散日拾遺

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宝は誰に属するか

2019-10-11 15:20:36 | 日記
2019年10月11日(金)
 「今昔物語」をひき続きゆるゆると読み進めている。
 巻十五はあちらこちらの法師や聖人の往生譚、巻十六は観音菩薩の霊験のあらたかなること、巻十七は地蔵菩薩の救済の広さ深さ、この伝でテーマ毎にまとまっているらしい。そうした器の中に詰まった個々の具材が楽しいわけで、ちょいちょい面白い発見がある。
 巻十六の第二は「伊予の国の越智直(おちのあたい)、観音の助けに依りて震旦より返り来れる語(こと)」とある。(岩波文庫(上)、P.312)
 これは古い話の設定で、伊予国の越智氏といえば今日の地名(芸予諸島の一部を占める愛媛県越智郡)に名を遣す中世の名族だが、その先祖の直なる人物が七世紀の百済救援に動員された。白村江の大敗で唐の捕虜になり、一行8人が洲(しま)に取りこめられる。震旦は中国の意である。父母妻子を恋うる間、そこに一躯の観音像あり、一同喜んで念じる様、
 「観音は一切の衆生の願いを満給ふこと、祖(おや)の子を哀ぶが如し。而るに此れあり難き事也と云ふとも、慈悲を垂給ひて、我等を助て本国に至しめ給へ」と泣々申して云々。
 やがて一行は洲の後方が深い海で見張りがなく、辺に多くの木があるのに目をつけ、松の巨木を秘かに伐って丸木舟に仕立て、観音像を安置して発願したところ、やおら強い西風が起きて「船を箭を射が如く直しく筑紫に吹き着たり。此れ偏に観音の助け給ふ也云々」
 観音の慈悲に国境の隔てはないという次第。それにしても白村江には驚いた。
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 読み進めると今度は、懐かしいわらしべ長者の話が出てくる。「長谷に参りし男、観音の助けに依りて富を得たる語 第二十八」 (同上、P.391)
 ストーリーは周知の通り。初めに藁しべを拾い、これに虻をつかまえて結びつけ(何と器用な!)、それを蜜柑三個と換え、蜜柑を献じて布三巻を与えられる。ついで、偶々目の前で通りすがりの駿馬が突然倒れて死に、布一巻で死骸を引きとったところ、これがまんまと蘇生した。残りの布のうち一巻を鞍、一巻を食糧・馬糧に換えて京に上り、この名馬を売って九条あたりの田一町と米をせしめたのが双六のあがりである。

 この話は宇治拾遺物語にもあるが、実は一連の交換話の動き出す前が傑作なのだ。主人公は「父母・妻子なく、知たる人も無かりける青侍」で、これが長谷の観音にいわば談判を仕掛けるのである。
 「我れ身貧しくして一塵の便りなし。もし此の世に此くて止むべくは、此の御前にして干死に死なむ。もし自から少しの便りをも与え給ふべくは、その由を夢に示し給へ。然らざらむ限りは更に罷出じ」と云て、低(うつ)し臥たり。
 慌てたのは寺の坊主どもで、こんな手合に本当に餓え死にでもされたら「寺に穢れ出来なむ」とて男をせっつくが、男はさらに動こうとしない。坊主らは
 「此人ひとえに観音を恐喝(おどし)奉て、更に寄る所無し。寺の為に大事出来なむとす」
 と、やむなくこの男に食物を与え、男はそれで飢えをしのいでとにもかくにも三七日の参籠を終えた。そこでめでたく夢のお告げにあずかるのである。
 「汝が前世の罪報をば知らずして、強ちに責め申す事、きわめて当たらず。然れども、汝を哀れむがゆえに、少しの事を授けむ。然れば、寺を出むに、何物也と云ふとも、只手に当たらむ物を捨てずして、汝が給はる物と知るべし」と云々。
 坊主らが呆れた通り、観音さまをカツアゲている態だが、そこまでの熱心は天晴れともいうべきで、それほど観音様を信頼していると云えばいえよう。コケの一念とはこのことだ。
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 これと対照的な話が「清水に二千度詣したる男、双六に打入れたる語」巻十六、第三十七である。主人公はこれまた「青侍」。
 「今昔、京に、有所に仕わるる青侍有けり。為(する)ことの無かりけるにや、人の詣けるを見て、清水へ千度詣二度なむ参たりける。」(P417)
 「することの無いかりけるにや」は御挨拶だが、この男の発心は元来その程度のものなのだ。それにしても「千度詣二度」は大したもので、毎日通ったとして6~7年かかる難事である。そこで流された汗と費された時間は小さからず、こうした行為で示された信心が今昔物語の文脈で報われないはずはないのだが、その後がいけない。
 双六博打で賭け金に困ったこの男は、あろうことか千度詣二度の貴重な御利益を、賭け金代わりに差し出してしまうのである。
 「我れ露持ちたる物なし、只今貯へたる物とては、清水の二千度詣たる事なむるを、其れを渡さむ。」(P.417)
 面白いのは周囲の反応で、バカ言え、そんなものが賭け金代わりになるものか、と一同ゲラゲラ笑っている。唯一真に受けたのが博打に勝った相手の男で、ホントだな、ホントに御利益を俺にゆずるな、それなら証文書け、と坊主を証人に招いて起請文をきっちり取ったものだが、これが霊験あらたかというもので。
 ほどなく、負けた男は他人の罪に連座して牢に入れられ、勝った男は資産家の娘を娶り、出世運にも恵まれて末永く幸せに暮らしたという。
 「三宝は目に見え給ぬ事なれども、誠の心を至して請取たりければ、観音の哀れと思し食(めし)けるなめりとぞ。」
***
 さて、聖書の読者ならば誰でもすぐに思いつく、よく似た対照が創世記にある。エサウとヤコブはイサクとリベカに与えられた双生児兄弟だが、誕生の瞬間からヤコブはエサウのカカトをつかんでいるという波乱含み。「足を引っ張る」とはよく言ったもので、長子エサウ(旧約の世界では単純に先に娩出された児が兄になるらしい)に与えられるはずの父イサクの祝福を、ヤコブはまんまと横取りしてしまう。
 その決定的な場面には母リベカの策略が働き、そもそも父イサクはエサウを愛しみ、母リベカはヤコブを愛するという家庭の悲劇が背景にあるのだが、不幸を招いた真因はエサウ自身の内にある。

 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。
 「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。
 ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。
 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。
(創世記 25:29-34)

 せっかく千度詣を二回も果たしながら、その価値を自ら軽んじて博打の掛け金代わりに譲ってしまった哀れな男と、ここに描かれた短慮のエサウがみごとに重なる。
 宝はその価値を知る者に所有の資格があり、資格のない者の手から奪われてより相応しい者に与えられる。信心の世界のこの大原則が、俗世界でも通用するなら良いのだけれど。
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