散日拾遺

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寝太郎の幸い / 「日系」多文化絵本作家アレン・セイ

2016-01-17 10:43:01 | 日記

2016年1月17日(日)

 朝早く起き、夜おそく休み

 焦慮してパンを食べる人よ

 それは、むなしいことではないか

 主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。

(詩編127)

 

 息子よ、君はとてもとても主に愛されているね・・・

***

 以下はついでに思い出したこと。

 

THE BOY OF THE THREE‐YEAR NAP; Dianne Snyder  (著), Allen Say (イラスト)

HMH Books for Young Readers; Reissue版 (1993/10/14)

 

Allen Say は日系人である。本名はジェームズ・アレン・コウイチ・モリワキ・セイイ(James Allen Koichi Moriwaki Seii)だそうだ。多数の作品の中でも、たぶんに自伝的な下記の絵本は秀作としてアメリカで評判になった。

Amazon の解説が悪くないので、拝借しておく。

 

Grandfather's Journey 

HMH Books for Young Readers; Reprint版 (2008/10/27)

 本書は著者の自伝的3部作のうち、カルディコット賞受賞作であり、最も多く版を重ねている作品である。アメリカで多文化教育が盛んになるきっかけにもなった、教育者の間ではつとに有名な本だが、著者は「教育的」な本になるなどとは夢にも思わなかった。商業的にも、果たして絵本になり得るか、本人も懐疑的だったという。著者が表出せずにはいられなかった「祖父」のこと、すなわち、戦前、日本からアメリカに渡り、戦争勃発で帰国、そのまま再渡米を夢見ながら日本で亡くなった彼の2つの国への思い、「日本にいればアメリカを思い、アメリカにいれば日本を思う」という相反する感情は、日本で生まれアメリカに移民した著者自身の、まったく「個人的な」ものでもあったからからだ。

   ところがこの「個人的な」感情は、すっぽり「アメリカ的」感情と重なった。国籍と民族にまつわる、普遍的テーマとなったのである。アメリカは、大多数の「どこか系」アメリカ人(アフリカ系など)と少数の先住民が作る国。国籍はアメリカでも、民族、文化はまちまちだ。その、普段は意識していない、自分の属する文化に対する愛惜の念が、本書との出会いによってあらわになり、多くのアメリカ人(成人たち)の心を熱くした。

  本書は、「単一民族」と意識しがちな日本人には一種「踏み絵」的要素を持つ、危険な本でもある。読み手の想像力と感受性の有無が明らかになるのだ。他民族への想像力、外国で生きることへの想像力、そして他者の痛みに対する感受性の踏み絵である。

***

 ついでにネット情報をたどっていくにつれ、きりがなくなった。この人を「日系人」で片づけてしまうのは、これまた問題がある。今度はWikiを引用しておく。

【セイの生い立ちと経歴】 

 セイは1939年に神奈川県横浜市にて、カリフォルニア州オークランド生まれの日系アメリカ人の母と、イギリス人夫婦の養子として上海で育てられた韓国人の父の間に生まれた。セイが8歳の時に両親が離婚し父親にひきとられた。12歳の時に青山学院へ通うために母方の祖母と東京都に住むことになるが、すぐに祖母と同意の上で別れて暮らすことになる。一人暮らしを始めたセイは漫画家野呂新平の弟子となった。その経緯は自伝小説『The Ink-Keeper's Apprentice』(ISBN 978-0618216130)に詳しい。野呂はセイにとって心の父であり、師であった。

 再婚してアメリカに渡ることになったセイの父親は16歳のセイにいっしょに来るよう誘った。しかしカリフォルニア州に渡ったセイは、ロングビーチの家族から遠く離れたグレンドラ(英語版)にあるハーディング米軍学校に入れられた。軍隊に対する嫌悪感が募るばかりで、一年後には喫煙を原因に退学処分を受けた。

 一般高校に編入し週末には美術クラスを取るなど絵の勉強を続けたセイは、高校卒業後に永住帰国のつもりで日本へ戻る。しかしセイが不在の間に日本も著しく変わっており、結局アメリカに帰ってくることになる。看板描きの仕事を始めたが満足せず、結婚して カリフォルニア大学バークレー校で建築学を学ぶ。1962年に米陸軍に徴兵され、2年間ドイツに駐屯する。

 軍に所属中にセイの撮影した写真が認められ、アメリカ陸軍新聞スターズ・アンド・ストライプスに掲載されたことから、セイは除隊後も写真で生計を立てていこうとする。カリフォルニアで商業カメラマンとして働いていたことから自然に美術業界の人間との交流を得たセイは、絵の才能も認められ、1972年に初めてイラストを描いた絵本が出版される。1979年には自伝小説『The Ink-Keeper's Apprentice』を発行する。1984年に出版された本の絵がきれいに再現されていないことに不満を感じたセイは本のイラストを描くのをやめてしまう。しかし1988年に出版社の助言で再び絵筆を取る決心をする。そして1990年代、50歳を越えてセイは次々と絵本を発表する。

【ロイス・ローリーとの「再会」】

 1994年、セイがカルデコット賞を受賞した折、同じく児童文学者のロイス・ローリーがニューベリー賞を受賞したため、お互いに自作に署名をして交換した。ローリーが日本語で署名をしたために二人は驚くべき発見をした。ローリーはリッチモンド大学のスピーチでその経緯を次のように語っている。

アレン・セイはなぜ私が日本語で署名できるかを訊ね、私は答えました。

「11、12、13歳の時に日本に住んでいたのよ。」

「それって何年?」

「1948年、49年、50年。私は1937年生まれなの。」

「僕も。同い年なんだね。どこに住んでたの?」

「東京。」

「僕も。東京のどこ?」

「渋谷。」

「僕も!どこの学校へ行ってたの?」

「目黒。毎日バスで通ってたの。」

「僕は渋谷にある学校に行ってたんだ。」

「渋谷に学校があったの覚えてるわ。自転車に乗ってよく通り過ぎてたから。」

「(沈黙)…あの緑色の自転車に乗ってたの、君?」

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/アレン・セイ


単振動の美しさ

2016-01-17 10:34:51 | 日記

2015年1月5日(水)・・・書きかけほったらかしの続き

 ただいま高2の三男、数学に次いで物理の無茶振りをしてくるようになった。人にものを頼むのがうまいんだよ、この子は。正月3日の晩、キントン色に染まった頭の中をそろっと覗き込むように、「単振動って、覚えてるよね?」いやまあ、確かに聞いたような覚えはあるんですが・・・。

 数学と物理の能力は高校レベルではきれいに並行する。どちらも大してできはしなかったが、好きではあった。殊に数学と物理の関連といったものには妙に惹かれた覚えがある。といっても古典物理学までの話だけれど、本棚には確かにその痕跡があって、物理の参考書が4種類ほども並んでいたりする。僕は医学部の入試では化学・生物を選択したから、物理での受験は東大文系の一次しか経験していない。なのにこの投資は勿体ないようだけれど、そもそも入試のために買い込んだわけではなかった。4つそれぞれスタイルや論じ方が違っていて、いずれも捨てがたいのである。当時はそう思っていなかったが、これ既にシュミの領域でしたね。

 

 単振動という現象のユニークさは、当該物体に働く力/加速度が、その物体の位置に依存する ~ 原点からの距離に比例して強まる ~ という点にある。逆に言えば、そのような特性をもつ現象を単振動と呼ぶのだ。さらに、この系を解析する場合にあたって架空の円運動を想定し、その射影として単振動を記述するというやり方が面白い。そんなこと勉強したかなと記憶にかすりもしないのだが、えらく感動したらしい行間の書き込みは紛れもない、わが悪筆である。そんな時代もあったのね・・・

 この画面では数式が書きにくいが、何とかやってみよう。

 単位円上を等速円運動する黒子(くろこ)点の角速度をωとすれば、単振動する物体の位置 x は sin ωt で表される。(座標系の設定如何で、cos ωt と言っても同じことだ。)

 ついで、単振動物体の速度・加速度を考えるにあたり、高校物理の教科書・参考書は結構な苦労をしている。微分を使えば一瞬なんだが、なぜか教育指導要領は高校物理に微積分をもちこむことを禁じているのだ。これについて、1973年当時僕らが教わった物理の先生 ~ 石毛先生 ~ は大いに嘆いておられたものだが、事情は現在も変わらず物理の先生が同じように嘆いていると三男情報。何でだろう?

 微分の便利を知ってしまうと、もう以前には戻れないこと、方程式なんぞと同じである。ここで三角関数の玄妙な特性が大いに発揮される。

 x = sin ωt を t に関して一回微分して、

この物体の速度は

 v = ω cos ωt 

もう一回微分して、この物体の加速度は

 a = ー ω^2 sin ωt

ところが x = sin ωt だから、何のことはない

 a = ー ω^2 * x

  ω^2 は定数である。結局この物体の加速度 a は位置 x に比例する大きさであり、運動方向とは逆向きに働くことになる。いやさ、このように記述される運動を「単振動」と呼ぶのだね。バネや単振り子(=ブランコ!)がこれに相当するわけで、単振動の実例は身の回りにかなり多い。

 単振り子の場合、ω^2 にあたる定数は g/l (g は重力加速度、lは振り子の長さ)になる。振り子の運動はヒモの長さによって決定され、おもりの質量や振幅に依存しないという例の法則 ~ 振り子の等時性(ガリレオ・ガリレイ)が、きれいに数式に現れている。

 

 この美しさが物理学の魅力なのだろう。個々の物質の異なる性質を愛でる化学の博物性も好もしいが、個別性を徹底的に捨象して単純な法則を磨き出す物理学の原理性は、また格別である。そしてこの美しさは、どこか碁に通じているんだな。

 ついでながら博物学的蛇足を述べておくと、ガリレオ・ガリレイという反復律動的な名前は、長男の名として父親の姓を単数形にしたものを当てるという、トスカナ地方の当時の習慣に依るものらしい(トスカナ出身!ダンテとガリレオ、この二人だけで既に凄すぎる・・・)。フィレンツェ生まれの音楽家にして呉服商、ヴィンチェンツォ・ガリレイの第一子がガリレオ・ガリレイというわけなのだ。