散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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人は生きてきたように死んでゆく

2016-01-22 08:14:27 | 日記

2016年1月17日(日)

 文京学習センターで公開講座、『メンタルヘルスと死生観』

 この写真を使ってみた。(例によって回転ができない。首を右へ90度曲げて見ること。)1月11日の朝日新聞朝刊の中ほど、一面ぶち抜きで度肝を抜かれた樹木希林のパフォーマンスである。例の『オフィーリア』に自分を重ねたもので、厚かましさも見事というほかない。

 それにしても「死ぬときぐらい、好きにさせてよ」とおっしゃいますのはお言葉ながらいかがなものか、あなたさまほど好き勝手に生きてきたお方も珍しいと思われますのに。

 ここにふさわしいフレーズ、これしかない。

 「人は生きてきたように死んでいく」

 memento!

 

 


盤に石、空に月

2016-01-22 07:51:41 | 日記

2016年1月16日(土)に戻りまして・・・

 海鳥(うみどり)会のKさんに誘われ、有志4人で打ち初め。この忙しいのに午後いそいそと目黒区民センターに出かけていく。運良く勝たせてもらったがそんなことは二の次で、ずっと気にかかっている「石を捨てて打つ」ことが少しだけできたのが、とてもとっても嬉しいのだ。まだ toddling のレベルだが、これが身につけば碁は一段と楽しくなる・・・はずである。

 ちょっと意地悪な含みもあり、ヘボ碁打ちは石を取るのが大好き・取られるのが大嫌いだから、こちらがうまく捨てて打ったとすると、相手は悔しがるどころか喜んでくれちゃったりする。

 「あの石を取れて優勢と思ったんだけど、惜しかったなあ」なんて相手もギャラリーも言ってたりするが、本当は取ったのではなく取らされたのだ。「取ったのに」負けたのではなく、「取ったから」負けたのである。少なくとも取り方が悪かったことに気づくべきなんだが、それに気づけるかどうかがセンスというもので、教わって分かることでもないらしい。

 ともかく、地取り・石取りゲームが囲碁なのに、上達するほど捨て上手になるというのが何とも深い。人生に、そして信心に通じる機微と思われる。

***

 今年の目標、二つのうちの一つは「足腰を鍛え直す」ことである。旗の台界隈に用事があったので、目黒から旗の台経由で歩いて帰ってみることにした。直線距離を行ければ5~6kmだが、実際には斜めの最短距離を行けずに三角形の二辺をなぞることになる。それでも1時間半ぐらいで帰宅できるだろうと思ったのが、てんで甘かった。

 目黒通りを渡って住宅街に入った ~ 大通りに沿って歩けば迷わないが、それじゃ面白くないでしょ、というのがいつもやる間違いで、震災の晩もこれで杉並・世田谷の住宅街を超迷走したのである。あたりは既にとっぷり暮れ、南の空に上った成長途上の半月が磁石代わりだが、途中から群雲に覆われてしまった。だらだら曲がりの道にあっけなく騙され、2時間半の右往左往となる。

 おかげでスマホの御託宣によれば18,000歩超、13km余りのいい遠足である。途中、たくさんの神社仏閣に行き当たり、旧参道をたどったり横切ったりした。それぞれの由来をたどってみたら面白いことだろうが、夜間のことで載せられる写真は下記ぐらいしかない。

 お粗末さま!

 パプア・ニューギニア共和国大使館、昔このすぐ近くに住んでいた。建物の右上空に頼みの半月。

 大使館の表札 

 鬼子母神さん

  すずめのお宿緑地公園