散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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たちばな日記 001

2013-06-25 14:57:40 | 日記
「たちばな」という医者がいる。
立花?橘?どっちだろう。

彼の主たる「現場」は、「あかつきクリニック」という。

「たちばな」は、かつて右肩に大きな怪我を負ったことがあって、それ以来彼にひとつの幻が住みついている。

フクロウが一羽、ふと気づくと「たちばな」の右の肩に乗っている。
時に重く、時に痛い。
しばしば口うるさく、かと思えば黙り込み、常に何やかやと考えては口にする。

この小さな化鳥と共に「たちばな」は「現場」にいる。

・・・ということにさせていただいて


2013年6月14日(金)

ドカン(土管)のOさんから、『がん哲学外来の話』を紹介される。
豊かな内容で、なまなかな精神医学書よりよほどタメになる。

Mさんは、今のつらさをこらえるのに、しばしば水野源三の詩を読むという。
水野源三が誰だか、恥ずかしながらMさんに教わるまで知らなかった。
星野富弘とよく似た境遇の人と思われる。
wounded healer は、いつでもどこにでもいる。

セレブのマダムと括られても文句の言えないMさんと、これら wouded healers の対照は、不思議と言えば不思議でほとんど滑稽の域。どんなとりあわせも可能なのだ。

T青年は図書館司書講習に興味を示すが、インターネットで検索してもF大学が出ないという。そんなこともないはずだが、事実ならちょっとした都市伝説候補かな。

10年越しの苦境から脱出しつつあるNさんが、「心配をかけると思うと」母の前で泣けないという。
お母さんに診察室へ入ってもらって、このことを伝えてみる。
「バカねぇ」と一言。
一歩前進。

*****

初めは「現場から」と題してみようかと思った。
しかし、現場とは何の現場かというと、何だろう?
いわゆる診察室の中だけに現場があるのではない、というのはもちろんのことで。

サリヴァンが Psychiatric Interview 『精神医学的面接』をものすにあたって、その対象に含めたあらゆることと、ちょうど重なる現場だと言っておいたらどうだろうか。

そうか、サリヴァンの原著購読会を「塾」でやってもよいのだ。
サリヴァンは、中井先生とその一門による翻訳シリーズが「みすず」から出ているが、これはいわば「超訳」でしばしば原著からは過激に飛躍している。
サリヴァンをベースにした、中井(ら)の著作と言った方が良いようなものだ。

素晴らしすぎて首をかしげる、翻訳の難しさである。

*****

Gさんのこと。
ねっちりした、独特の個性を漂わす女性。

この人は、周辺視野の視力が恐ろしく良い。
たとえばゼミの際、横に座っている僕の一挙手一投足に、きわめて迅速かつ正確に反応する。目の端で見られていると思うと少々落ち着かないほどで、正対して視線を合わせながら話している時のほうがはるかにリラックスできる。こういう人に、他所でも出会っているはずだが、誰だったかというと思い出せない。

ある日のディスカッションの中で、Gさん自ら生い立ちの一半を語った。九州の出身で、父親が「粗暴かつ癇癪持ちで、いつもその顔色をうかがっていた」という。周辺視野が敏感になるのも道理か。

しかし彼女に兄弟姉妹があったとして、他の面々が皆、同じであるかどうかはわからない。人を論ずるに生い立ちを抜きにはできず、しかも生い立ちが全てを説明するわけではない。仔細かくのごとし。

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6月16日(日)父の日。日本ラグビー、ウェールズに初勝利

友人Uが語ってくれた逸話。

ある人が夢を見た。
大事にしているお人形が、人に悪さをする夢。
目覚めてから気持ちが落ち着かず、この人形を捨ててしまった・・・

この話を聞かされたUは、直ちにある仮説を抱く。
夢から出発して本人に連想を語らせて、共にその糸をたぐっていき、ほどなく仮説の正しさを確認した。
それに基づく助言が、おそらくはトラブルを未然に防いだと思われる。

これ以上詳しくは書けない。
夢分析の専門家(誰だ?)にとっては新しみのない話かもしれないが、僕にはひどく印象的であった。

夢がかくもシンプルかつ鮮やかに、隠された心理/真理を示していること。
これを聞いたUが、論理的にも倫理的にも申し分のない対処をしていること。
語った本人とU(註:本人は女性、Uは男性である)の間に確かな信頼関係が成立しており、そのように最もふさわしい条件下で自由連想が進められていること。
Uが心理臨床の「専門家」ではなく、本人も職業的クライエント(?)としてUに出会っているのではないこと。
解釈のための解釈に落ちず、あくまで実践的な効用を指向し、そのように結実していること。
ついでに言うなら、僕自身は四半世紀以上も精神科臨床に携わっていながら、これほど見事な夢解きを経験した覚えがないこと。

これら全てが、この逸話と畏友Uを眩しく飾っている。
フロイトもサリヴァンも祝福することだろう。


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父の日の朝、ひとり者の制作部K氏よりメール。
ここ数日、胃痛で難渋していたがどうやら楽になった。

というのも昨日、インド映画「きっと、うまくいく」を見て感動したからで、あまりによかったので今日これから、もう一度見に行くのだという。

つい最近、似た話を聞いた。
パニック障害から回復中の女性だが、「図書館戦争」があまりによかったので、日を改めて再度見たというのである。

DVD隆盛の今日だが、「ツタヤで借りて繰り返し見る」のではなく、「繰り返し映画館に足を運ぶ」ファンがいるのである。K氏の胃痛は十中八九、心身症と考えられるから、二つの逸話は基本的に同一のストレス対処方略の例といえそうである。

この場合「繰り返し足を運ぶ」ことに、実は大きな意味がありそうに思う。
通信制の放送大学であっても、困難を押してゼミに出席する者ほど一般に「予後」がよい。このことも、もちろん同根の事象だ。
「身代わり観音」の治癒機転について、フレイザー『金枝篇』を援用しながら論じてみたことがあったように記憶するが、これと関連づけることができるだろうか?

最近サボってるからな・・・

「怠け者、ホッホッ!」

肩先でフクロウが囀っている。

*****

越後湯沢の出席者の中に、息子に自死された父の姿があった。

フクロウよ、教えてくれ

どんな勤勉が、この人々への声のかけ方を僕らに学ばせるのか?

ホッホッホッ・・・

ヤモリとネズミと田園の朝

2013-06-25 09:28:58 | 日記
田舎の静かな夜、夕食の小さな楽しみがヤモリである。
食堂の東の磨りガラスに、ヤモリが1匹、あるいは3匹、貼りついているシルエットを腹側から見上げるのが、多年続いてきた団欒の眺め。

ヤモリの方にもちゃんと理由があって、室内から漏れる光に惹かれて蛾だの何だのがやってくる、それを待ち伏せるのが効率よい捕食法であるのに違いない。
ツバメなどと同じく、人と共に住むことでなにがしかの利得を得ているのだな。
飼い犬・飼い猫、ゴキブリ、そしてネズミもこの系列だ。

夏の帰省で見慣れたヤモリは、もう少し長くてスマートだったような。
6月のヤモリは、ぽってりずんぐりして尾が短いようだ。
中に1匹、特別しっぽの短いのがいるが、ひょっとしてトカゲのようにヤモリも尻尾を切り離すことがあるのかいな?

ほい、蛾をひとつ捕まえた。
仲間が寄ってくるが、「やらないよ」とそっぽを向いたようである。

*****

昨夜のネズミはさらに強力。
ブログをこねくっている僕の3メートル向こう、畳の真ん中を横切って台所に入っていった。どっちが主(あるじ)なんだか。

アメリカの医学生が描いたという、傑作な一コマ漫画を思い出した。
レバーを押すと餌が出る、いわゆるオペラント条件付けの飼育箱内で、ネズミが得意げに仲間に話している。
「レバーを押したら餌を出すように、人間どもを条件付けてやったのさ」

さてしかし、これはちょいと難物だ。

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全国どこにいてもブログが書けて、全国どこからでも勝沼さんのコメントの読める便利さ。

なるほど、先方が当方に対する関心を失っちゃってるのね。

「6月23日の偶然」、そうなんですよ。
これは単なる co-incidence なんだろうか。
想像力次第で、路傍の石も啓示の碑に化けるだろう。

蛙が鳴いたよ。
先週、田植えを終えたばかりの、わが田園風景。


S君からフランス情報/ラジオ収録

2013-06-25 08:07:13 | 日記
6月18日(火)二題

話が戻って失礼します。
書きかけていたのに、例によってバタバタで投稿できなかったのだ。

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まず、S君からの情報。
多々ある所感は省略し、届けてくれたものをそのまま掲載しておく。

2013年6月17日深夜NHK浅野素子パリからの最新情報「バカロレアの問題」「今年のバカンス事情」「70歳ジョニー・アリディ」

(1)今年6月のパリは天気が悪く、この1週間も雨ばかり。そんな中6月17日(月)からバカロレア(大学入学資格統一国家試験)が始まった。今年は66万4千人の受験者。最初の科目は哲学で、4時間一つの問題に答案を書く。今年の試験問題は、一般バカロレアの科学(理科)系(Scientifique)は「政治に関心を持たないでモラルを保つことができるか?」、人文系(Littéraire)は「言語は道具でしかないか?」、経済・社会系(Economique et sociale)は「私たちは国家に何を負うのか?」。受験生の半数が科学系を選択している。今年は13~91歳の受験者がいる。91歳はこれまでで最年長。

(2)フランスでは今週が終わるとバカンスがはじまる。しかし欧州の経済状態が悪く、今年は62%の人のみがバカンスにでかける。昨年より8%低下。(ドイツ、イタリアでは52%、スペインでは42%)。日数は10~14日と短くなり、日本円で平均12万円程度の出費。バカンスをとる人の15%しかフランス外に行かなくなった。安くあげるためにインターネットで家を交換する相手を探したり、キャンプという形態をとる人が増えた。

(3)国民的ロック歌手のジョニー・アリディ(Johnny Hallyday)が6月15日に70歳の誕生日をむかえ、全仏がお祝いモードとなった。まだ現役でコンサートを行う予定となっている。(この歌手は日本でいえば美空ひばりのような人だそうです。5回の結婚をしているようです、それだけ魅力のある人なのでしょう

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S君のメールに励まされるて出勤、『死生学入門』3章のラジオ教材収録があるのだ。
久しぶりということもあるけれど、いつになく緊張するのは今日のテーマが理由だ。
「日本人の死生観」、テーマが大きい上にいささかのこだわりもあり、個人的なことも今日は敢えて話してみようと思う。それやこれやで、僕には珍しく胃の辺りに固いものがあったりする。

収録前の打ち合わせ、ディレクターHさん、プロデューサーKさん、技術担当のIさんが揃っている。ディレクターとプロデューサーの違いは、何度聞いてもよくわからないが、やっぱり違うらしいんだな。

言葉遣いの確認をする中で、尊称の使い方が行き過ぎている傾向が話題になる。
これは論文指導でもあることで、他の研究者の業績を引用する際など、どうも呼び捨てが気になるらしく、注しないと直ぐに「○○先生」とか「××という方が」とかやってしまう。

するとHさん、「私なんぞは江戸っ子なのでね、そういういのは私に言わせれば「野暮」なんだな。」
制作スタッフは野武士気質の愉快な人が多い。

「では、今日はつとめて粋(いき)に参りやしょう」
と挨拶してスタジオに入った。

「先生、良い声ですね。機会の乗りも良いですよ」
とIさん。技術担当者は必ずこうして褒めてくれる。人に良い仕事をさせるコツというものか。

おかげで収録は無事終了。
アナウンサーによる朗読や、『千の風になって』のサビの挿入など、自分として初めての試みもあり、戦死した伯父についての語りも予定通り挿入して、それなりに全力を出した感じ。

ずっと聞いていたKプロデューサーは、僕よりずっと若いように思っていたが、御両親は戦中世代だという。信州の出身で、数多い父方の伯父・叔父らの誰も幸い徴兵にかからなかったが、戦争の話はずいぶん聞かされて育った由。

「たまに高射砲が当たって、米兵が落下傘降下することがあったそうですが・・・」

とKさん。
吉村昭の小説にあるような凄惨な下の句を予想して構えたが、彼の話はちょっと違っていて。

「落下傘、ってのは、絹でできてるんだそうですね。それを聞いた若い女の子たちが、『それっ』、てんで落下傘を山に探しに行ったもんだそうです。不発弾が転がってるやら、米兵が潜んでるやら、どんな危険があるかもしれないのにですね・・・」

ははぁ・・・

絹、か。

物事には本当にいろんな側面があるものだ。

この娘たちの中に、あるいはKさんの母上もいたのだろうか。
「一人一殺」と教えられ、本気で竹槍訓練をしていたのと同じ、戦時下のおとめたちである。

何を感じるべきかよくわからない不思議な心持ちの中で、落下傘のことや竹槍訓練のことを、先に立つ世代から語り伝えてもらっているKさんの幸いを思う。

ちなみに彼は、H教会の幽霊会員である。

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kindle で『黄金の日々』を読みながら帰る。
戦国末期の堺で、猫という動物はまだ珍しい渡来獣だったと紹介されている。

そうだったの?ほんとに?