押すなの大混雑、ここは原宿か渋谷かといった感じ。バスの駐車場からひたすら階段を上り、1934年(母より1つ年下)開館の映画館で涼を取った後、自由散策時間になったが、ここまでで足はガクガク、汗だく。母をこの後歩き続けさせるのは不安ということで、シャッターポイントとして有名な“阿妹茶楼”でお茶を頂くことに。

 テラス席で夫と息子は冷たいお茶を、母と私は暖かいお茶をチョイスし、お茶淹れのパフォーマンスに感動する。母はそのまま休憩し、私たち3人は30分ほど目抜き通りを散策。アジアの迫力満載の強烈な各種食べ物の匂いに圧倒されながらお店を冷やかしてきた。

 その後、茶楼の向かいにある“海悦楼茶坊”の3階席で夕焼けを見ながら、郷土色豊かな10品コースの夕食を頂いた。ライトアップされた街並みの美しいことといったらなかった。真下を見ればレストランに入る待ち人たちで大混雑。どこから人が湧いてくるのだろうという感じだ。

 夜景に別れを告げて再び台北まで、50キロ近い距離を1時間ほどバスに揺られ、ホテルに戻ったのは8時過ぎ。習った均整術で母の膝に施術。ああ、誰か私にもやってほしい。

 ところで夫と息子の部屋は、なぜかお掃除がされていないという非常事態。なんとDon't disturbのランプを誤って付けっぱなしにしたようだった。疲れて帰って来た部屋が朝出かけたまま・・・。なんという悲しさよ。タオルやアメニティだけは追加で持ってきてもらうようにしたけれど。

 というわけで、明日も一日フルで動き回る。84歳の母にはかなりの強行軍だ。我が母ながら実によく頑張っていると感心する。一都市滞在とはいえ随分ハードな旅行である。一昨年に直腸がんの手術をしたことを思えば、よくぞここまで復活したと思う。
 そして6年前と同じように散策できている自分自身も。普段ヨガで鍛えているおかげだろうか。膝が笑いながらも元気な人たちと一緒に頑張れている。有り難いことである。
 旅行も折り返し地点、明日も訪れる場所満載である。
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2017.8.16 今日から夏休み、6年ぶり 家族総出で台北へGo!

2017-08-16 23:31:24 | 
 今日から我が家は夏休み。息子も帰省し、母も一緒に台湾4日間の旅だ。
 前回の台湾旅行は再発後初の、5年ぶりの海外旅行で、まずは近場で自信をつけたいというものだった。その旅を十分に満喫し、ブログの最後に、欲張りだけれどまた行ってみたいと書いている。その翌年、両親とともにベトナムへ、さらに一昨年は家族3人で20年越し念願の北欧へ昨年は夫と2人、インドに出かけている。

 息子が小さかった頃によく訪れたビーチメインの旅行頻度に比べればすっかりペースダウンしているが、再発して9年半、今なおこうしてパスポートを使うことが出来る。有難いことだ。

 さて、今回は高齢の母(ベトナム以来5年ぶりの海外旅行)連れということで、前回のような連泊なし5都市を巡る周遊旅行ではなく台北3泊のみ、全観光食事インクルーシヴのまったりした旅である。

 最寄り駅朝6時発のリムジンバスで出発。このところ東京地方は梅雨に逆戻りしたような雨続き。あいにく今朝もしっかり雨が降っていた。駅までのタクシーも予約時間通り自宅前に到着。早朝の出発なので、昨夜は母が狭い我が家に泊った。息子を迎えのために実家に派遣し、ランチと夕飯をご馳走になって、夜、母と一緒にタクシーで戻ってきたのだ。

 リムジンバスは渋滞も無くスイスイ。空港まで1時間半もかからず、集合時間の1時間半近くも前に到着してしまった。旅行会社の窓口で受け付けを済ませeチケットを受け取る。荷物を預け身軽になったら出国手続きもスムーズに終了。ラウンジで1時間以上お茶を飲んだり新聞を読んだりと、ゆっくり過ごすことが出来た。

 今回も台北松山空港へ約3時間の旅。なんと乗るのはキティちゃんジェットである。機内の内装までお馴染みのキャラクター。サンリオ好きな人にはたまらないことだろう。
 定刻通り離陸し、すぐに昼食サービス。予定より30分以上早く到着してしまい、2時間ほどの邦画をラストシーンまで見られずじまい。現地時間に時計を1時間戻す。外は33度、曇りだという。

 現地係員女性コウさんのピックアップにより、私たちを含め10名のツアーメンバーが大型バスに乗り込む。外はむわっと暑い。すっかり涼しさに慣れてしまった身体には暑さが堪えそうだ。

 まずは台湾茶試飲と両替ということで、茶芸店へ。冷たい烏龍茶、黒烏龍茶等3種類のお茶を飲み比べ、蓮の実や名物パイナップルケーキ等の試食で一服。お土産を購入してから、ホテルにチェックイン。ここでガイドさんが男性のシュさんに交代する。

 2つの部屋はエレベーターにも近く、隣り合わせでにほっとする。11階の窓からはこれから向かう“台北101”が見える。
 これからの観光は全部で14名だそうで、いくつかのホテルをピックアップするという。お昼が早かったことと、夜景が望める時間に“台北101”に入場しようということで、先に夕食レストランに移動。

 台湾風汁そばの坦仔麵やそぼろの魯肉飯、珍しいけれど日本人の舌にもあった小皿料理が9品続き、大満足。夫と息子は台湾ビールで乾杯し、母も小さい身体で頑張って頂いていた。ここは台南に本店がある“度小月”という人気店だそう。夕方前からとても混雑しており活気のあるお店だった。

 続いて最初の観光地、台北のランドマーク、高さ508メートルの“台北101”展望台入場とショッピングモール散策へと向かう。前回は唯一の自由時間、3人でタクシーに乗って見学に行ったのだった。
 エレベーターの乗り場までの低層階はブランドショップが軒を連ねている。30分ほど自由散策時間があったけれど、殆ど冷やかす気にもならずエスカレーターを登って降りてきただけ。展望台へ上る前に記念写真を撮り、僅か37秒、東芝製のエレベーターで展望階に到着。いつのまにか暮れなずみ、眼下に宝石箱のような夜景が見事に広がる。再びエレベーターで階下に降り、今日最後の観光スポットである、レトロな雰囲気が懐かしさを誘う老舗夜市饒河街夜市に向かう。

 ありとあらゆる食べ物の匂いが混在して気が遠くなりそう。いかにもアジアで生きているという感じ。揚げ物も煮物も炒め物も、文字通り臭いお豆腐も珍しい南国の果物も・・・。暑さと匂いと雑踏にちょっと気分が悪くなりながら30分ほど散策。コンビニ前で再集合すると、添乗員さんが夜市には欠かせない一品という胡椒餅とパールミルクティをテイクアウト用に渡してくださる。アツアツの胡椒餅はボリュームたっぷり。バスの中でたいらげて、ようやくホテルに戻って来た。

 それにしても朝早くから夜は遅くまで、文字通り長~い一日だった。夫と息子、母と私の2部屋に別れ、明日からも目一杯の観光に備えて、キューバタンである。
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2017.8.15 ママだって疲れます!

2017-08-15 21:37:13 | 日記
 いつかもご紹介した毎日新聞のコラム、香山リカさんの「ココロの万華鏡」の最新号を読んで本当にそうだ、と思った。
 以下転載させて頂く。

※   ※  ※(転載開始)

香山リカのココロの万華鏡
うちのママは疲れない? /東京 (毎日新聞2017年8月15日 地方版)

 子どもたちや学生にとっては、夏休みほど楽しいものはないだろう。子どもは宿題、学生はアルバイトや就職活動などもあるかもしれないが、普段の授業から解放されるだけでうれしいものだ。スポーツや海水浴といった特別な予定があれば、楽しさはさらに増す。
 しかし、夏休みは誰にとっても楽しいというわけではない。診察室には「夏休みが憂鬱」と訴える女性もやって来る。母親たちの「夏休みストレス」はけっこう深刻なのだ。
 まず、子どもが家にいると三食を用意しなければならない。「それはまだいいのですが」とある女性が話してくれた。「今週は夫も1週間、休みなんです。家でゆっくり読書をしたいと言って、ずっと自室にこもっています。それはよいのですが、お昼ごろになると“ご飯は何?”と出てきて……」
 子どもだけなら冷や麦などで簡単にすませられるが、夫は「普段はランチの時間も十分に取れないので、夏休みくらいゆっくり食事を楽しみたい」と希望しており、手の込んだものを用意しなければならないそうだ。女性は「気持ちは分かるけど作る側の身にもなって」と言いたい気持ちをぐっとのみ込んでいる、と話していた。
 こういう時、どうしてその夫は「いつもは牛丼をかき込むだけだから、夏休みくらいキミとランチに行きたいな」と妻に声をかけないのだろうか。「用意してよ」ではなくて「一緒に出かけよう」と言えば、女性は夏休みを夫とともに楽しむことだってできるはずだ。あるいは、夏休みの夫と子どもで「今日はぼくたちが昼ごはんの用意をするから、ママは休んでいて」と言えれば、母親の「夏休みストレス」はさらに軽くなるだろう。
 診察室で女性とくに母親たちの声を聴いていると、「もしかして夫や子どもたちは“うちのママは何があっても疲れたり弱ったりしない”“家族のためなら何でもしてくれる”と思っているのではないだろうか」と感じることがある。たしかに私も、子どもの頃には「母親はスーパーマン」と思っていたかもしれない。しかし、それは大きな間違いだ。
 できれば、母親にも夏休みをあげよう。そこまではできないと言うなら、せめて「夏休みストレス」で女性たちがヘトヘトにならないよう、男性たちに気づかいをお願いしたい。「今日はぼくがやるよ」「一緒に行こうよ」。その言葉を忘れずに、家族で楽しい夏の思い出を作ってもらいたいものだ。(精神科医)

(転載終了)※   ※   ※

 お母さんたちは、夏休み期間は本当に大変だろうと思う。普段は家人を送り出せば一人の時間になるのに、その時間を失うわけだ。その状況で掃除も洗濯もいつもどおり、いやいつも以上ある。子ども達の食事のケアだけならまだしも、それに夫が加わるとなると・・・。しかもこのコラムに出てくるような夫だったら、具合が悪くなるのもさもありなん、である。

 産休以外ずっと働いてきたワーキングマザーの端くれの私も、夏休みのような長期の休みは憂鬱だった。思えば保育園に通っていた頃は天国だった。いつもと同じようにお昼の心配はしなくてよい。息子が生まれて以降、なんとなく夫のお弁当作りも免除されてしまったので、お互いいつもどおりお昼は外食、であった。

 けれど、息子が小学生になって少し楽になるのかと思ったら、これがとんでもなかった。夏休み等長期のお休み、短縮授業となればお弁当作りは必須である。小学校3年生までは学童クラブという受け入れ場所があったけれど、夏の盛りでもお弁当は冷蔵庫に入れてもらえるわけもなく(クラブ員全員のお弁当を入れたら学童クラブの冷蔵庫は満杯で何も使えなくなってしまうし、おそらく入りきらなかったのだろう。)、保冷剤で四方をグルグルまいて(保冷剤の重さの方がお弁当より重かったように記憶している)、毎日ハラハラしながら息子と一緒に出かけたものだ。寄り道をしてどこかに置き忘れるのではないか、炎天下に置きっぱなしにして腐らせてしまうのではないか、などなど。

 学童クラブを卒所してからは、一人で家にいる時には朝作ったお弁当を冷蔵庫に入れておけた。けれど、塾に通うようになってからの夏休み等には、お昼の心配は終わらなかった。

 結婚以来ずっと共働きを続けていて、(結婚のときの約束だった)早く帰った方が夕飯を作る、作った人は片付けなくてよいというルールが効いていたので、わが夫はこのコラムのような、ある意味(男性として)恵まれた境遇のご主人ではなかったし、もともと食べることが好きだったので、休みとなれば自分で見よう見まねで作ったりしてくれた。

 今では、私が動かないのを見て、クックパッドで検索したかと思えばさっさとプリントアウトして何か新しい料理も作ってくれる。のろけるわけではないけれど、かなり当たりの夫だと思う。まあ、私が再発して体調不良が多くなって以来、俄然その料理能力がアップしたということもある。

 声を大にしていいたいけれど、ママは不死身なんかでは、ない。放っておいてもママは自分のことが一番後回しになる。ちょっとくらいの不調は気合でなんとかするけれど、ママが本格的に病気になったらやっぱり家族はいきなり困窮する。だからこそ、うちのママはメンテなどしなくても丈夫で長持ちするなんていう安易な考えは捨てて、細く長く大切にしてあげないと、と言いたい。
 私のようにポンコツになってしまうと、本当にフォローする相方は大変だ、と思いつつ。

 さて息子が帰省して数日が過ぎた。上げ膳据え膳、朝は起こしてもらえる、汚れ物は自動的に綺麗になり、お風呂もちゃーんと沸いているという極楽生活をバックボーンに、朝は(私たちが出かけたら)二度寝、夕方から出かければ午前様、まさに絵に描いたような青春そのものの日々を満喫している息子。受け入れ側としては大分疲れる。心身ともにストレスが溜まってきた。小言を言われるにつけ、実家の長居は無用とでも思っているだろう。

 何はともあれ我が家も明日から夏休み、である。
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2017.8.14 幸せながん患者であろう

2017-08-14 21:55:12 | 日記
 読売新聞の医療サイトyomiDr.のコラムになるほどなと思うものを見つけた。本ヨミドク堂での本の紹介と著者へのインタビューをまとめたものである。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

『幸せながん患者』森山紀之さん(2017年8月11日)

幸せながん患者になろう 
「幸せながん患者」って、本当にいるのだろうか。気になる書名である。

 著者の森山紀之さんは、初めは外科医として、その後は国立がん研究センターなどで放射線診断医として、40年以上がん医療に携わっている。この間、約1000人以上のがん患者と出会い、そのほとんどの人にがんの告知や余命宣告をしてきた。

 「がんになったことは、もちろん人生におけるアクシデントであり、幸せなことではありません。でも、亡くなった患者さんも含めて、がんと共に生きた日々を『幸せな体験だった』と振り返る方は少なくありません」と強調する。
 がん告知する側の思いが 綴(つづ)られている。「がんと告げられ、平気でいられる人は多くない。告知する時に私(森山さん)が最も気を配るのは、がんであることを患者さん自身にいかに受け入れていただくかです。患者さんは我が身に起きたことから、目を 背そむ けているわけにはいかない。末期がんなどの患者さんは『がんを克服しよう』というよりも、『がんと共に生きよう』というところへ気持ちを持っていかなくてはなりません」

 患者に尋ねられた時、森山さんは余命も告知する。「病名の告知以上にショックを与えてしまうことが多く、患者さんの受け入れる力を探りつつ、言葉を選んで、気を使いながら行っています。お伝えするのは、患者さんが残りの人生をその人らしく生ききるために、残り時間を知ることは欠かせないと思うから。その人の人生を認め、尊重していればこそ、伝えるべきだと思うのです」

「インチキながんビジネス」に踊らされない
 今、がんに対する情報が氾濫している。「不確かな情報に踊らされている限り、幸せながん患者にはなれない」と警告する。
 「インチキながんビジネスや、眉唾ものの民間療法に惑わされないよう、情報を選ぶ時の目の付け所は二つある。まず、情報の科学的根拠が示されているか。次に『絶対』、『100%』、『奇跡の』といった強い言葉が使われている場合は、その情報自体を疑った方がいいですよ」

 確かな情報をバランス良く取り入れることができるかどうかも、幸・不幸の分かれ道になるという。「がん情報の最も確かな情報源は、やはりがん専門医ですが、専門領域がかなり細分化されています。セカンドオピニオンをとる場合、主治医が外科医なら、セカンドオピニオンは専門が違う腫瘍内科医や放射線治療医にも求めることをお勧めします」

 「もし、セカンドオピニオンで主治医と全く異なる治療法が提示された場合はサードオピニオンをとってもいい。ただし、これ以上はお勧めしません。“ドクター・ショッピング”を繰り返して治療が始められず、手遅れになってしまうケースを見てきているので」

 森山さんが出会った、自分の人生を自分らしく生きている「幸せながん患者」には、いくつかの共通点がある。
 「がんである事実にあまり支配されず、『再発の恐怖』や『いつまで生きられるか』という不安と隣り合わせのはずなのに、 悶々(もんもん) とした時間を過ごすようなことはない。仕事でも趣味でも家事でも、がんになる前にやっていたことは、できる限り発病後も続けている。先々のことを思い悩まず、その時が来たら考える、というスタンスで、今できることに集中されています」

突然」と「期限付き」……どちらかの「死」を選ぶなら
 森山さんは、「突然の死」と、余命を知らされるがんの「期限付きで迎える死」を選べるとしたら、「期限付き」の方を選ぶ。「余命〇か月」を精いっぱい使い、お世話になった方々への感謝を伝え、仕事の引き継ぎをしたり、家族と過ごしたりしたいと考えている。

 「がん専門医の中に『死ぬならがんで死にたい』と話す人が多いのも、同じ理由によるものだと思う。死を受け入れることは簡単ではないが、人生の期限が示されることで、残りの人生を自分らしく輝かせようと努力するのは、ある意味で幸せなことではないでしょうか」

 幸せながん患者とは――。「自分らしくがんを生き抜くことのできる人」と森山さんは締めくくった。
 この本にはがんに関する手術、放射線治療、化学療法の長短所に加え、近年、注目を集める免疫療法や保険適用外の放射線治療など、最新情報もがん専門医の本音で紹介されている。(斉藤勝久 ジャーナリスト)

(転載終了)※   ※   ※

 私は幸せだ、幸せだと必要以上に強調するつもりはないけれど、総じて今の自分はとても幸せながん患者の一人ではないだろうか。
 これまで余命をはっきりと聞いたことはないし、今の段階ではまだ訊くつもりもないけれど、ステージ4のがん患者であることは既に充分受け入れているつもりだ。
 そして、主治医にも家族にも職場にも、再発して以降の私の人生を充分に尊重して頂いていると日々感謝している。

 おかげさまで、これまでインチキながんビジネスに踊らされていることもなく、いわゆる標準治療のカードを一つ一つ大切に使わせて頂き、命を繋がせて頂いている。まあ、“100%”、“絶対”、“奇跡”なんて言葉が踊ると通常は胡散臭いものであると思う感覚はまだ失わず、持ち合わせている。

 そして何より、再発転移して以来、再発するかもしれないという恐怖から解き放たれたし、いつまで生きられるかということを思い悩んでみても致し方ないということを十二分に理解している。これはもう神のみぞ知るの範疇であるからだ。だからこそ、これまでの日々、やりたいことをやれるときに精一杯、自分らしく過ごしてきた。そして振り返れば思えば遠くへ来たものだ、なのである。

 考えても如何ともしがたい未来をあまり思い悩まない、悔やんだところで変えることの出来ない過去をこれでもかと反芻しない。そうした病との付き合い方は何度となくこのブログでご紹介してきた。マインドフルネス、今に集中する生き方こそ、一番ストレスフリーなのである。

 そして欲張りかもしれないけれど、仕事も家事も好きなことも手放さずに、出来る範囲で続けている。それ以上に、やりたいことを我慢しないで体調と相談しながらチャレンジするようになった。だからそれなりに忙しい。毎日思い悩んでいる時間などないというのが正直なところだ。

 突然の死か期限付きの死か、どちらかを選ばなければならないなら、やはり準備が出来る後者が究極の選択なのだろうとも思うようになっている。生まれてきたからには永遠の命はないわけだから、病気であろうがなかろうが必ずや最期の瞬間がやってくる。
 そして自分にとってのその時が来たら、きっと情けなく動揺もするだろうし、様々な葛藤もあるだろう。だからこそなるべくその思いが小さくあるように最後まで私らしく、日々を重ねて生きたいと思うのだ。

 「幸せながん患者」-書店で見つけたら手にとってみたい一冊である。 
 


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