散日拾遺

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冥土の旅の一里塚

2016-01-01 23:26:51 | 日記

2016年1月1日(金)

 新年を言祝ぐ気持ちは人一倍もっているし、信じてもいないキリスト教の降誕節を祝うよりも、正月をもっと大事に心ばえを磨く縁(よすが)にしたら良いのにと思う。25日(金)の昨年最後の外来で聞いた話。ある女性が彼氏にクリスマスプレゼントをねだったら、「毛唐(けとう)の風習なんぞカンケーない」と一蹴されたそうで(毛唐とは懐かしいこと、ATOKなどは変換してくれない!)、この彼氏に「あっぱれ」一票である。その代わり、ちゃんとお年玉はあげてくださいませ。何しろお正月を大事にするのは結構なことだ。

 いっぽうで、一休宗純という坊主の偏屈ぶりにも感心する。何でも西暦1400年代のある年の正月、杖の頭にされこうべを付けたものを担いで「ご用心、ご用心」と叫びながら京都市中を練り歩いたとかで、そのココロが有名な狂歌に表されている。

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

 下記も似た趣旨か。

「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」

 次のもいい。ただしキリスト教版が必要である。

「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」

 え~っと、翻案するとすれば・・・

「アーメンじゃ 罪じゃ救いじゃ天国じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」

 こんなこと書いてバレたら陪餐停止だって?冗談じゃない、一休さんの筋金入りの仏道に、気合いでは負けないつもりなんだから。信心は理屈じゃない、要はそれだ。ただし「復活」は理屈ではない。だからこればかりは「愚かじゃ」とは書かない。

 

 論より証拠、今日はちゃんと所属支区の元日礼拝に出かけてきた。長男・次男とともに往路は速歩で40分ちょうど、復路は回り道しながらゆるゆると1時間20分、計2時間で13,165歩、消費カロリー398.2Kcal、燃焼脂肪56.8gとスマホの歩数計の御託宣。10.0kmという推定距離は、ならしたらこんなものかな。以下、証拠写真

 まずは行き先。ポップな賛美歌を手をかざして熱唱する今どきの礼拝に、他教会の牧師さんの至ってクラシックなお説教のミスマッチが長く記憶に残りそうだ。支区合同の元日礼拝ならではの珍プレー/好プレーである。

 

 次は通りすがりのお宅の生け垣。赤い実はピラカンサス!こんなこしらえ方があるんだね。

  

 最後に駒沢公園のケヤキ並木。一つ覚えで申し訳ないけれど、ケヤキは関東/東北が断然良い。いっぽうクスノキの大木は西に軍配が挙がる。関西生活が長くなった長男と、東京の広さ大きさについて話し合った。惜しむらくは広さを十分感じさせる作りになっていないのである。