『男子の本懐』がよかったので、この機会に同じ著者の本をと考え、『黄金の日々』を読んでみた。
ずっと昔の大河ドラマ、たぶん1977年頃?(78年だった)の印象が鮮やかだったからだが、小説の方の読後感は正直なところあまりよくない。
というか、率直に言ってひどく悪い。
登場人物が、主人公の助左右衛門以外、ほぼ全員むごたらしい死に方をする。
それはテレビでも似たようなものだったはずだが、マドンナである「美緒」の扱いが違っていることもあってか、小説のほうの結末にはおよそ救いというものがない。
滅んでいく堺が主題であるとすれば仕方がないのかも知れないが、物語の読み手はどんな場合にも、何かしらの希望 ~ 永続性に至る希望を読もうとするものだ。
これにたぶん二つの対照的なやり方があって、
① 人は消えていくが、人の作り出した文化は永続する
② 文化は滅んでいくが、人は(あるいは人の子孫は)生き延びていく
このどちらかが求められるのではないかしらん。
大河ドラマは②を選択したのだが、小説『黄金の日々』だと「堺は滅ぶ、人々は死に絶える」という形になっていて、それが救いのない感じを残すのではあるまいかと思う。
もうひとつ、個々の人物の造形が不十分なように感じられるのは、自分の読みの浅いせいか。それぞれの個性のありようが、今ひとつイメージできない。主人公の助左右衛門からして、窮屈な縛りを嫌ってひたすら広い世界を志向する元気な若者という類型以上に、何も浮かんでこない。キリシタンたちに対する彼の態度にしても、「敬意は払うが、自分は決して信心するつもりはない」というスタンスが最初から最後まで一貫していて、交錯もなければ切り結ぶところもない。
疲れた。
二作を比べれば、断然『男子の本懐』に軍配を上げる。
考えてみれば、似たような食い足りなさはこちらにもあったけどね。
それはそうと、初めての試みとして Kindle 上でハイライトないしメモした箇所を、以下に転記してみる。あくまで自分の備忘なので、立ち寄ってくれた人はどうぞ読み飛ばして下さいませ。
この項、以上です。
*****
町人の町が、町をあげての抵抗であった。(169)
銀銅吹き分け(177)
それを二つながら献上してしまおうという思い切りのよさ。打算とか思惑とかをもうひとつ通り越した大きな賭をして生きているひと、という気がする。(212-213)
「いわさせてくれ」(342-342)
・・・さ入れ言葉だ
大きな茄子を半切りにしたように(357-357)
・・・淡路島の形容、秀逸!
堺でもまだ珍しい渡来獣(482)
・・・ネコのことなんだが、そうなの?
布教を許す代わりに、異人から金銀を受けとったなどといわれては、名折れである。(482)
・・・寺社からはとる理屈が不明
形からすれば義昭の下につく地位(498)
披針役(704-705)
・・・按針の誤植?
「それでいいじゃないのか」(747)
・・・「それでいいのじゃないか」か?
武田信玄には三方原で敗れた(843)
・・・信長は直接敗れてはいない
見れる(901)
・・・ご勘弁
合戦でもあると、すぐに鎧など盗りに走るようでは困る。(1209-1210)
飴色(1245)
・・・どんな色?
安土の面しているのが、湖であって、海でないということが、問題なのである。(1292)
・・・助左右衛門の性格描写として、これは印象的。
船の横幅が縦の半分以上もある設計(1503)
どの顔も明るかった。(1591)
・・・「都市の空気は自由にする」という格言を思い出させる。堺は日本史上例外的な「都市」であったか。
茄子紺(1649)
右近の息子と妹?(^_^)(1669)
なかった(1668-9)
怪しむよりも、まず売りにくる(1788-9)
・・・そんなものだろうか?
賭けるとすれば、秀吉しかない(1916-17)
命を落としている。
・・・穴山梅雪のことだな。(1943)
伊賀衆二百人、甲賀衆百人(1944)
甲斐・信濃(1950)
いずれにせよ、わしにはめでたいことなのだ(1991-2)
右近は先陣を許された(2014)
細川ガラシャへの言及がない。大河ドラマでは島田陽子が好演していた。
少しはわかる気もした。(2079)
弘法大師真蹟千字文(2131)
・・・そんなのがあるのか!
攻め手の囲みを破って持ち出した(2133)
勝家の甥佐久間盛政(2231)
「商人の心得は、紫陽花の色のように生き、一人でも敵をつくらぬことだ」(2420)
「おぬしは、美緒さまの気落ちを傷つけた。それがわからぬのか」(2449)
信長以来の夢(2477)
・・・そうか、つくづく秀吉にはオリジナリティが乏しいことを思う。
髪の抜けた女のように(2536)
・・・!
「わが仏 となりのたから むこしうと いくさのはなし 人のよしあし」(3009)
・・・山上宗二がこれを口にして秀吉を激怒させ、無残な死に至るのだが、もうひとつ文脈との関係がよくわからない。
「中々に 住ずれば又 住みてわたらん 浮き世の事は とてもかくても」(3129)
・・・利休作、いまひとつ趣意がわからないのは、こちらの理解不足であろう。
長崎の金買い占めの件について(3377)
・・・金の買い占めという話だったのか。
見れそうにない(3517)
・・・勘弁してください。
京の着倒れ、堺の建て倒れとはいうが(3564)
(宗薫を殺すよりも、むしろ)宗薫を生かすことで、家康や宗薫に貸しをつくる方を選ぶのではないか。
・・・この発想なら碁も強かろう(3735)
三井寺の周辺には、京都あたりから水筒持参でくり出してきた町人たちが、重箱をつつきながら、多勢にぎやかに戦見物をしている。(3827)
・・・往時は死刑も戦争も「見物」の的だったのだ。
以上
ずっと昔の大河ドラマ、たぶん1977年頃?(78年だった)の印象が鮮やかだったからだが、小説の方の読後感は正直なところあまりよくない。
というか、率直に言ってひどく悪い。
登場人物が、主人公の助左右衛門以外、ほぼ全員むごたらしい死に方をする。
それはテレビでも似たようなものだったはずだが、マドンナである「美緒」の扱いが違っていることもあってか、小説のほうの結末にはおよそ救いというものがない。
滅んでいく堺が主題であるとすれば仕方がないのかも知れないが、物語の読み手はどんな場合にも、何かしらの希望 ~ 永続性に至る希望を読もうとするものだ。
これにたぶん二つの対照的なやり方があって、
① 人は消えていくが、人の作り出した文化は永続する
② 文化は滅んでいくが、人は(あるいは人の子孫は)生き延びていく
このどちらかが求められるのではないかしらん。
大河ドラマは②を選択したのだが、小説『黄金の日々』だと「堺は滅ぶ、人々は死に絶える」という形になっていて、それが救いのない感じを残すのではあるまいかと思う。
もうひとつ、個々の人物の造形が不十分なように感じられるのは、自分の読みの浅いせいか。それぞれの個性のありようが、今ひとつイメージできない。主人公の助左右衛門からして、窮屈な縛りを嫌ってひたすら広い世界を志向する元気な若者という類型以上に、何も浮かんでこない。キリシタンたちに対する彼の態度にしても、「敬意は払うが、自分は決して信心するつもりはない」というスタンスが最初から最後まで一貫していて、交錯もなければ切り結ぶところもない。
疲れた。
二作を比べれば、断然『男子の本懐』に軍配を上げる。
考えてみれば、似たような食い足りなさはこちらにもあったけどね。
それはそうと、初めての試みとして Kindle 上でハイライトないしメモした箇所を、以下に転記してみる。あくまで自分の備忘なので、立ち寄ってくれた人はどうぞ読み飛ばして下さいませ。
この項、以上です。
*****
町人の町が、町をあげての抵抗であった。(169)
銀銅吹き分け(177)
それを二つながら献上してしまおうという思い切りのよさ。打算とか思惑とかをもうひとつ通り越した大きな賭をして生きているひと、という気がする。(212-213)
「いわさせてくれ」(342-342)
・・・さ入れ言葉だ
大きな茄子を半切りにしたように(357-357)
・・・淡路島の形容、秀逸!
堺でもまだ珍しい渡来獣(482)
・・・ネコのことなんだが、そうなの?
布教を許す代わりに、異人から金銀を受けとったなどといわれては、名折れである。(482)
・・・寺社からはとる理屈が不明
形からすれば義昭の下につく地位(498)
披針役(704-705)
・・・按針の誤植?
「それでいいじゃないのか」(747)
・・・「それでいいのじゃないか」か?
武田信玄には三方原で敗れた(843)
・・・信長は直接敗れてはいない
見れる(901)
・・・ご勘弁
合戦でもあると、すぐに鎧など盗りに走るようでは困る。(1209-1210)
飴色(1245)
・・・どんな色?
安土の面しているのが、湖であって、海でないということが、問題なのである。(1292)
・・・助左右衛門の性格描写として、これは印象的。
船の横幅が縦の半分以上もある設計(1503)
どの顔も明るかった。(1591)
・・・「都市の空気は自由にする」という格言を思い出させる。堺は日本史上例外的な「都市」であったか。
茄子紺(1649)
右近の息子と妹?(^_^)(1669)
なかった(1668-9)
怪しむよりも、まず売りにくる(1788-9)
・・・そんなものだろうか?
賭けるとすれば、秀吉しかない(1916-17)
命を落としている。
・・・穴山梅雪のことだな。(1943)
伊賀衆二百人、甲賀衆百人(1944)
甲斐・信濃(1950)
いずれにせよ、わしにはめでたいことなのだ(1991-2)
右近は先陣を許された(2014)
細川ガラシャへの言及がない。大河ドラマでは島田陽子が好演していた。
少しはわかる気もした。(2079)
弘法大師真蹟千字文(2131)
・・・そんなのがあるのか!
攻め手の囲みを破って持ち出した(2133)
勝家の甥佐久間盛政(2231)
「商人の心得は、紫陽花の色のように生き、一人でも敵をつくらぬことだ」(2420)
「おぬしは、美緒さまの気落ちを傷つけた。それがわからぬのか」(2449)
信長以来の夢(2477)
・・・そうか、つくづく秀吉にはオリジナリティが乏しいことを思う。
髪の抜けた女のように(2536)
・・・!
「わが仏 となりのたから むこしうと いくさのはなし 人のよしあし」(3009)
・・・山上宗二がこれを口にして秀吉を激怒させ、無残な死に至るのだが、もうひとつ文脈との関係がよくわからない。
「中々に 住ずれば又 住みてわたらん 浮き世の事は とてもかくても」(3129)
・・・利休作、いまひとつ趣意がわからないのは、こちらの理解不足であろう。
長崎の金買い占めの件について(3377)
・・・金の買い占めという話だったのか。
見れそうにない(3517)
・・・勘弁してください。
京の着倒れ、堺の建て倒れとはいうが(3564)
(宗薫を殺すよりも、むしろ)宗薫を生かすことで、家康や宗薫に貸しをつくる方を選ぶのではないか。
・・・この発想なら碁も強かろう(3735)
三井寺の周辺には、京都あたりから水筒持参でくり出してきた町人たちが、重箱をつつきながら、多勢にぎやかに戦見物をしている。(3827)
・・・往時は死刑も戦争も「見物」の的だったのだ。
以上