2018年4月26日(木)
土佐弁と伊予弁は似ているかと訊かれたりする。同じ四国で県境を接する隣県でもあり、そう思われるのも無理はないが、実際には大して似ていない・・・と思う。もちろん相対的な話だけれど。
四国は小さい島であるけれども、峻険な山地がとりわけ北側では海際まで迫り、なけなしの平地を細かく寸断する。それが幕藩体制下の藩割りなどにも反映された結果、四国の中身は意外なほど多彩、多様である。
狭いとか不便とかいった評は、外れてはいないが一面的なもので、「土地を広く使いたければ交通機関のスピードを落とせ」と書いた賢者の言を思い出す。そうした意味で四国は賢くもたいへん広い。
小学校時代に3年間松山に住み、高知に戻った途端に伊予訛りをからかわれたという思い出を、倉成塾の女性メンバーが語ってくれた。
「ありがとう」という時、松山では _ _ _ ー_ つまり「と(う)」が高くなる。土佐弁は前半が高くて正反対なのだそうで、聞き逃しようもない。どちらも東京弁から見れば訛っている。あるいは、どちらから見ても東京弁は訛っている。
一方、似た言葉もある。高知市内の路面電車が発車を告げて閉扉したが、赤信号で待機するところへ高齢の男性がやってきた。乗りたがっているのにワンマンの運転手は気づかない。と、やおら乗客の女性が運転手に向かって、
「おいでてますよ!」
すぐさまドアが開いた。
「おいでる」は伊予弁にもある。説明するまでもなく「いらっしゃる」「おいでになる」の意で、のんびり日向びた表敬の響きが大好きである。
中央では失われた古語表現がしばしば方言の中に保存される例も、他の地方と同じく土佐弁と伊予弁に共通しているだろう。
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