散日拾遺

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父の魂胆、ネズミの困難/二畳間立志伝

2013-06-26 11:24:27 | 日記
「魂胆」という言葉は、現在ではろくでもない意味に使われることがほとんどだ。
「ははぁ、そういうコンタンか」「コンタンが見えすいている」等々、バックレの背後に透けて見える本音という意味だよね。
だが「魂」「胆」という字面をあらためて眺めてみれば、いずれ劣らず堂々たる人の真価に関わる文字である。その組み合わせには、たぶん本来もっとマシな意味があるのだろう。

あくまでそのような意味での、「父の魂胆」である。

どうやら、後片づけにかかっているらしい。
人生の後片づけ、である。

大量の写真やメモ、古い書籍や雑誌が出てくるたびに、
「こんなものは、置いといても役に立ちゃあすまい?」
と、相談とも確認ともつかない問を投げる。
「焼いてしまうか」
「待ってよ、古い記録は貴重だよ」
「置いといたって、誰も見やぁすまいが」
「そんなことないよ、現に僕が見てるじゃないの」
「置いといたって、役に立ちゃぁせん」

押し問答である。

しかし実際、貴重なのだ。
家族の写真や記録が、家族の歴史にとって、重要な資料であるのは言うに及ばず。

たとえば、祖父(=父の父)が南支派遣軍の将校として、中国大陸を10年にわたって転戦する間の写真や、現地で作成されたガリ版刷りの広報冊子。
あるいは、地主であった曾祖父(=父の父の父)が細かく記した、年貢米の取り立て帳。
これらはそれ自体、貴重な歴史資料ではないか。

保存状態の良いのにも驚かされる。
銀塩フィルムに記録された白黒写真は、概して解像度が高いうえに劣化しにくい。
最近のデジタル写真が、お手軽に印刷できてもみるみる褪色していくのと好対照だ。
曾祖父が精魂込めて縄張りした日本家屋は築80年を経てびくともせず、僕自身よりも間違いなく長生きするだろうと思われる。
その屋敷の中に、この種の古い記録がひと塊、眠っている。
医者になるのでなければ歴史をやってみたかった僕などには、宝の山に見えるのだ。

しかし、いま父の目は「捨てる」方向に向かっている。
物を捨てられない僕と違って、もともと思い切りの良い面はあったが、今回の「ブーム」にはそれを超えた意図があるらしい。
身辺をさっぱりと片づけて、旅立ちの支度をするつもりなのであろう。

その魂胆や良し、もって範とすべし。ここにも死生学の実践がある。
だけど、捨てちゃダメだよ、もったいないよ。

さぁ急がなくちゃ。
親父さんが物を捨てる時は、電光石火だからな。

競争だ。

*****

ネズミの通過する穴がひとつ、南側の二畳間の天井に見つかったことは先に記した。
もちろん、穴はすぐ厳重に塞いだ。
二畳間ってのは妙なようだが、昔の家にはけっこうあったんだよ。
玄関脇などにあって、下男・下女(ひょっとして今は使えない言葉?)の居室などとしてよく使われたようだし、もちろん家族が使うこともある。

松江の小学校時代に住んでいた社宅にこれがあって(もちろん下男も下女もいない、部屋だけだ)、僕は机を置いて勉強部屋にしていた。
子どもにはさほど狭くも感じられず、大人であっても必要なものだけをもちこんで作業に没頭するには、なかなか良いのである。二畳あれば作業はできる。四畳半なら生活できる。どちらも正方形、基本単位だ。
「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」・・・ well said!

六月の帰省は、目覚ましい勢いで伸びる草々を草刈り機で制するのが主な目的。
初日は屋敷内の、二日目はミカン畑の、若竹や雑草と格闘した。
三日目は飛び地の小果樹園で草刈りの予定だったが、梅雨の本降りに降り込められたのを幸い、二畳間を掃除する。
聞けば旧制中学校入学当初の2カ月ほど、父はこの部屋を使い、ここから20数km南のM市まで通学したんだと。70年以上前の話だ。

本棚や引出しから、古いもの、新しいものが、出てくること、出てくること。
野上弥生子『秀吉と利休』!
これ、先週神田の三省堂で「絶版」と知って絶句したんだよ。
仕方なく、邦光史郎の『利休と秀吉』を読み始めたところだった。
だから掃除は楽しいのさ。

*****

そういえば今日は、朝っぱらからネズミが足もとを駆け抜けた。
二畳間の天井の塞いだ穴を見上げて、ふと思いつく。
夜行性のネズミが、朝からうろうろしてるなんて、変じゃないか。
穴は塞いだのに、どこから出てくるんだろうと思ったが、そうか、逆なんだな。
穴を塞がれたので天井裏に戻れなくなって、台所の隅あたりに縮こまっているんだろう。

フクロのネズミ、だけど、窮鼠は猫を噛む

さて、どうしたもんだろうか。

知恵比べだ。