散日拾遺

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なかなか長い木曜日(厚木基地騒音訴訟/M保健師の静かな憤懣/店員の配慮/神父?司祭?)

2015-08-02 17:27:54 | 日記

2015年7月30日(木)・・・振り返り日記

 正午のニュースで「第4次」厚木基地騒音訴訟の件について報道あり、高裁も自衛隊機の飛行差し止めを支持する判決が出た。

 あれは経験した者でないと分からないかもしれない。桜美林時代、ときどき凄まじい轟音で授業がストップすることがあった。ちょっとやそっとのうるささではない、窓が震えんばかりの金属爆音で声も何も届かないから、過ぎ去るまでは教員も学生もただじっとしている他ない。1分かそこらなんだろうが、長く感じられた。

 ただ勝手な思い込みとして、あれは自衛隊機ではなく米軍機であろうと思っていた。いやしくもわが国民の生命財産を守るため、憲法と法制度に則って服務するわが自衛隊機であるなら、そうそう無茶な生活妨害をするはずがないと思っていたのね。

 今でもそう思っている。(あるいは、思うことにしている。)だから、判決についてインタビューされた住民が、「本当に困るのは米軍機だから、(自衛隊機の飛行は差し止めたが、米軍機に関しては国にその権限がないとして請求を棄却した)この判決では解決にならない」と言うのも、たいへんもっともなのだ。

 問題はそこからで、それでは米軍機にお帰りいただくのかということを、そろそろ話し合わないといけない。以前ブログに書いたけれど、冷戦期と違って中国軍の潜在力が上がり、日本の領土全体が中国のミサイルの射程圏内に入っているという。日本の領土内に配置された米軍機はかつてのような一方的な優位性をもっておらず、米軍基地をグアムの線まで下げるということがアメリカにとっても現実性をもち始めている。僕らにとってどちらがトクか、騒音ぐらいは辛抱しないといけないのか、「岩国にたらい回し」という話ではなく、リアルに話し合わないと。

***

 午後から御茶ノ水で診療。

 こんな日もあるんだよな、今日は職場のメンタルヘルスをめぐる状況の厳しさ、というより遅れた会社や無理解な上司がまだまだ多い現状を、たっぷり知らされた。僕にとってはただ半日の社会勉強だったが、M保健師にとっては長い一日だったのである。

 午前中、健康保険組合の有資格者が、息子さんのことで相談をかけてきた。統合失調症の急性期と思われ、それこそ自傷他害の起きかねない不穏状態で急ぎ医療につなげたい。どうしたらいいかというのである。こういうのはM保健師の得意とするところで、やや遠方の事態ながら各方面に電話をかけまくり、半日かけて調整にあたった。

 話の出発点は警察である。最近の警察はすっかり優しくなり、以前のように無茶はしない。その半面、人権侵害(の誹りを受けること)を恐れ、実害が生じるまでは行動を起こさないのだ。こうした消極面がストーカー犯罪などの時にクローズアップされているが、さしあたり精神的に不安定な患者を抱えた家族が非常に困っていることを指摘しておきたい。このケースなど、警察が早めに措置鑑定のできる病院へ送り届けてくれたら、高齢の家族の負担がずいぶん軽減したのではないかと思う。

 次に所轄の保健所。M保健師の照会に対して、保健所の担当者(先方も保健師なのだろう)が薦めたのが地元の某大学病院である。確かに当事者の住所からは近い。しかし大学病院というのはごく少数の例外を除いて閉鎖病棟をもたないから、強制入院が想定されるこうしたケースの紹介先としては不適切なのだ。この判断に大きな「?」が付く。

 そしてきわめつけが、この大学病院。実名でこきおろしたいところだが、M保健師にかえって迷惑がかかってもいけないから自重する。首都圏の某都県名を冠した医科大学付属病院とだけ言っておく。M保健師がここへ電話すると、精神科の看護師に回された。端から面倒を嫌う姿勢の看護師は「予約をとれ」の一点張り、M保健師が緊急性を訴えて食い下がると、あからさまにため息をついて「相談員」に回した。最近は「地域連携係」といったセクションを置く病院が多く、そういった部署のソーシャルワーカーかと思われるが、この相談員が電話を取るなり、M保健師に何といったか想像できますか?

 「あんた、誰?」

 ですって。文字通りそう言ったのだそうだ。クレーマー患者対策に、ヤクザさんでも雇ってるのかな。Mさんから聞いたのでなければ、にわかには信じがたい話である。ついで、M保健師の自己紹介の中に、「保健センター」という言葉があったのを、不注意でか故意にか「保険」と変換し、

 「なんで保険会社に話が行くわけ?オタクに関係ないでしょ?」

 M保健師は、怒りに燃えるとアタマが静まりかえる羨ましい人で、この後のやりとりを克明に記憶・記録している。でも、どうせなら録音したほうが良かったね。そのコピーを大学病院長に丁重にお送りすべきだったろう。それでもダメかな、僕が母校の病院でMRI検査を受け、技師のやり方に納得がいかず意見箱に投書した件、その後何の音沙汰もない。礼儀正しく抗議したのでは耳も貸さない、クレーマーの汚名を着る覚悟で大騒ぎしてみせないと見向きもしないのだ。大きな組織ほどその傾向が強いだろう。もちろん、現に精神の変調をきたしている人々やその家族に、そんな乱暴な元気などありはしない。

 そもそも、「不調の人間がいるので早急に医療につなげたい」という基本のキの状況で、普通に受診するだけのために何でこんな不愉快を経験しなければならないか。保健師としてツボを心得ているMさんにしてこれである。一般の人々はどれほど苦労していることだろう。いくつもの事例を僕も知っている。日本の医学は一流、医療制度は二流、その運営は三流だ。それとも「精神」限定の事態かしらん?

 上の件、若い患者さんは一昼夜行方不明になった末、米軍基地周辺で不審な挙動をしていて警察に保護された。件の大学病院ではなく、同じエリアの私立精神科病院に無事入院となった由、後日談である。べーさん相手だと警察も機能するのが象徴的だろう。ライシャワー大使事件の昔と、さほど変わっていないよね。

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 鬱屈した気分で本屋へ、マーク・トウェイン『王子と乞食』を読んでみたくなったのだ。岩波文庫版は、かの有名な村岡花子訳である。ついでのことに同じくトウェインの『不思議な少年』(そういうテレビドラマがあったな、「時間よ~、止まれ!」)、一階へ降りたら森本あんりの『反知性主義』が積まれており、こうして1冊の予定がいつのまにか3冊に増殖する。

 三省堂は勘定場を一階にまとめた。10台ほどもレジが並んで客は列を作って待ち、空いたレジが「次にお待ちの方、どうぞ~!」と手を振って呼んでくれる。左端のレジから手が上がったが、僕の前に並んだ紳士はすぐに気がつかない。「あそこが空いたみたいですよ。」「あ!」

 次に目の前のレジが空き、呼んでくれた店員さんに見覚えがあった。確か先々週も、ちょっとチャビーなこの女性だったような。僕の買い物を受けとりながら、「先ほどはどうもありがとうございました」と笑顔で言う。一瞬何のことか分からず、返事が間延びしたのが照れくさかった。

 帰り道にさっそく読み始める。倫敦の貧民街の描写に覚えがあり、しばらく考えて『チャップリン自伝』だと思いあたる。村岡訳はふれこみ通り読みやすいが、あるところでつっかえた。

 

 「教育といわれましても、あるのか、ないのか、自分にもわかりませんが、神父アンドリュウという親切な牧師様が書物を教えてくれております」(P.22)

 

 村岡先生、神父と牧師を混ぜている。原文は以下の通り。

”I know not if I am or not, sir. The good priest that is called Father Andrew taught me, of his kindeness, from his books.”

 priest を牧師様、Father を神父と訳したわけだが、これはないよね。倫敦の下町で出逢う聖職者なら、聖公会と考えて九分九厘間違いない。もちろんプロテスタントである。ただ、聖公会で Father の呼称が用いられることは確かにあるようだ。問題は訳語である。聖公会の出身で今はうちの教会に来ている姉妹に確認したら、「英語で何というか知らないけれど、日本語で神父と呼ばれる職制は、聖公会には存在しない」ときっぱり答えてくれた。それを言うなら「司祭」だろうとのこと。

 「神父アンドリュウ」は「アンドリュウ司祭」に読み替えるのがよさそうですよ。