散日拾遺

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正しくは / 判官贔屓の愚かしさ

2015-08-10 17:06:10 | 日記

2015年8月9日(日)

 記憶は ~ 少なくとも僕のは ~ いい加減なものだ。だから記録は取っておくもので。

 名神は久しぶりなんて、何を言ってるの。昨年は8月9日(土)の朝5時に東京を発ち、豊川を通り、長崎に思いを馳せつつ西行、そして今年と同じく伊勢湾岸道の渋滞情報を知り、名神へ回ったのだ。ただ、違ったのは天気で、妙な涼しさに続いて養老SAあたりから本降りになり、滋賀県内ではバケツをひっくり返したような大雨になったのである。到着地の気温は27℃、「こんなに涼しいのは記憶にない」と書いた。

 途中、岐阜で杭瀬川を渡り、M先生のことを思い出したのも今年と同じ。そしてその1年前(つまり今から2年前)に、M先生から句集『杭瀬川』をお贈りいただいたことを、ブログが教えてくれた。

http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/9c33587030801dc700441c246eb1ba57

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 高校野球の熱狂ファンは卒業したが、若い人びとが一生懸命やっている姿は特にファンでなくとも好ましく、移動中の格好の退屈しのぎでもある。実況は聞き逃したけれど、今日は長崎代表の創成館高校が初勝利をおさめたらしい。8月9日にふさわしい結果とラジオは言い、僕もそう思う。ただ、こういう扱い方に微妙な違和感も覚えたりする。

 この日のために長く苦しい鍛練を重ね、地域の期待を担って登場したという点では、相手チームの選手らも同じなのだよね。だから双方を等しく応援し、結果に対して「この日はこれで良かったのだ」と事後に言い交わす、それなら異論はないけれど、中立地帯の部外者らが初めから一方を応援することがあったとすれば、 決して美談とはいえない。相手には不当な扱いだし、長崎の子らにもかえって失礼というものだ。今日はそんなことはなかったようで、他ならぬ創成館ナインのために喜びたい。

 というのも時として、あるいはしばしば、そういう不公平な応援が甲子園で起きるからだ。人はそれを判官贔屓などと美談扱いするが、美談どころか愚劣きわまりない。相手もまた同じ高校生であることを無視した、身勝手な集団的願望投影でしかない。

 それを痛感したのは2004年夏、第86回大会の決勝である。駒大苫小牧(北北海道)と済美高校(愛媛)、壮絶な打撃戦を13対10で制した駒大苫小牧が、北海道に初の大旗をもたらした例の試合。「例の」というのは、過去の名勝負を振り返るとき必ず出てくる定番の一戦だからだ。

 この大会の駒大苫小牧の打力は凄まじく、力を遺憾なく発揮して頂点に立ったのは見事の一語。ただ、この決勝戦をTVで見ていて、試合が進行するにつれある異常さを感じるようになった。駒大苫小牧への、観衆のあからさまな肩入れである。同校の選手の一挙手一投足には大きな拍手が湧く。いっぽう済美の選手のそれには、好プレーであっても小さな拍手しか起きず、はっきり非対称なのである。小さな拍手は済美の応援団から起きるとすれば、球場を埋めた5万観衆はすべて駒苫サポーターということになり、済美は完全なアウェイ状態である。これが甲子園のマナーだろうか。非対称があまりにも鮮明で、回を追うに連れ見るのが苦痛になってきた。

 駒苫を応援する人びとの主観的な思いは、弱いもの・健気なものに肩入れする「判官贔屓」なのだろうが、現実はどうか。気まぐれで無責任な観衆の圧力によって、圧倒的に弱い立場に追い込またのは、駒苫ではなく済美のほうである。済美はこの年の春、名将・上甲監督の指揮下に初出場・初優勝した。春夏連覇を目ざすとなれば、敵役にはうってつけの強豪のようだが、夏の大会に限って言うなら実は済美こそ不慣れな初出場校、駒大苫小牧は連続出場を含む出場4回目の常連だった。北海道の人びとが初の大旗に目の色変えるのは当然として、域外の人間が自分に関わりのない口実を見つけて駒苫に肩入れすることに、一体どんな正しさや美しさがあっただろうか。

 「だから済美が負けた」などと言うのではない。繰り返すが、この年の駒大苫小牧は強かった。対する済美も、春のメンバーから主砲・高橋(後、阪神タイガース)を欠き、投手は福井(現・広島カープ)一枚だけという制約の中で大善戦した。決勝戦では大事なところで走塁ミスが目立ち、それがなければと惜しまれる内容、最終回には「鵜久森に回せ」を合い言葉に猛追を見せ、どちらもあっぱれの名勝負。それだけにファンの肩入れの偏り方が見苦しいというのである。ハンディキャップ・ゲームを立派に戦い抜いて惜敗した済美ナインこそ、郷土は誇りにして良い。

 

 この年以来、甲子園の応援風景というものが、すっかりイヤになってしまった。繰り返すが、当該地域以外の人間が、中立に双方を応援するのでなく(あるいは全く個人的な事情から好きなチームを応援するのでなく)、いわゆる判官贔屓の心理から一方に肩入れする集団狂騒は、微笑ましいどころか愚劣で卑しい。仮に一方が初出場、他方が伝統の強豪校であったとしても、プレーする選手自身は生涯この時に賭けるただの高校生に違いない。四囲を取り巻く数万の人びとから一斉に降り注ぐ声や雰囲気が、グラウンドの選手にどれほどの圧迫感を与えるか、それを考えたら無責任な肩入れなどできる訳もない。そんな当たり前のことを、簡単に見失うことのできる群集の力動が恐ろしいのである。

 そしてこのことは、スポーツの応援ばかりでなく、社会現象のあらゆる場面にリンクが張られている。一見うるわしく見える情緒的反応が、実は危険で抑圧的な集団心理につながっているということ、それに加担する側はまさしく数の効果によって、自分の行為の意味を疑いもせず通り抜けること、歴史の基本的な教訓に属する。

 


さらに西へ

2015-08-10 08:16:10 | 日記

2015年8月9日(日)

 諸般の事情で今年の往路は中継地一泊のみ、今朝すぐ発ってさらに西へ。といって、今朝は僕が早起きできず、出発が9時前後になる。昨日よりはよほど道路が空いている。3ルートのうち、瀬戸中央自動車道を通ってみることにした。復路はいつも、しまなみ海道と決めている。往路は気分次第で、明石・鳴門ルートは徳島側で大塚国際美術館に立ち寄るオプションもあって面白いのだが、道路の接続に難があって前に一度迷ったことがあり、しばらく見合わせている。大塚美術館はちょっとした奇観で、桜美林時代に同僚の先生に存在を教わった。古今の名画を陶板レプリカで再現し、どうぞ好きなだけお触りくださいという発想が、奇にして壮である。http://o-museum.or.jp/

 HPではシスティナ礼拝堂の天井画を中心に据え、なるほどこれが主役級であるけれど、なぜだか僕が「あるかな」と最初に気になったのは、東ローマ帝国再興の粗であるユスティニアヌス帝と、皇后テオドラの描かれたモザイク壁画である。オリジナルもモザイクという連想からか、あるいは踊り子あがりのテオドラが、農民反乱にあって顔色を失った夫に「逃げるぐらいなら玉座で死ね」とハッパをかけた逸話が好きだからか、理由はよく分からない。何となくアヤソフィア(イスタンブール)にあるもののように思っていたが、正しくはラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂にある。え~っと、この絵が破壊を免れた事情について、前に一度調べたような気がするが、きれいに忘れた。そしてこの絵は、大塚国際美術館にちゃんと再現されていた。

 オリジナル↓

  

  (http://www.italiatravel-jp.com/heritage/ravenna.html)

 ・・・PC環境の問題で、画像のアップロードがうまくいかない。途中の風景写真とあわせて後でまた。

(8月15日(土)、めでたくアップロードできました。)