散日拾遺

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四大の不調が病のもと

2018-04-03 11:26:21 | 日記

2018年4月3日(火)

 火・曜日か。

 太子また問給はく、「何なるを病人とは為ぞ」と。答て云く、「病人と云は、耆(たしび)に依て飯食すれども癒ることなく、四大不調ずして、いよいよ変じて百節皆苦しび痛む・・・」(今昔物語 巻第一 「悉達太子、城に在りて楽を受けたまへる語」)

 東・南・西の門を出ては、老・病・死の苦悩に出会う有名な場面だが、いま気になるのは「四大ととのわずして」という部分である。四大とは「物質を構成する四大元素とされる地・水・火・風のこと。人体もこの四元素から成り、その調和が崩れると病気になると考えられた」と岩波文庫版の脚注にある。

 明解だが、これだと古代ギリシアの哲学・医学 ~ イオニア派の自然哲学からエンペドクレス、降ってヒポクラテスに至る思想の要約と寸分変わらない。実際、仏教にも【四大=地水火風】という枠組みはカッチリと存在するわけで、どちらがどちらに影響したのか、あるいは共通の淵源があるのかなどとすぐ考えたくなってしまうが、そういう問題の立て方が生産的でないのかな。

 頭の中の古代地図上で、メソポタミアとインドの間に境界線を引きたくなるのがたぶん間違いなので、どちらかといえば中国とインドの間に太めの境界線を引く方が正しさに近いかも知れない。インドは東洋ではなく、あえて西洋と区別したいなら中洋だと言ったのは、梅棹忠夫だったか。

 弥勒来迎という仏教の思想は、キリスト教の再臨思想を景教(ネストリウス派)異端を介して取り込んだものだと、どこかで読んだ。今昔物語の冒頭「釈迦如来、人界に宿り給へる語/釈迦如来、人界に生まれ給へる語」など、降誕物語の補遺を読んでいるような気もちになり、妙にアウェイ感がないのである。

 この間はNHKが古代エジプトの三人の女王に注目した番組を立て、その一人であるネフェルティティとの関連で紀元前14世紀の失敗に終わった宗教改革について紹介していたが、フロイトの妄想に依ればここで生まれた太陽神信仰を純化発展させるため、エジプト王族の一宗教指導者が一群の民を率いてカナンへ移住したのが、旧約聖書にいう出エジプトの真相だという。

 真偽はともかく、こうした相互作用の巨大な坩堝が向こう側にある。インドはその東の一翼を担っているが、中国からこちらはいちおう断絶しており、時折り風に乗って強い香りが伝わってくる、そんな距離感か。それだけに『今昔物語』の野心の大きさが眩しいようである。

 そういえば『聖☆おにいさん』、2006年以来堂々の連載進行中だが、最近はどんな話になってるのかな。こちらも大変な野心の大きさだ。

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