散日拾遺

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大石親子の辞世

2016-01-03 00:28:05 | 日記

2016年1月2日(土)

 僕は臨床家を名乗っているが、その名に値するかどうかいささか心許ない。「それはそうでしょう、週に2日ぐらいではね」としたり顔に言う職業臨床家が時々いるけれど、そこにポイントがあるわけではないのだ。違いますよ、それは。週に60時間患者を診たところで、それが真の臨床家の証明になるわけではないのでね。僕が心許ないというのは形式的な滞空時間ではなく、基本姿勢のことだ。

 

 え~っと、なんでこんな前振りにしたんだろう?今思い出していたのはまるで別のことである。既に昨年の話になるが先月12月14日(月)のこと、例によって碁会所で碁を打っていた時、部屋の反対側で紅一点の席亭さんが不意に叫んだ。

 「あら、今日は討ち入りだわ!」

 若い人たち、何のことか分かりますか?

 さっきもテレビでトンネルズ石橋が侍ジャパンを実写版野球盤ゲームでいじり回して「鮒、鮒侍!」と罵っていたが、息子たちは分からないままゲラゲラ笑っている。むろん元ネタは忠臣蔵だ。「お主のような田舎侍を知行泥棒、いやさ鮒侍と申すのじゃ」「ウーム、鮒侍とはあまりな雑言・・・」松の廊下の有名なやりとり、石橋は達者なものでこれを「侍ジャパン」にひっかけ、歌舞伎の所作よろしく「鮒侍」と決めつけたのである。「討ち入り」も同根で、旧暦の元禄15年12月14日深夜から15日未明がその日とされるのだ。ただし西暦では1703年1月30~31日に当たるという。

 席亭さんは僕などより若く見えるがどういった背景の人なのだろう。碁を通じて伝統芸能に親しんでいるものか、それとも碁会所に出入りする人々の年齢層やサブカルチャーに馴染んでいるものか、「忠臣蔵」とも「赤穂浪士」とも言わず「あら、討ち入りだわ!」とだけ。身についた感じが、ある種の奥ゆかしさを感じさせて良いものである。

 ふと気になってその種のサイトをチラ見すると、便利なもので主だった義士らの辞世が紹介されている。

大石内蔵助良雄 「あら楽(たのし)や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」

大石主税良金 「あふ時はかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉」

 内蔵助の歌はひたすらに清々しい。そして清々しさの一般的な条件とでもいったものを鮮やかに示している。「思ひ」は晴れ、「身」は捨てる、これだ。「思ひ」をためこんだまま「身」の保全に汲々としているうようなことだから、一片の清々しさも身から漂うことがないのだ。はやりの断捨離も不要のあれこれのものではなく、この一身を捨てる覚悟に要諦があるのではないかしら。

 少し文脈が違うんだが、星野富弘さんの詩の一節を思い出す。

 「命がいちばんたいせつだと思っていた頃/生きるのが苦しかった

 命よりたいせつなものがあると知ったとき/生きるのが楽になった」

 主税の歌はせつない。心に浮かぶのはどんな相手だったろうか。若い彼が「思ひ」を晴らすには、なお年月が必要であったろう。「思ひ」を断って、彼は父と共に義に殉じた。「かゝる雲なし」と詠んだ内蔵助の胸に、一掬の不憫がよぎらなかったものか。

 父・内蔵助、享年45歳。長男・主税、享年16歳。