散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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夜桜はかくこそ撮らめ

2018-04-05 13:00:12 | 日記

2018年4月5日(木)

 被曝二世さま、コメントありがとうございます。

> 石丸先生は、桜の花びらから規則性、法則を見出し、宇宙という池の面の、終わりのない波紋を連想されるんですね。さすが、科学者なんだなあと感心いたします。
> センチメンタルに亡き父の想いを感じる私とは、随分違うと驚きました。違った連想ですが、やはり自然は宇宙と繋がっているのかもしれません。

 ありがとうございます。私は科学者とは言えないし、ここに書いたこともおよそ科学者的ではないだろうと思います。というより、科学者的であることと詩的であることは、そんなにかけ離れたものとも思えないのですね。先日、岡潔夫妻をモデルにしたドラマがTVで流れましたが、佐々木蔵之介・天海祐希の好演でなかなか良いものに出来上がっていましたね。ぜいたくな脇役陣も良い仕事をしていました。あの中で、「ないものを、あると思って考えるのが面白い」とか、「スミレはスミレということや」とか、科学でもあり詩でもあるような言葉が節目節目で語られていたでしょう。そういうものだと思うし、そうであってほしい、cogito は一つ、理科系と文科系の二分法なんて、ほとんど人智に対する侮蔑だと思います。

 ごめんなさい、お父様に対するセンチメンタルな想いを抱いて桜を見あげるお気もちは、私自身の感慨といくらも離れていないと申しあげたかったのでした。

 それはそうと、御卒業おめでとうございます。たゆみない努力が見事に報われましたね。24日(土)の学位授与式には余儀ない事情 ~ 桜美林時代の教え子の結婚披露が同日に重なり、しかも乾杯発声のお役を与えられたこと ~ で欠席しました。今年度のゼミ生さんたちにも大いに不義理をしてしまい、後で彼女らの桜も蹴散らす美しいいでたちを写真に見て、あらためて痛恨の想いを噛みしめたことでした。

 御礼・お詫びとあわせ、お送りくださった夜桜の写真を掲載しておきます。おもわず嘆息の美しさ、どうやったらこんなに美しく撮れるんですか?高知でぜひ御教授くださいませ。

  

   

Ω

 


五十肩の光と影

2018-04-05 07:53:33 | 日記

2018年4月4日(水)

 この一月ばかり右肩を動かすと痛みがあり、様子を見ていたがなかなか退かない。

 ちょうど30歳の時に右肩を強打し、肩甲骨と鎖骨を繋ぎ止めている肩先の靱帯をブッツリ切ってしまうケガをした。付着する筋肉の力関係(僧帽筋>大胸筋)で鎖骨が跳ね上がり、ゆくゆく肩の不自由を生じる危険があるという。整形外科で勧められ実施した手術が、上腕の筋肉の肩側の付着部を骨ごと付け替えるというものだった。上腕二頭筋の短頭と烏口腕筋が、肩甲骨の背外側上部にある烏口突起に収束している。この突起を筋肉ごとまるまる切り取り肩甲骨から鎖骨に付け替える、烏口突起移植術と呼ばれる術式である。付け替えによって上腕二頭筋・烏口腕筋が鎖骨を下方に引く力が加わり、鎖骨の位置は靭帯の結合力によってでなく、筋肉の力学的バランスによって正常に復することになる。

 こう書いてみると、吊り橋、とりわけ斜張橋の原理などが連想される。昔はやった水平思考とでもいうのか、神様の人体設計を部分変更するもので、最初に考えた人は真に偉い。偉いには偉いが、母校の附属病院での最初の手術はあっけなく失敗し、あえなく再手術となった。抜釘とあわせて三度の入院で患者として学んだことはきわめて多く、今となれば良い経験をしたと思うが、その時は苦痛で不便なばかりである。再手術は申し分なく成功したものの、その後しばらく冬場や梅雨時はその部分の疼くことがあった。それにいくらか似た感触が今回はある。手術部位に組織の増生が生じ、それが神経を圧迫しているといったような妄想が湧いてきて、日増しに心配が募った。

 医者はコワいが役に立つ。毎月手伝いに行くA君のクリニックに、同窓のK君がこちらは整形外科医として手伝いに来ており、実は30年間に二度ほど世話になっている。お恐れながらと訴え出て、さっそく診てもらった。

 当日は、さすがプロと思うことの連続。Yシャツを脱ぐ仕草を見て「ああ、そんな感じになっちゃってるんですね」、右腕を抜く動作に痛みを伴うので、まず左を抜いておいて左手で右腕を抜く、彼にとっては毎日見慣れた反応を確認して、既に視診が始まっている。

 次いで問診、「肩が痛い」のありようから可能性を三つほどに絞り込む。いくつか動作を指示して痛む筋肉を特定、頚部の痛みがないのを確認して可能性を二つに減らし、別室でレントゲンと、流れるようにスムーズだ。今どきは便利なもので、撮影するが早いか控えの部屋で画像を確認。「手術の跡は申し分ありません。肩関節にも肩鎖関節にも、骨の異常はナシ。ということは骨を取り巻く筋肉や軟部組織の問題ですね。」

 で、結論は「肩関節周囲炎」、別名を五十肩という。ご、五十肩ですか、十年ほども得したと思えばいいのね。

 「朝起きたときが、体が固まってる感じでいちばん痛いようです」とつけ加えたら、

 「ああ、出ちゃってますね、油ぎれ症状が」と、事もなげに即答が返ってきた。あ、油ぎれですか、と、内言がいちいちドモっている。薬の処方はなく、ただ丁寧な説明に添えて五十肩体操のチラシ2枚を渡された。お見事!

  

 現金なもので、確かな見通しがついたら同じ痛みがはるかに耐えやすくなった。五十肩、K君に依れば「少しケバが立っているぐらいの腱板炎」とのことで、そうと分かればそんなものに負けてられない。無理は避けつつ、ストレッチと筋力強化がミッションである。関連する筋肉は僕の場合、棘上筋・棘下筋・小円筋とのこと。A君と同班で解剖学実習に取り組み、これらの筋肉の名前をラテン語で覚えたのは36年前になる。

 帰り道にA君がウナギをおごってくれた。座敷のぐるりに大きな瓢箪がいくつもぶら下がっており、聞けば御亭主の親戚に瓢箪づくりを趣味にしている人があるという。瓢箪には人を魅了する魔力のあること、『西遊記』は金角・銀角の紅びょうたんやら、志賀直哉の『清兵衛と瓢箪』やら、例に事欠かない。おおかた御親戚もこれに取りつかれた口だろうか。蓋にする節くれ立った木片も山中を歩いて見つけてくる、中の種を取り除くのが難儀で、種はギンナンを思わせるような悪臭があってなかなか大変、手間ひまかけて立派な瓢箪ができたのなら、売れば良いのにとの周囲の勧めをよそに、作っては分け与えるあくまで高邁な趣味の瓢箪・・・伺うだに楽しいトリビアの数々。

 記念に写真を撮らせていただいたが、この大瓢箪が信じられないほど軽い。信長が腰の周りにやたらにくくりつけたのも無理からず、至って軽便なウェスト・ポーチだったわけだ。向かって右端が「川魚 根本」(三郷市)の御亭主である。御尊顔を露出して申し訳ないが、宣伝ということで許していただこう。さて、元・胸部外科医で現在は内科・小児科クリニック院長のA君と、整形外科一筋のK君、どちらがどちらでしょう?

 瓢箪をもって鰻を抑える・・・違ったっけ?

Ω