散日拾遺

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門前の小僧 ~ 家族内の殺人 / あいまいな喪失

2015-08-03 15:07:36 | 日記

2015年8月4日(火)

 土曜日の試験監督について付記。

 監督の合間に、その時間の試験問題を眺めるのが、いつも大いに勉強になる。まるで検討もつかない別領域では話にならないが、たいていの科目は何かしら自分の関心事と接点をもっていて、そこで学びが生じる。試験問題は正誤判定の形式で書かれているから、その中のどれが正しい情報かすぐには確定できない。たぶんこうなんだろうなと検討つける作業がまた、記憶の定着を助けたりする。

 

【学び ~ その1】 「今日のわが国では、殺人事件の過半は家族内で起きている。」

 たぶんマルだと考え、帰宅して確認した。

 「警察庁のまとめによると、2013年の殺人事件検挙件数のうち、被疑者と被害者の関係が親族間である割合は53.5%」

 だったという。殺人事件に占める「家族内」の比率は昔から案外高かったが、ここまで高かったわけではない。その動向について、下記コピペ。おなじみの影山先生(同門の先輩)が解説しておられ、途中までは「なるほど」だけれど、オチは少々残念な感じである。

***

 殺人事件は戦後、1950年代から減少し続け、1990年代以降は1100~1250件程度とほぼ横ばいで推移、2009年以降はさらに減って1000件以下となった(いずれも検挙件数。警察庁の統計による)。高度経済成長で暮らしが豊かになるのに伴い減少し、その件数に大きな変動がないことがわかる。

 しかし、親子、兄弟、配偶者同士など「親族間」の殺人に目を転じると、事情は異なる。2003年までの過去25年、親族間の殺人は検挙件数全体の40%前後で推移してきたが、2004年に45.5%に上昇。以後の10年間でさらに10ポイント近く上昇し、2012年、2013年には53.5%まで増加した。

  「超高齢化による老老介護」や「長引く不況による経済的困窮」などが背景にあるとされているが、影山任佐(じんすけ)東京工業大学名誉教授(犯罪精神病理学)はもっと根元的な問題だと解説する。

 「そもそも家族は他人よりも圧倒的に近い距離にいるため、『なぜわかってくれないのか』と不満を抱きやすい相手。根本にある依存心、甘えが満たされなかったとき、不満が他人相手より増大しやすい」

 特に近年は若年層の「親殺し」が目立つ。2006年6月には、奈良県で16歳の長男が自宅に放火し継母と異母弟妹の計3人を焼死させる事件が起きた。父と同じ医師になることを強要されていたこの長男は、学校のテストの結果が期待通りではないとして父から度重なる暴力を受けていたという。

 家族に本来の平穏が訪れるためには何が必要なのか。従来のあり方そのものが現実とそぐわなくなっていると影山氏は指摘する。

  「もはや家族の機能不全は当事者だけでは解決できない。セーフティネットを充実させて個人の失敗を社会でリカバリーしたり、社会貢献、国際貢献活動などを通じて多様な価値観を育て、個人のエネルギーを正しい方向に向けさせるような教育をするなど、社会全体の制度設計をし直すべき時期に来ている」(影山氏)

※SAPIO2015年1月号 http://www.news-postseven.com/archives/20141225_291377.html

 

【学び ~ その2】 あいまいな喪失

 「あいまいな喪失 ambiguous loss」という概念を、Pauline Boss というアメリカの家族社会学者が提唱しているのだそうで、この件は7月28日のラジオ収録でゲストの高橋晶(たかはし・しょう)先生から教わった。

 今日の試験科目、1限はピッタリコンの「臨床家族社会学」である。その文中に、「さよならのない別れ/別れのないさよなら」という対概念が提示されている。そのうえで、

 「夫が行方不明のまま戻らなかった場合、妻が経験するのはどちらだろうか」と、事実上そのような題意である。

 知らなくても考えれば分かる問題で、難易度はさておき、考えさせることによる教育的効果を感じる。この対概念のインパクトはきわめて大きい。僕らの生活の至るところを、この種の「あいまいな喪失」が埋めており、知らず知らずそれに蝕まれていくということが確かにある。

 「さよなら」は、きちんと言いましょう、ということでもあろうか。曖昧であることが、帰って望ましい場合もありそうだけれど。

 

 「あいまいな喪失」はここ数年、ちょっとしたホットトピックだったのだ。『精神療法』誌が2012年に特集を組み、Boss 女史の著作もぼつぼつ訳出されている。

 『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」 ー あいまいな喪失』(学文社)

 『認知症の人を愛すること:曖昧な喪失と悲しみに立ち向かうために』(誠信書房)

 『あいまいな喪失とトラウマからの回復:家族とコミュニティのレジリエンス』(誠信書房)

 さて、どれから読んだものかな。


七月既望 40年ぶり

2015-08-03 12:42:07 | 日記

2015年7月31日(金)

 帰り道で40年ぶりにある人と会った。それぞれ変わっていないはずがないのに、お互いにお互いが変わっていないと感じる。何が変わり、何が変わらずにあるのだろう?

 

 「いつも難しい本を読んでるんでしょうから、息抜きにどうぞ」と、包みを渡してくれた。帰って開いた中身を、見せびらかしてしまう。

 『あなたの時間をありがとう』 絵・文 エム ナマエ

 『幼い瞳のふるさとカメラ』 同上

 『いつか誰でも』 同上

 『やっぱり今が いちばんいい』 同上

 『高倉健』 Ken Takakura

 

 翌日御礼のメールを書いたら、その返信に玄妙な写真が添付されてきた。友だちが撮影したのだという。再会の夜は満月だったのだ。そしてもちろん、夜明けが来る。

 七月既望。壬戌ならぬ乙未では、ちょっと落ち着きが悪いようだ。

  

 


女子Q

2015-08-03 11:24:00 | 日記

2015年7月31日(金)

 私は誰とでも親しくなることができると思いますけれど、無人島のようなところに一人で置き去りにされても、それもまた楽しんで生きていけると思います。

 父がいろんなことを教えてくれて、たとえば乾電池で火をおこす方法ですね。ガムの包み紙の銀紙を細くよったのを2本、乾電池のプラスとマイナスにつないで先端を近づけると、うまくやれば火花が散るんです。それをティッシュ・ペーパーなどに移しとります。

<なるほど、ガムの包み紙は、アルミホイルの切れっ端でもいいかしら?>

 いいと思います。電池は、切れて使えなくなっているようなものでも、あんがい大丈夫です。

<電圧が下がっても、ゼロでなければ・・・>

 そういうことだと思います。それから、花火作りもよくやりました。まず、スチール缶をヤスリで削ります。そうしてできた粉を、紙にリップクリームを塗っておいたところへ ~ 紙は書道の半紙がいちばんいいようです ~ 塗り込めます。そうして紙をよじって火を付けるとパチパチいって、ちょうど線香花火みたいな具合になります。

<火を使う遊びが多いのですか?>

 そうですね、気をつけないと危ないですね。でも火に興味があったわけではなかったのです。今の話はたまたま思い出したのです。火を使わないものでしたら、たとえば昔のカメラは分解できて、レンズのところを逆さに覗くと望遠鏡になりました。それで、お隣の友だちと覗きっこしたりしました。

<確かに昔の道具は、分解できて良かったですね。こっそり分解して親に叱られることは皆経験していて、そんなところから理科好き少年が育ったと思います。今はカメラも電池がないとシャッターがおりない。でもそもそも写真を撮るのに電池が要るのはおかしいですよね。>

 はい、そう思います。

<昔は自動車でさえ、腕と道具があれば全部自分で点検修理できました。>

 はい、そうです。前の座席の三角窓も私は好きでした。昭和45年型のマツダのファミリアが大好きで、何とか手に入れたいと思いましたけれど、なかなか見つかりません。このあいだ一台見つけましたが、持ち主に足もとを見られてうまくいきませんでした。

<私のところは、1962年型のブルーバードに乗っていましたよ。御存じですか?もっこりした真っ黒の。エアコンなんかない時代の真っ黒なボンネットですから、夏には目玉焼きが焼けると冗談を言ったもんです。>

 私は焼いたことがあります。自動車ではなく、学校の校庭にあった朝礼台で。校長先生がお話をされる台が真夏にすごく熱くなっているので、母に頼んで生卵をもっていって試しました。こういう時は父も母も、頭ごなしにダメということはありませんでした。

<うまく焼けましたか?目玉焼き>

 焼けましたけれども、黄身までは固くなりませんでした。白身が固まって、黄身は揺れていました。持って帰って食べようと思ったんですが、いろいろな動物を飼っていたので、結局そのエサに使ったのだと思います。

<今も動物を飼っているんですか?>

 はい、それで、とても悲しいことがありました。アカハライモリを飼っていて、大事にしていましたが、脱走の名人なんです。私が出かけるときに彼に世話を頼んで、エサをやった後は必ず水槽のフタを閉めるように言ったんですけれど、彼は忘れてしまいました。動物に興味がなくて、いつもゲームをやっているので、エサをやるだけやってゲームに戻ってしまったんです。帰ったらいなくなっていて、急いで探したんですが、見つけたときはほとんど干からびていました。水に戻したら二回ほど脚が動いたので、生き返るかと見ていましたが、ダメでした。

 彼は申し訳ないといって何度も謝って、イモリの代金を弁償すると言いました。その時は本当に、別れようと思いました。

<でも、赦してあげた?>

 はい。

<水槽を何本置いているのですか?>

 45糎を4本ほど、アカハライモリの空き家の他に、ウーパールーパーが1本、それに実家から「真っ黒なカタツムリを見つけたから」と送ってくれたので、それに1本あてています。

<真っ黒なカタツムリ!それは在来種ですか?>

 う~ん、どうでしょう。帰化種かもしれません。3匹それぞれに名前を付けています。ゲバラ、カストロ・・・

<カタツムリにゲバラとカストロ?>

 好きなのです、二人の友情が素晴らしいと思います。

<あなたの生まれ年、昭和51年から考えると、今日のお話は少し不思議な感じがします。でもおかげで、私は話が合わせやすくて助かります。>

 私も、先生とお話ししていると楽しいです。体が少し楽になったような気がします・・・