散日拾遺

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読書メモ 002 黄金の日々

2013-06-24 12:38:23 | 日記
『男子の本懐』がよかったので、この機会に同じ著者の本をと考え、『黄金の日々』を読んでみた。

ずっと昔の大河ドラマ、たぶん1977年頃?(78年だった)の印象が鮮やかだったからだが、小説の方の読後感は正直なところあまりよくない。
というか、率直に言ってひどく悪い。

登場人物が、主人公の助左右衛門以外、ほぼ全員むごたらしい死に方をする。
それはテレビでも似たようなものだったはずだが、マドンナである「美緒」の扱いが違っていることもあってか、小説のほうの結末にはおよそ救いというものがない。

滅んでいく堺が主題であるとすれば仕方がないのかも知れないが、物語の読み手はどんな場合にも、何かしらの希望 ~ 永続性に至る希望を読もうとするものだ。

これにたぶん二つの対照的なやり方があって、
① 人は消えていくが、人の作り出した文化は永続する
② 文化は滅んでいくが、人は(あるいは人の子孫は)生き延びていく

このどちらかが求められるのではないかしらん。

大河ドラマは②を選択したのだが、小説『黄金の日々』だと「堺は滅ぶ、人々は死に絶える」という形になっていて、それが救いのない感じを残すのではあるまいかと思う。

もうひとつ、個々の人物の造形が不十分なように感じられるのは、自分の読みの浅いせいか。それぞれの個性のありようが、今ひとつイメージできない。主人公の助左右衛門からして、窮屈な縛りを嫌ってひたすら広い世界を志向する元気な若者という類型以上に、何も浮かんでこない。キリシタンたちに対する彼の態度にしても、「敬意は払うが、自分は決して信心するつもりはない」というスタンスが最初から最後まで一貫していて、交錯もなければ切り結ぶところもない。

疲れた。

二作を比べれば、断然『男子の本懐』に軍配を上げる。
考えてみれば、似たような食い足りなさはこちらにもあったけどね。

それはそうと、初めての試みとして Kindle 上でハイライトないしメモした箇所を、以下に転記してみる。あくまで自分の備忘なので、立ち寄ってくれた人はどうぞ読み飛ばして下さいませ。

この項、以上です。

*****

町人の町が、町をあげての抵抗であった。(169)

銀銅吹き分け(177)

それを二つながら献上してしまおうという思い切りのよさ。打算とか思惑とかをもうひとつ通り越した大きな賭をして生きているひと、という気がする。(212-213)

「いわさせてくれ」(342-342)
・・・さ入れ言葉だ

大きな茄子を半切りにしたように(357-357)
・・・淡路島の形容、秀逸!

堺でもまだ珍しい渡来獣(482)
・・・ネコのことなんだが、そうなの?

布教を許す代わりに、異人から金銀を受けとったなどといわれては、名折れである。(482)
・・・寺社からはとる理屈が不明

形からすれば義昭の下につく地位(498)

披針役(704-705)
・・・按針の誤植?

「それでいいじゃないのか」(747)
・・・「それでいいのじゃないか」か?

武田信玄には三方原で敗れた(843)
・・・信長は直接敗れてはいない

見れる(901)
・・・ご勘弁

合戦でもあると、すぐに鎧など盗りに走るようでは困る。(1209-1210)

飴色(1245)
・・・どんな色?

安土の面しているのが、湖であって、海でないということが、問題なのである。(1292)
・・・助左右衛門の性格描写として、これは印象的。

船の横幅が縦の半分以上もある設計(1503)

どの顔も明るかった。(1591)
・・・「都市の空気は自由にする」という格言を思い出させる。堺は日本史上例外的な「都市」であったか。

茄子紺(1649)

右近の息子と妹?(^_^)(1669)

なかった(1668-9)

怪しむよりも、まず売りにくる(1788-9)
・・・そんなものだろうか?

賭けるとすれば、秀吉しかない(1916-17)

命を落としている。
・・・穴山梅雪のことだな。(1943)

伊賀衆二百人、甲賀衆百人(1944)

甲斐・信濃(1950)

いずれにせよ、わしにはめでたいことなのだ(1991-2)

右近は先陣を許された(2014)
細川ガラシャへの言及がない。大河ドラマでは島田陽子が好演していた。

少しはわかる気もした。(2079)

弘法大師真蹟千字文(2131)
・・・そんなのがあるのか!

攻め手の囲みを破って持ち出した(2133)

勝家の甥佐久間盛政(2231)

「商人の心得は、紫陽花の色のように生き、一人でも敵をつくらぬことだ」(2420)

「おぬしは、美緒さまの気落ちを傷つけた。それがわからぬのか」(2449)

信長以来の夢(2477)
・・・そうか、つくづく秀吉にはオリジナリティが乏しいことを思う。

髪の抜けた女のように(2536)
・・・!

「わが仏 となりのたから むこしうと いくさのはなし 人のよしあし」(3009)
・・・山上宗二がこれを口にして秀吉を激怒させ、無残な死に至るのだが、もうひとつ文脈との関係がよくわからない。

「中々に 住ずれば又 住みてわたらん 浮き世の事は とてもかくても」(3129)
・・・利休作、いまひとつ趣意がわからないのは、こちらの理解不足であろう。

長崎の金買い占めの件について(3377)
・・・金の買い占めという話だったのか。

見れそうにない(3517)
・・・勘弁してください。

京の着倒れ、堺の建て倒れとはいうが(3564)

(宗薫を殺すよりも、むしろ)宗薫を生かすことで、家康や宗薫に貸しをつくる方を選ぶのではないか。
・・・この発想なら碁も強かろう(3735)

三井寺の周辺には、京都あたりから水筒持参でくり出してきた町人たちが、重箱をつつきながら、多勢にぎやかに戦見物をしている。(3827)
・・・往時は死刑も戦争も「見物」の的だったのだ。

以上


6月23日/ネズミ/6月23日

2013-06-24 11:09:07 | 日記
2013年6月23日(日)の補足

この日が沖縄慰霊の日とされるのは、牛島満陸軍中将(戦死後大将)以下の自決によって組織的戦闘が終結したことに依る。ただ自決の日が22日か23日か、激戦の中それすら定かでない。その後も局地的戦闘が散発的に続いたことを考え、慰霊の日はもっと繰り下げるべきであるとの主張も当然ある。

「この日をその日とする根拠については、異論もある。」

「どの日がその日であるかは、たぶん大きな問題ではない。」

そのように書いたのはその意味で。

これより先、6月6日に自決した大田実海軍少将(戦死後中将)の最後の電文がよく知られている。

http://www.chukai.ne.jp/~masago/okinawa.html
「一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」

特別の高配・・・何をか言わんや

*****

ぐっすり昼寝したのに、夜もまた気持ち良く眠れて・・・

と思ったら、カタカタと鳴る頭上の音に起こされた。

ポルターガイスト?

違うったら、天井裏のネズミだよ。
だけど、この音は大きいな。
次々に位置を変えて、音が近くなって、ちょっと待てよ・・・

立って蛍光灯の紐を引くと、ガタン!と音がして、
「誠養修徳」と大書された額の後ろから、でっかいネズミが飛び出した。
欄間を抜けて次の間へ、そこでまたガタガタやっている。

イタチごっごならぬネズミごっこを何度か繰り返し、仕方ないので隣接する小部屋の蛍光灯をつけっぱなしで寝ることにした。

んで、また爆睡。

最近は5時から6時の間に自然に目が覚めるので、年とったもんだと思っていたが、環境に依るんだね。雨の音に「朝の畑の手伝いはないな」と体も察し、結局8時過ぎまで惰眠をむさぼった。

起きてまずネズミの件を報告。
父と見て回ると、南向き二畳の部屋の天井に径4㎝ほどの大穴が空いている。
以前にいったん塞いだ穴の、固い樹脂板をものともせず再開通させたのだ。
見れば、いたるところの建具が塞いだ穴だらけ、やれやれ。

民話があったな、ネズミの婿取りの。
できるだけ偉いお婿さんを娘に見つけたいと思って、
お日様に訊いたら、「私を隠す雲の方が偉い」
雲に訊いたら、「私を吹き飛ばす風の方が偉い」
風に訊いたら、「私を遮る壁の方が偉い」
壁に訊いたら、「私を囓って穴あけるネズミの方が偉い」
で、めでたくネズミのお婿さんはネズミに決まりましたとさ。

*****

今年の6月23日は、都議選投票日。
予想通りの結果。

「投票した候補が当選しない」記録、またも更新。
有権者デビューした次男も、黒星スタートらしい。

別にいいんだよ、自分の考えと違っていたって。
だけど、この結果は皆のためになりはしない。
たぶんね。

あ、鶯が鳴いた。

週末西行/ミサと礼拝/プロペラ機で瀬戸内海を越える

2013-06-24 09:58:25 | 日記
2013年6月21日~23日

金曜の診療後に関西へ移動。

最寄り駅まで長男の迎えあり、夜食などふるまってくれる。
自炊の(本をバラしてスキャンする話ではなくて、料理の)腕が会うたびに上がっているのが、異次元生物を見る感覚だ。
好きこそものの上手なれ、これ至言。

*****

土曜日、大阪SCで卒論/修論ガイダンス。
午前の卒論は30~40人、午後の修論は70人ほども集まったのだろうか。
レベルはさまざまだが、皆、熱心このうえない。
放送大学で仕事する楽しさは、心から勉強したがっている人間が集まっているところにある。それだったら、いくらでもつきあうよ。これがほんとの大学というものだ。

*****

日曜日、京都・岩倉村のこと。
ベルギーのゲールに匹敵する精神障害者のコミュニティが、ついこの間までこの地にあった。それが立ちゆかなくなったのは戦時下の窮迫ゆえであり、戦後も悲しいかな、復興に至らなかった。

妻の実家の人々とともに、カトリックのミサにあずかる。
僕自身はプロテスタントなので、「それってありなの?」みたいなことを時々きかれるが、「あり」なんじゃないのかな。ていうか、「何でナシなの?」と訊きたい。

本質的なところでは、違和感なんかありはしない。ただ、ミサは聖歌集やらプリントやら手元資料がいろいろあって、どれを参照すればいいか慣れないと判りにくい。そういうつまらないレベルでアウェーな感じにさせられるのが、残念なだけである。あとは、茶事を連想させる司祭さんの所作が面白いぐらい。実際、茶事に影響を与えたんじゃないのかな。戦国末期の堺あたりの状況を考えれば何の不思議もないことで。

カトリックの信徒が御聖体をいただく時は僕らも列に連なり、順番が来たら聖体は受けとらず、司祭から祝福だけをいただく。逆にカトリックの信徒がプロテスタントの礼拝に出た時には聖餐OKが普通なので、内心いささか得意の念があったりする。

アメリカ滞在中には、よく驚かれた。「日本ではそれって問題ないの?」って。
キリスト教がマイナーである国で信徒であることの幸いを、つくづく感じたものだった。

せっかく歴史を学ぶのに、もったいないなと思うんだよ。
カトリックとプロテスタントは、キリスト教の大きな歴史の中では「西方教会」に属する同根の兄弟なのだ。ただ500年ほど前、この大きな家族を少々危機的な状況が襲った時、これを克服する路線の違いから群が大きく二つに割れた。お互い真剣であるだけに、軋轢も深刻だった。渦中にあり現場にあった人々にとって、和解も容易ではなかったろうが、地球の裏側の異教の日本くんだりで、軋轢までも義理堅く継承することはない。500年の軋轢より、2000年の一致を重しとせよ。歴史を学ぶ功徳はそういうところにあるんじゃないか。

それにつけてもCMCC万歳!あれは完全にエキュメニカルなNPO活動なんだからね。

そういえば、今日のミサではニケア信条を使っていたな。これは(文言上の厄介な問題はあるものの)東方教会までも含む、全キリスト教徒共通の信仰告白なんだから、これを使うのは立派な見識だ。ただ、日本語訳がちょっとヘンだったけど。

*****

日曜日の午後、伊丹から松山へ。

久しぶりにプロペラ機に乗った。
プロペラ直近の座席で騒音を警戒したが、何ほどでもなかったのは技術の向上なんだろう。

畑まわりの手伝いをするつもりで乗り込んだのに、家に着くなり2時間ほども午睡してしまった。田舎の爽やかな空気と静かさは、いつでも気持ちの良い眠りを誘う。

ああよく寝た!