散日拾遺

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読書メモ:『史的唯幻論で読む世界史』

2016-01-23 19:13:44 | 日記

「・・・その背景には、かつてのローマ帝国の時代に差別され、支配されたゲルマン民族の特別な恨みがあるのではないか。差別された者は差別したがり、支配された者は支配したがるのである。」(P.57)

「わたしは、戦後日本が東京裁判史観を容認したことが、アメリカがベトナム戦争やイラク戦争を決断する根拠となったと考えている。」(P.68)

「歴史は長い目で見なければならない。日米の道義戦争は、1941~45年の短期間、火を噴いて軍事戦争、熱い戦争となったが、道義戦争としては、1853年のペリー来航以来1世紀半を越えてずっと続いていて、まだ決着はついていないと見るべきであろう。」(P.95)

「このように、わたしは一神教と多神教をまったく無関係な二つの現象と考えている。(中略)ゼウスは女神や妖精や人間の女を犯し回るスケベ爺で、天照大神は弟のいたずらを叱りもせず、すねて身を隠す気の弱い女で、唯一絶対神とは似ても似つかない。」(P.96)

「日本国民があるときまでは正しい道を進んでいて、あるとき変身して、それからはアジアを侵略する悪の道へ方向転換したということではない。日本国民は主観的には終始一貫、正しい道を進んでいたのであり、その主観が、正義の味方を自称したとき、客観からずれたのである。」(P.157)

「言い換えれば、歴史的事件とは幻想の産物なのである。事件の事実そのものは客観的に存在しているであろうが、幻想が絡まなければ、人々の共同幻想に組み込まれなければ「歴史的事件」とならないのである。」(P.193)

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 以上は単純に面白いと感じた部分、以下二点は僕自身が妙に身につまされる(岸田流に言えば僕の幻想が触発され、岸田との間に共同の幻想を形成する気配のある)部分である。

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・ その①

「バナールがどういうことを主張したかということは、解釈や論争の問題ではなく、事実問題であるから、簡単に正誤の決着がつくはずなのに、彼女が事実に反することをあれこれ並べるのは、どうしてなんだろうと不思議ではあるが、考えてみれば、わたしも自著で述べている見解と正反対の見解を述べていることにされて、さんざん批判されたことがあるから、世の中には、著者の本をざっと飛ばし読みして、自分が批判しやすい見解を著者になすりつけて批判する人がいるということであろう。」(P.216)

 たぶんその通りなのだが、精神分析の方法論を大いに踏襲する岸田にしては、ずいぶんさらりと流したものである。この種の「批判者」の心理力動はけっこう厄介なもので、しかも人生のそこここにあって人を悩ませる。精神分析は本来、そうした力動を明らかにすることによって、ムダな軋轢を避けると共に、他ならぬ批判者自身を誤った思い込みから解放するはずのものである。ところが実際には他ならぬ精神分析の研究グループでこの種の事件が頻発し、しかも精神分析をこととする(と自称する)人々が、自由になるどころか自分の防衛を合理化することに精神分析を用いているのを見て、すっかりイヤ気のさした経験を僕自身ももっている。

 その一例。グループのある人の訳書によくわからないところがあったので、原著と照合したうえで「この訳語は原著のどの言葉に対応するのですか?」と公開メール上で質問した。具体的なピンポイントの質問だったが、返信には直接の回答がなく、代わりにさまざまな弁解や反省が述べられていた。次いでギャラリーから、(石丸の)「読み方が浅い」だの、訳業は立派なもので何ら恥じる必要はないだの、途方もない感情のエネルギー伴った反応が連発し、一方これを宥めたり整理したりする言葉はなく、僕にとってはまったく「意味がわからない」大騒ぎになった。

 こうしたことが、いわゆる学会/学界に実はありがちなのである。生き抜くには鈍感力が必要だが、限られた鈍感力をどこで発揮するかは、慎重に考える必要がある。精神分析方面でそれを費消するのはヤメにしたいので、この方面の集まりに参加する方をヤメにした。

 ちなみに、何人かの「分析家」に「岸田秀をどう思いますか?」と訊いてみたが、まともに答えが返ってきた例しがない。賛否の問題ではく、誰もまともに取り合わないのである。明らかに読んでいないようなのだが、それならそうと言えば良さそうなものだ。「読むに値しない」という趣旨のことを、特に理由は示さずに匂わせて終わりというふうだった。それは違うんだと思いますよ。

・ その②

「しかし、世代のせいだけでなく、わたしの個人的な事情も絡んでいるかもしれない。わたしが生まれ育った町は帝国陸軍第十一師団の所在地で・・・」(P.244)

 これってどこだかわかる?香川県の善通寺だ。

 立派な戦後生まれのくせにそんなことを知っているのは、僕の「個人的な事情」である。「世代+個人的事情」で「人生の何分の一かを大東亜戦争について調べたり考えたりすることに費やしてきた」(表現が違うかも知れない、付箋をつけそこなって、ページが見つけ出せない)という岸田だが、僕の場合はほとんど「個人的事情」だけで岸田の何分の一かの人生を同様のことに費やしてきた。それを起動したのはまさに幻想の力であり、僕の場合は18歳で敗戦を経験しその前後の体験によって人生を無残にねじ曲げられた(と僕が思っている)父のイメージが、23歳でサイパン島に戦没した母方の伯父の伝承と相まって、強力な幻想をそこに生み出したのである。

【2016年1月14日(木)購入し、23日(土)読了】