散日拾遺

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復活節の感銘と落胆

2018-04-01 21:28:54 | 日記

2018年4月1日(日)

 何時の頃からか、この時期の月齢が気になるようになった。先日も書いた「春分の日の後の満月の次の日曜日」という規定があるからで、今年は3月30日(金)の晩、外出先の東南の空にきれいな満月を見た。地上の花も夜目に絢かである。

   

 そこでめでたく日曜日。新年度の初日がイースターであり、エイプリル・フールでもあるという暦のアヤが生じた。礼拝で使われた3曲の讃美歌の最後が初めて歌うもので、感銘ひとしおである。

 イースターはキリスト教暦のヘソのようなもので、クリスマスがないとしたらキリスト教は大破を被るが、イースターを失ったら信仰そのものが一撃轟沈である。とはいえ、暦にまつわる讃美歌の美しさと豊かさではイースターはクリスマスに遠く及ばず、比較にも何もならない。とりわけ日本ではその観が強く、それだけに「讃美歌21」が『球根の中には』といった比較的最近の名曲を拾っているのは嬉しい。334『よみがえりの日に』もその一つと思われた。

 ただ、例によって翻訳が問題で。

 素朴な三拍子の短調に載せてエマオ途上の物語が坦々と語られる。訳詞も、6番中5番までは概ねよくこなれていて ~ 「客が食卓で」は少々苦しいけれど ~ 苦労がしのばれる。大変だとは思うんですよ。

1 よみがえりの日に エマオの道で、とまどい、おそれて イェスに気づかず。

2 「何を悩むか」と見知らぬ人が 問いかけてくれる イェスと気づかず。

3 聖書ときあかす 言葉を聞いて 心が燃えたよ イェスと気づかず。

4 一日(ひとひ)のおわりに 「共に泊まろう」と 無理にひきとめた イェスと気づかず。

5 客が食卓で パンをとって裂くと 悲しみ消えさり イェスと気づいた。

 そして6番…

6 心を燃やして 現場にかえり 「主はよみがえった」と イェスを伝えよう。

 現場・・・ゲンバですか、マジで? 絶句・・・「げ」「ば」の音の荒さ(ゲバルト的な!)、「犯行〜」「工事〜」といった連想のろくでもない方向性、何よりもこれでは意味がわからない。いったい何のゲンバに帰れというのか。

 インターネット検索で出てきた原詞を末尾に掲げる。「現場」と訳されているのは scenes of pain だ。受難物語の狭義の文脈ではゴルゴタへ向かう道と、丘の上のあの場面ども、主の亡骸が取り去られたことを嘆き悲しむ女たち男たち、より広く取るなら、人の世のあらゆる種類の苦悩と喪失の現実であろう。

 そう思えば「現場」と訳す意味もわからないではないが、歌詞なんだからね。「悲しむ民に」とか「悩む巷に」とか、「燃やす」を受けて「闇夜を照らし」とか「闇路を戻り」とか、工夫はいろいろあろうではないか。そもそも「心を燃やして」は情緒と動機づけに注目した言葉で、opened eys, renewed convictions が理知的であるのとは開きがある。それならいっそ、これはどうか。

 「心啓(ひら)かれて 闇路を戻り」

 などなど考え巡らしつつ、あはれ今春みすみすまた過ぎ四月に入った。

*** 

(↓ http://www.singingthefaithplus.org.uk/?p=1492  に音源あり。)

On the day of resurrection
詞:Michael Peterson, 1954-   曲:Mark Sedio, 1954-

On the day of resurrection
to Emmaus we return;
while confused, amazed, and frightened,
Jesus comes to us, unknown.

Then the stranger asks a question,
‘What us this which troubles you?’
Meets us in our pain and suffering;
Jesus walks with us, unknown.

In our trouble, words come from him;
burning fire within our hearts
tells to us the scripture’s meaning.
Jesus speaks to us, unknown.

Then we near our destination.
then we ask the stranger in,
and he yields unto our urging;
Jesus stays with us, unknown.

Day of sorrow is forgotten,
when the guest becomes the host.
Taking bread and blessing, breaking,
Jesus is himself made unknown.

Opened eyes, renewed convictions,
journey back to scenes of pain;
telling all that Christ is risen.
Jesus is through us made known.

Ω