勝沼さん、『呉清源とその兄弟』も読んだんだね。
すごいなぁ、早いなぁ、見習わなければ。
勝沼さんの言うとおり、せいぜいマメに記録は取っておきたいと思う。
あっという間に1週間経ってしまったが、遡っての記録。
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25日(土)、面接授業で埼玉SC(大宮)へ。
目黒駅のホームで教会のM先生と偶然の出会い。ドイツへ留学なさって以来だから、もう7~8年も経つのだろうか。
姿も、挨拶を返される様子も、少しも変わりがない。
「石丸さんこそ」
「いえ、私はすっかり髪が減りまして・・・」
「そうですか?私は小さいので、上の方はちっとも見えません」
配慮の中にウィットが隠しようもなく混じるのも同じ、愛餐会での息子達の発言などまで正確に御記憶で、新宿までのわずかな時間の密度が異常に高い。頭の良い人とはこういうものだ。
埼京線の座席に着くと、後からやってきた年配のご夫婦が、こちらと向こうに別れて座った。
隣に座った御主人に、「(奥様と)席を替わりましょうか?」と訊いたら、
「一駅だけですので、それに、いつも一緒にいますから」
ははは、ごちそうさま!
池袋で仲良く下車していき、向かい側の席には制服の女子高校生が残る。
「ロミオとジュリエット」の字が見える文庫本を広げ、大きな欠伸をした。
イヤホンからはどんな音楽が聞こえているのかな。
大宮駅前、プラネタリウムの横をガマンして通り抜け、文化情報ビル内の放送大学フロアへ。
埼玉SCは人の出入りが多く、職員も大変だ。名簿を受け取って早々に教室へ入る。
おまえ医者か?ほんとに医者か?
ふと、そんな声が頭の片隅で聞こえる。
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登録者42名、出席者36名。埼玉県内の他、群馬・千葉・神奈川など近県がほとんどだが、宮城と兵庫から1名ずつの出席者がある。
貴重な土日の休みを使い、こうしてやってくる受講者の学習意欲は当然ながら高い。
『精神医学』という科目の特性上、看護師やカウンセラーなど医療や福祉の仕事に関わる人々が多いことも特徴だ。
そして、当事者やその家族が必ず混じっている。
先月の香川では盲導犬連れのMさんの出席で、教室の雰囲気が和むとともに引き締まった。
今回もまた視覚障害をもつ受講者があり、ただし資料を2倍に拡大することで対処可能という。
このTさんのことを、急ぎ記しておく。
Mさんが生まれながら全盲であったのに対して、Tさんは中年期に至るまで障害とは無縁だった。
2年半前、脳腫瘍が見つかって手術を受けた。それなりに前徴はあったが、病院嫌いもあって発見が遅れ、見つかったときには直径7センチの巨大な腫瘤に成長していた。嗅神経由来の腫瘍は幸い良性のもので腫瘤自体は取り切れたが、嗅覚は失われ、視覚に障害が残った。それより深刻だったのは、生活史に関わる古い記憶の大半が失われたことだ。
教室でも進んで自分を開示してくれたTさんの言葉を、開講時のアンケートから転記しておく。
「(生活史に関する記憶がすっかり失われた結果として)私はいま2歳です。人に教えて戴いて、ただいま記憶作成中です。不眠、不安・・・今後どのように生活していけばよいのでしょうか?」
「TVをほとんど見ない私が、ラジオで先生の「声」を聞いたのが今の私の start です。今はゼロですが、卒業するまで努力していきたいと思います。」
記憶は僕らのアイデンティティの重要な参照枠(frame of reference)だ。自分がどのような者であり、どのような歴史を経て今に至るのか、その問に答える情報を内蔵するデータバンクが記憶なのだ。すっかり正気でありながら、そのように重要な記憶だけが失われることの恐ろしさは、想像するだに難しい。ましてその恐ろしさに耐える人が、自分の「声」に反応してこの場へやって来たというのだ。
夢中で二日間の授業を進める間、例によって大いに質疑を募り、フロア同士のやりとりを促しながら、Tさんにあまり目が行っていなかった。
最前列は意外に盲点でもある。
そして閉講時、まとめテストのアンケート欄の記載。
「せっかく教えて戴いたのに・・・もう一度、しっかり勉強し直して、再チャレンジさせてください。」
「個人的には、精神的にまだ向き合える様な状態ではないことを感じました。涙ぐんでしまい、さぞ先生がやりにくかったことと反省しています。申し訳ありませんでした。」
「ただ、視力が悪い分、声に対してはすごく敏感です・・・」
自己開示してくれたTさんに対し、受講者一同から大きな拍手のプレゼントがあった。
放送大学へ来て本当に良かったと思うのは、この機関が果たす教育的機能もさることながら、むしろその福祉的機能を見るときだ。もちろん、ここで「福祉」というのは、生活者としての人の機能と動機を支えるというほどの、広い意味でのことである。
香川のMさん、5月5日に挙式したA君、埼玉のTさん。
今年は奇しくも目に障害のある人々に出会い、彼らの底抜けの明るさと根性に触れて、官製ではない民の福祉のポテンシャルを知ることが続いている。
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長くなったので、項を分けた方が良いのかもしれないが。
面接授業では必ず学生に教えられ、診療ではきっと患者が学ばせてくれる。31日の診療も、人生の縮図の連続だった。
そこから一つだけ、
自身、決して軽くない症状を抱えて長年苦労してきた女性が、今は癌末期の友人に懸命に寄り添う作業を続けている。若い人の癌は進行が早く、容赦がない。それでも弱音を吐くことなく、いつも穏やかなこの友人が、ぽつりと漏らしたのだそうだ。
「年をとってみたかったな」
不覚、診察室で涙が止まらない。