散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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友達よ、これが私の・・・

2015-08-16 18:23:55 | 日記

 一週間の「仕事」を写真で振り返る。テュラテュララ~ ♪

2015年8月9日(日)

 瀬戸中央自動車道は、しまなみほどの細やかな風景の楽しみはないが、直線的で力強い。途中で橋脚が大文字のH様に林立して見えるところがある。伊勢湾岸道路の名古屋港沖で、大文字のAが連続するのと好対照である。

  ね?もう少し近くからの迫力画像を載せたいが・・・

  なぜかこの画像を正しい向きに回転させて載せることができない。首を左へ90度曲げてください。


  のどかも極みの、わが故郷の眺め。中央のなだらかな稜線が高縄山、拡大すると頂上に鉄塔のようなものが見える。指呼の間のようでいて、これで986mある。四国の西北端に、ちょっとした丸みを作り出しているのが高縄山/高縄半島である。

 

2015年8月10日(月)

 前日までのドライブ疲れで早起きできず。慎重派の父は夏場の草刈りなどは、日が高くなる前か、日が傾いてからと決めているので、今日は見送り。屋敷周りの作業でお茶を濁す。

 庭の草刈りや剪定などしていると、長男が参入して電気式の機械を面白そうにいじっている。次男は父(=祖父)を手伝って、門前のミカン畑の山側に出張ってきた竹と木立の始末である。その一画の南端に6月末に植えた八朔の苗に、昨夕に続いてたっぷり水をくれる。このところ雨が降らず、樹々がへばり気味なのだ。読み終わるべく持ってきた『大地』の冒頭を思い出した。

 王龍は結婚の日だというので、汲んできた水で珍しくも身体を洗う。王龍の父が、それを無駄遣いだと非難する。身体を洗う水を畑にやれば、それだけ小麦が育つというのである。それほど水が貴重なのだ。日本も瀬戸内では同様の苦労があり、灌漑用のため池が発達したとは教わってきたところだ。しかし少なくとも近世以降、よほどの日照りでなければ身体を洗う水に困ることはなかったのではないか。水浴好き・洗濯好きは、後漢書東夷伝だか魏志倭人伝だかにも記された古来の「民族性」であるが、水が豊かでなければ叶わないことだ。この国の恵まれた自然を思う。(入れ墨を施し、博打が好きなどともあった気がするが、どうだったか。)

 海辺の海鮮料理屋へ繰り出し、水やりだけで夕の仕事はせず。この間、思いがけないことがあった。以前、関楠生先生の訃報に触れて思い出を綴ったことがある。この記事が、関先生の追悼文集を企画中のある方の目に留まり、短文を寄稿してみないかとお誘いをいただいた。日頃SNSの害ばかりが気になっているが、こんな功も確かにあるのだ。関先生の件では、別の知らない方 ~ 僕より少し早い時期に関先生にドイツ語を教わった学生らしい人物 ~ からもメールをもらっている。片岡先生がこれらのことを知ったらどんな反応をなさったか。見てみたかった。

 

8月11日(火)

 早起きし、草刈りは柿田の果樹園ならぬ、屋敷の裏棚。これは5月以来で、刈りでがある。たっぷり汗をかいた。

 夕方から鹿島へ渡り、海につかる。薄曇りで日差しがさほどでなく、水はいつもにまして冷たい。波打ち際にぺったり腰を下ろし、砂浜で砂に埋まる。水は紺碧、砂は白い。空は青く、山は緑に、キョウチクトウの桃色が彩りを添える。故郷の海に向かって、さらに言うことなし。

 

 三男に挑まれて相撲を取る。昨年はどうやら勝ち越したが、その時点で今年は敵わないと分かっていた。今年は彼の不戦勝で良い、ケガをしてもつまらないと思ったけれど、彼の方は一年越しの臥薪嘗胆でこの日を楽しみにしてきたのである。苦笑交じりにこわごわ応じてみれば、僕の想像以上に強くなっていた。立ち会いから押し込まれ、腰を落として押し返すことはできるけれど、今度は脚がついていかず落ちてしまう。3~4番も立て続けに負かされ、最後に左四つよ~いどんで、ようやく1番だけ花を持たせてもらった。覇権交代、この歳までよくもったと言っておこう。

 船着き場に寅さんの句碑あり。昨年まではなかったもので、最近の設営に違いない。鹿島は実に風光明媚な土地であるのに、トイレやシャワーなど基本施設の整備がひどく遅れ、松山市の怠慢を非難する声が強い。おおかたそんなことへの対応でもあろうが、全体としては相変わらず行政のやる気が見えてこない。官はなっていなくとも、帰り道の寿司屋はいつもながら気合いの入ったもてなしで、民の気概を証している。

 

 「お遍路が 一列に行く 虹の中」

 

8月12日(水)

 長男が合気道部の試合にOBとして参加するというので、午前中に伊予北条駅まで送っていく。その後天気が崩れ、午後からは雨。晴耕雨読とばかり、『大地』の残り数十ページをめでたく読了。読後感は別に書くが、第一部が断然良いとの印象は変わらない。なぜなんだろうな。作品よりも、パール・バックという人物の存在感に舌を巻くところも変わらない。

 伊予北条駅から鹿島は目の前である。旅行中と一目で分かる軽装の女性が二人、長男の乗り込んだ予讃線から降りてきた。すべてを一人で仕切る女性駅員に、コインロッカーか荷物預かり所はないかと尋ねた。「ないんですよ」というすまなさそうな返事に、笑顔とあきらめ顔を素早く浮かべて海の方角へ歩き出した。家並みの向こうに鹿島の緑の背中が覗いている。

 行政にやる気が見えないというのはこのあたりで、本気で観光客に脚を運ばせたいなら、コインロッカーの一つもさっさと設けたら良さそうなものだ。せっかく「鹿島いいよ!」と聞き込んで途中下車した旅行者なのに、荷物を全部かかえて島まで往復するのでは興ざめだ。「鹿島いいけど、コインロッカーないよ」の情報はすぐに書き込まれてネット空間に広がる。もったいないことだ。

 雨の庭を横目に、籐の椅子に腰を下ろして棋譜並べなどしていると、左上隅に手を伸ばして黒石を置いたとたん、腰に電気が走った。中途半端な姿勢が悪く、歯を食いしばって固く閉じた瞼の裏に火花が明滅する。久方ぶりのギックリ腰である。家族の居るときで良かった。家内と三男に両側から支えられ、座敷に這いつくばって苦笑するばかり。むろん、これは数日経って回復後に書いているのである。

 月曜日に到着早々、かねて考えていたガソリンエンジン式の剪定機の必要を確認し、インターネットで注文した。火曜日からはネット業者がお盆休みに入る直前の滑り込みである。この機械が首尾良く午前中に届き、試運転を楽しみにしていたが、おあずけとなった。やれやれ・・・

 

8月13日(木)

 夜間のトイレ通いはなかなか見物だったが、幸い家族は寝静まって、家内の他には大きな蜘蛛が見ているばかりである。クモを嫌うのは僕には理解できない心理で、殊に南米なんぞの毒グモならいざ知らず、本邦のクモはダニのたぐいを食べてくれる、どちらかといえば益虫たちである。この夏は洗面所とトイレに一匹ずつ見かけた。洗面所のそれは大型のきれいな八本脚で、トイレのそれは一方の最後脚が一本欠けている。廊下まで四つん這い、ドアノブにすがってようよう立ち上がると、目の前に七本脚先生がいた。 

 「8分の1でも欠けては不自由でしょう、この際『手帳』でも申請しますか?」と声をかけると、「よう言わいじゃい、お前さんに言われとうないのぉ」と憐れむような返事が聞こえた。ごもっともである。

 今日こそ柿田の草刈りと決めていたが、もちろんそれどころではない。代わって次男が父(=祖父)とともに出かけ、いちおうの目的は達したらしい。僕の方はほぼ2時間ごとにトイレに通い、その度に少しずつ楽になっている。座骨神経の刺激症状がほとんどないのはありがたいことで、それならば椎間板ヘルニアの可能性は考えなくて良い。いつもと同じく、何かの弾みで背筋が攣縮を起こしたのだ。要するに疲れと不摂生の指標である。居直って読書三昧、『杜子春』『南京の基督』など、大正9年頃の作品を収めた芥川の短編集を通読する。『素戔嗚尊』『老いたる素戔嗚尊』の連作が良い。『影』には作者の病理が投影されているようであり、『寒山拾得』『東洋の秋』は病理からの回生の試みだが、「二人の対」はカフカを連想させる。

 何としても迅速な回復を要するのは、明日の移動のことがひとつ、もうひとつは今夕、松山のI 先生にお呼ばれの予定があるからだ。昨日の段階で皆は心配して「断ったら」と提案したが、そんな言葉は我が辞書にない。I 先生の茶目っ気豊かな温顔、御子息Y君の雨上がりの日差しのような笑顔、そしてI 夫人の天上の宴を写し取ったような手料理をいただかずに、夏を越せたものか。「断じて行えば鬼神もこれを避く」とは、戦争指導のかけ声ではなくこういう時に言うものだ。

 熱意は天に通じ、今年もI 先生御一家に心づくしの歓待を受けた。特に『赤光』写本の件、そしてカラヤンのサインの件、これらは別に詳述するとして、後日いただいた写真だけをまずは掲げておく。

  

 

8月14日(金)

 少々あわただしい日程なのは、お盆の帰省ラッシュのピークを避けたいからである。腰も七分の回復で、土日のUターンラッシュを避けて今日発ったのは正解だったが、思いがけず福山あたりで工事渋滞につかまった。なぜこのタイミングでと思うが、道路公団も土日のラッシュ前に工事を済ませておきたかったのだろう。松山から宝塚まで8時間ほどもかかり、いささか消耗した。

 しまなみの橋は、いつもながら心を励ましてくれる。自然と人工、合理性と美しさが、これほど見事に融合した建造物は珍しいのではあるまいか。斜張橋は遠見にも美しいが、そこを走るときの車内からの眺めがまた格別である。論より証拠。

  

 まただ、やんなっちゃうな。右側の写真は首を左に曲げて見てください。車中からのワガママ電話に快く応じ、義母が関西の夏を用意しておいてくれた。

 「鱧(はも)旨し 冬瓜(とうがん)旨し 夏は来ぬ」 (昌蛙)

 

8月15日(土)

 日がな、ぐったりしている。正午には黙祷のつもりが、うかうかしていて2分遅れた。

 70年と2分。

 義母のケセン語ブームが続いていて、『ガリラヤのイェシュー』と『ナツェラットの男』を回してくれた。前者はケセン語を超えたセケン語の福音書、後者は山浦氏の創作イエス伝である。おかげで腰を養う無為の一日が、読書三昧の好日に化けた。夕、息子たちは武庫川の灯籠流しに出かけ、家内はミサへ。終戦記念ではなく、この教会が捧げられている被昇天聖母の日なのである。

 これにてめでたく、一週間がぐるりと回った。『大地』と芥川短編集、それに『ナツェラットの男』の所感。『赤光』にカラヤンのサインの縁起譚が宿題に残っている。