散日拾遺

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不毛の40年 / 雪見の散策

2016-01-25 13:13:38 | 日記

2016年1月18日(月)・・・振り返り日記

 この日は例の雪で首都圏が大混乱した。書いているのは一週間後の25日で、今度は西日本が大荒れだが、東京は気温が低いばかりの晴れた一日である。18日、僕は土日の仕事の代休で難を免れた。災難だったのは三男で、2年前の春に入学して以来こんな混雑は経験がないという。最寄から駅5つ、通常運行ならわずか11分の目黒駅まで、たっぷり1時間かかったんだと。

 切り替えの早い性格だが、今日は帰宅するなり憤懣を口にした。2つ目の駅で彼の隣にいた乗客が降りたがっていたので、通すためにいったんホームに降りた。とたんにホームの客が殺到して彼をはじき出し、彼はホームに残された。続く3台の電車はまさに立錐の余地のなくて誰も乗り込めず、人々がこぼれ落ちそうなホームで待つほかなかったというのである。

 「そんなに乗りたければどうぞって感じでさ、どうしてそこまで余裕ないかな、乗りたいのはみんな同じで、待つほかないわけじゃん。一緒に待てないのかな、人を押しのけて、代わりに自分が先に乗って、何かいいことあるかね。」

 満腔の共感をもって聞くばかり。40年前の自分自身のつぶやきを聞くようだ。僕もまた混雑のホームで、そして駒場の900番教室前で、ため息を吐き散らしていた。みんな何が不満でこんなに余裕がないのか、こんなにも浅ましいのか。骨の曲がった傘を眺めながら、自分の進路についてつくづく考えた午後のことを思い出す。

 40年、である。ただ前日の営みを繰り返すだけだと、40年はおろか400年経っても何も変わらないことだろう。

 *****

 夕方、散歩に出てみた。駐車場の車のフロント・ウィンドウをみっちり隠すぐらいに、程よい積雪である。子どもは元気なもので雪合戦やら小ぶりの雪だるまやら、何を企ててか、大きなプラスチックの箱に雪を満載したのを、女の子が前後二人でえっちらおっちら運んでいく。

 この界隈は呑川(のみがわ)水系にあたり、その沖積産物の上に人が住んでいる。川に沿って歩き走るのが僕の趣味で、今は暗渠化され緑道となった呑川筋をさまざまな枝に沿って遡行するのを10年以上も楽しんできた。しかしふと考えてみると、海に向けて川筋を下ってみたことはほとんどない。ひとつには、僕らの住まいのすぐ南で地上に現れる川の姿が、かつてザリガニ採りのできた清流の見る影もない、痛々しく人為に汚された水路にすぎないからである。

 でもこの日は何となく思い立って下流へ30分の速歩、そこから折り返して戻ってきた。以下は証拠写真。

  

 15分歩いて石川台で中原街道に出る。その角にちょうど呑川水系の解説が掲示されており、それによれば呑川は上流で神田川から分岐しているらしい。今は上落合浄水場から水を流し、環境の改善を目指しているという。アルメニアに駐在中のT君の家のあたりかな。

 

 さらに15分歩くと新幹線の高架に行き当たる。大田区雪谷あたり、池上本門寺と大森めぐみ教会が、もう間近だ。

 

 新幹線高架のすぐ北側に緑の畑。見えるかな、これは一面の大根畑だ。1973年当時は、僕の住む辺りにもネギ畑が残っていた。この感じが取り戻されれば、都会の風景がずいぶん変わことだろう。