散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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2013-06-15 09:29:24 | 日記
勝沼さんのコメントに今日も学ぶ

・・・ところで、乙武洋匡さんが事前の連絡なしで小さなレストランに行って入店を断られツィッターで店名をあげて批判したことが大きな騒ぎになったのはご存知でしょうか?
 もちろんお店の対応は批判されるべきことですが、乙武さんが店名を出したことでお店に嫌がらせが起きたこともあり、様々な意見が飛び交いました。「乙武洋匡 レストラン」などで検索すると今でも詳しい情報を見ることができます。
 私としては、お店が悪いのか乙武さんが悪いのかという議論が起こる中での宮台真司の「周囲の他の客や通りすがりの人が支援しないことが問題」という意見に一番心を動かされました。
 ノーマライゼーションとは福祉の制度や物理的な環境だけでなく、市民一人一人がちょっとだけの労力をそれが必要な人に気軽に費やすことなのではないかと思いました。

騒動のあらましと宮台真司の意見のラジオの動画はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=w8IFIzBH-c0

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結句に100%同感。
で、小咄をひとつ。

カナダ人 
「アメリカの道路って、遅れてるわよね、段差がいっぱい。カナダの道路には段差なんかないわ。」

スウェーデン人
「へぇ、そうなんだ。スウェーデンの道は段差だらけだけど問題ないね。誰かが困ってたら、すぐに皆が集まってきて助けてくれるから。」


あと、もうひとつ思い出した。

10年ぐらい前の桜美林大学には、まだエレベーターのない古い建物があった。
車椅子の学生は、営繕や雑務のために入っている業者に頼んで、担ぎ上げたり担ぎ降ろしたりしてもらっていた。

ある日、僕の授業が終わった後で車椅子の学生が教室にひとり残され、業者が来てくれるのを待っている。やがてやってきたオジサン達の一人が、
「何だよ、大学にはこんだけたくさん若い者がいるのに、誰も降ろしてやんねぇのかい」

桜美林は気の良い学生が多いから、声がかかれば手には不自由しなかったろう。
でも誰かが声をかけないと始まらないし、「声をかける」ことへの心の準備に関しては、悔しいけれどアメリカ人にはだいぶ遅れている。

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T君が久々にブログを見て、2週間前のネタに反応をくれた。

キャリー・パミュパミュを舌を噛まずに発音するコツは、本人がテレビで言ってました。
二つのパにアクセントを置いて、しかも一瞬、間をおくそうです。
試してみたら大正解でした。

ほんとだ!

それにしてもT君、忙しいのにちゃんとTV見てるんだね。
ついでにブログも見て、もっとコメント頂戴ませ。


『男子の本懐』読了/通り良き管

2013-06-15 08:41:24 | 日記
『男子の本懐』

kindle 読書の1冊目

面白かった。
というか、良かった。

浜口雄幸が東京駅頭で撃たれた後「男子の本懐である」と語った逸話、彼が民政党の雄として政友会の向こうを張っていたこと、その程度しか知らなかった自分を恥じる。

人物としては対照的な浜口と井上準之助が一対の盟友となり、金解禁=金本位制復帰の難事業に日本の将来を託して、命を的に取り組んでいく。巨大な外科手術のようなもので、金解禁の準備のための緊縮財政下にデフレは深刻化し、予算を削られる全ての分野から一斉に非難が挙がるから、国中を敵に回すようなものだ。軍は反発し、財界は悲鳴を上げる。しかし彼らは、それが一時の症状悪化の後に経済の健全をとりもどす根治療法であることを、信じて疑わなかった。

僕は経済音痴なので、この方向性が歴史的に正しかったかどうか、残念ながら判断できない。ケインズとその方式が登場するのはこの直後のことだろう。高橋是清は井上準之助と正反対の路線をとったが、高橋もまた信念の人だった。ケインズ流の当否をテーマに浜口・井上と犬飼・高橋が堂々の論戦を展開したら素晴らしかったのにと、荒唐無稽に思い描いてしまう。その徴候は帝国議会の場で既に見られていた。

しかし、

昭和5年11月に浜口が撃たれる。
昭和6年8月、浜口死去。9月、満州事変勃発。12月、犬養毅の政友会内閣成立。
成立と同時に犬飼・高橋コンビは金本位制から再離脱するが、そのことはもはや政争とテロルの焦点ではなくなっていた。
昭和7年2月、前・蔵相の井上が撃たれ即死。そして5月には、五・一五事件。
組閣からわずか5ヶ月、犬飼の政策ではなくその存在自体が銃の的にされたのだ。

信念をもった政治家という人種が、日本にも確かに存在した。
その最良の部分が一年半の間にすべて摘み取られ、ようやく育ちつつあった政党政治は無残につぶされた。
ひとり残った高橋是清にとって、昭和11年2月26日までの4年間はどんな日々だったか。

殉難時、浜口雄幸62歳、井上準之助64歳、高橋是清84歳。
浜口は、明治生まれの最初の総理大臣だった。
維新後の世代が政治の舵を取る時代に、ようやくさしかかろうとしていた。

*****

このところ金曜日に毎週来られるOさん、この間は「私、ここに何しに来てるんでしょう?」と
言い出した。

この人のこういうところが良いんだな。
統計上は老年女性ということになるんだが、ひたむきさや好奇心、どこまでも自分の頭・自分の言葉で考えるところなどは、永遠の青年というにふさわしい。

先日は讃美歌の話になって。

「通り良き管(くだ)」という表現が教会の一部にある。
うちの教会のMさんもお祈りなどで使う表現で、自分の思いを介在させるのでなく、神の啓示と恵みをそのまま伝えるメッセンジャーでありたいというココロだ。

だけどOさんは、この表現が気に入らないんだね。
「何だかドカン(土管)みたいで」
とおっしゃる。
「もっと良い言葉はないのかしら」

昨日はOさんの教会で使う聖歌集からコピーを持ってきてくださった。
原曲はイギリスのもので、「管」の原語は channel らしい。

"Is your life a channel of bessing?"

あるいは

"Make me a channel"

などと付記されている。

channel かぁ・・・

これって、もともとは水路なんだよね。転じて「航路」から「しっかり確立されたルート」というような意味になる。スエズ運河 canal が開通して、ヨーロッパとインドを結ぶ channel ができたという具合。

確かに「管(くだ)」ではちょっと矮小かなぁ、しかし対案を立てるとなると、難しいんだよな。

宿題だ。難問だ。