散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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明日ありと

2016-01-30 23:19:48 | 日記

2016年1月30日(土)

最近、シソ入りの餃子が我が家でブームになっている。美味しいんだ、これが。軽く食べて塾に出かける三男が「帰ったらまた食べるぞぉっ!」と気合いを入れる。背後にほくそ笑む父あり。

 まだありと思ふ息子のシソ餃子 留守に親父の喰はぬものかは

へっへっへ・・・と笑ったところで、さて本歌の出典を知らないことに気づいた。

ネットは便利である。一瞬で出てきた正解は、

『親鸞上人絵詞伝』だって!なるほどなあ・・・

明日ありと思ふ心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

 

それで思い出す聖句は下記である。宗教的境地に通有の感懐を、桜に託すのが大和魂ということか。おっと、「敷島の」の宣長の歌は子規先生がケチョンケチョンにクサしていましたね。

明日・明後日は大阪で話をする。ていうか、皆で話し合うのだ。ブログの更新がなかなかできず、辛抱の日々である。明日という日が、ありますように!

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◆「愚かな金持ち」のたとえ

群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」

イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」

そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」

それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』

しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

(ルカ福音書 12:13-21)