散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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たり・たりのルール / 部屋・窓・寝台 ~ 『大地』味読中

2015-08-01 11:15:14 | 日記

2015年8月1日(土)

 「飲んだり食べたり」「歌ったり踊ったり」

 このぐらいの長さ(短さ)なら、当たり前にできるし、誰でもやっている。 「~たり、~たり」で、「たり」は必ず繰り返さねばならないというルールのことである。

 ただ、「~」の部分が長くなるにつれ、ルールを守りきれなくなって逸脱する例が増えてくる。「うつ病では気持ちが沈んでやる気が出なくなったり、夜も眠れなくなります。」むろん「夜も眠れなくなったりします」が(本当は)正しい。このあたりを境目に、長文になるほどこのルールは無視される傾向があり、「ある程度以上の長さでは反復不要」という暗黙の了解が主張されているようでもある。

 学生さんの原稿を手直していて思うのだが、この単純な「たり/たり」ルールを守るには、実は結構な力が要る。語彙や言い回しの素材を豊富にもっていないと、やりくりが難しい。『大地』の訳者は力量はあり余っているだろうが、この件にあまり注意を払っていないように思われる。

***

 重箱の隅ばっかりつついてるわけではない。僕はどちらかといえば短編小説 conte が好きなのだけれど、長編小説 roman ならではの魅力を解しないわけではない。以前、読み止めてしまったあたりを過ぎ、第3巻も半ばに達して鳥肌の立つような思いをした。

 

 そう言いながら、老人は横手にある扉を押した。薄暗い小さな部屋が淵の眼に落ちる。窓といえば四角な穴があいているだけで、それに白い紙がはってある。静かな、何もない部屋だ。

 しかし、この薄暗い、土の壁で囲まれた部屋の真ん中に立ったとき、淵はなんとはなしに頑丈な昔ながらの生命がそこにあふれているような、奇妙な感覚に打たれた。彼は不思議そうにあたりを見まわした。それは彼が初めて見た質素きわまる部屋だった。麻の帳の垂れている寝台、粗末な白木の机と腰掛けがあるだけで、下は土間である。多くの足が踏み固めたのだろう、扉と寝台のそばだけはくぼんでいる。

 そこには誰もいない。彼一人だけなのに、彼は霊的存在を近くに感じた。彼の知らない、すこやかな、大地の霊なのだ。やがて、それは消えた。急に彼はその生命を感じなくなって、孤独の中に取残された。

(第3巻 P.208-9)

 

 説明はいっさい不要、読者は必然的に物語の冒頭へ引き戻されることになる。そもそもの初め、王一族誕生の場である。

 

 寝台を囲む暗いとばりの中で眼を覚ましたとき、彼は、なぜ今朝がいつもの朝と違う気持なのか、最初、考えつかなかった。家の中は静かで、中の間をへだてた老父の部屋で、力のない、しゃがれた咳がするばかりだった。王龍は、ふだんならそれを聞きながらも寝台から下りずにいて、咳がだんだん近づいてくるとか、老父の部屋の扉の木の蝶番がきしむとかしたときに、ようやく体を動かしたのだった。

 しかし、今朝はそれまで待っていなかった。彼ははね起きて、とばりをあけた。まだ暗いしらじら明けで、四角に切って窓がわりにしている穴に張った紙が、破けて、ひらひらしている所から、青銅色の空がかいま見えた。彼は穴の所へ行き、その紙をむしりとりながら、つぶやいた。

 「春だから、こんなものいらねえや」

(第1巻 P.7)

 

 土を愛し、土に生い出でた王龍だが、その三人の息子は土に対する愛をまったく受け継がない。ただ王龍の無骨な優しさと正義感は三男の王虎に伝わっている。そうであるからこそ、王虎は兄たちと違って父と衝突し、彼だけが父祖の地を遠く離れて暮らすことになる。その王虎が彼一代で築いた軍閥を一人息子に譲ろうとしたとき、この息子が真っ向から父に逆らって立つ。軍閥と国民軍と(=父と大義と)どちらをとるかという葛藤は、やがて戦のことを捨て帰農する道へと王淵を導く。王龍の土への愛が、王虎というスプリングボードを介して王淵のうちに復活するのだ。

 祖父・王龍の寝室へ、それと知らずに孫・王淵が歩みいる。それが第一の場面である。「窓がわりの四角い穴」とそこに張られた「白い紙」、そして寝台 ~ 王龍が妻を迎え、子供らが生まれ、王龍夫妻が息をひきとり、梨花が起臥した、その同じ寝台 ~ 何と見事な道具立てだろうか。そして王龍・王虎・王淵、三代の弁証法の何と力強く劇的なことか。さらに女たちだ。王淵が祖母・阿蘭に似ていることに、父であり息子である王虎は気づいている。王虎と王淵の強固な意志とたゆみない行動力は、阿蘭から出たものに違いない。王虎の二人の妻の一人は淵に命を与え、今一人は教育と感化を与える。代を重ねて歴史が紡ぎ出される。

 続きを読もう。


試験監督

2015-08-01 10:43:37 | 日記

2015年8月1日(土)

 放送大学は定期試験のシーズンに入り、僕ら専任教員も学習センターで試験監督の手伝いをする。といってもたいした役には立たない、かえってお荷物なんだが、田植え・稲刈りはみんなの仕事、お荷物なりに汗かきましょうというところ。

 僕は着任以来とある学習センターに割り当てられ、特に各種障害があって別室受験する学生さんたちの担当と決まっている。監督というより援助の意味が強く、たとえば視覚障害のある学生さんが点字で打った解答を、読み上げに従ってマークシートに転記するといった作業がある。静まり返った室内をひたすら巡回する一般の監督に比べ、僕などにはよほど性にあっている。

 今日1限は特別室にGさん一人だけ、お顔を見たら思い出した。以前にもこの部屋で会った全盲の学生さんだ。向こうもよく覚えていて、「先生の科目、とりました。TA協会でも講演されたんですね」と話しかけてくる。交流分析への評価など訊かれ、試験開始まで即席の質疑応答になった。

 試験時間に入れば真剣そのもの、点字で打たれた問題をなぞりつつ、ヘッドフォンで音声をあわせ聞き、耳と指で考えている。この人々が点字を追う指先の動きには、いつも見とれてしまう。Gさんの場合は左の人差し指の末節、紙面に吸いつくように柔らかく滑らかに動き、かなりのスピードで情報を読みとっていく。指が行を左から右へなぞるのにあわせ、Gさんの両眼が同じ方向へ水平に動くのを何度か見た。Gさん自身のイメージの中で、実は文字列を「見て」いるのではないか。いつも例に引いて申し訳ないけれど、小豆島のMさんが生まれながらの全盲なのに、「愛犬がチャンチャンコを着ている写真が可愛いから」と送ってくれるのと同じことだ。彼らには「見えて」いる。

 実体験として、この種のことは疑いようがない。誰か理論化していないかな。そしてそれは、僕ら晴眼者に何を教えるのだろうか。

 

 あはは、バレました?サボってるんじゃないよ、今、休憩時間なんです。また後ほど。


高校野球にさよなら

2015-08-01 06:18:13 | 日記

2015年8月1日(土)

 松山商 vs 三沢高の「あの夏」は今朝で連載終了、全50回。切り抜いてできた穴の直上に、某地方大会決勝の写真が載っている。

 タイトルは「優勝を決め、喜ぶA校の選手たち」、だけど僕にはその手前で地面にくずおれ、勝者らを呆然と見やるB校の選手のほうが、この場の主役に見える。そう見えませんか?そういうアングルと光の加減だ。上記タイトルは「わざと」なのかもしれないね。

 勝ったA校の選手たちは、最近すっかり定番になった、人差し指をそろえて天に突き上げるお祭り騒ぎである。

 感動?

 言ってもいいかな、バカみたいだ。

 勝者の慎みとか、敗者への配慮とか、カケラもない。もちろん、逆のチームが勝てば同じことをやったんだろうし、この地域だけでなく全国の決勝戦で見られた場面に違いない。桜美林のM先生が高校時代、センバツ一回戦で決勝ホームランを打ち、ダイヤモンドを一周しながら思わずベンチに向けてガッツポーズをしたら、試合後にきっちり注意されたという。1977年の春、昭和の昔、前世紀のおとぎ話である。

 「一番踊り」に地域などお構いなしの有力選手集め、そうして決まった全国の代表が昨日すべて出揃ったが、まるで興味の湧かなくなっている自分に気づく。好選手の好プレーを見て、誰がプロで活躍するかと品定めを楽しむことだけが、わずかな余韻である。高校野球と同じ名で呼んでも、実態は別のものになりはてた。

 

 長い間ありがとう、さよなら!