散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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鬼瓦よりシーサーへ

2019-10-31 13:57:14 | 日記

2019年10月30日(水)

 粟井坂の端から瀬戸内海を望む絶好の位置に、もう30年以上も続いた海鮮料理屋が突然閉店した。料理やサービスの質には消長があったが、何しろ眺めが最高なので経営に苦労ないことと素人には思われた。跡地を誰がどう使うのかわからず、こういうのは何かなし不安なものである。
 代わりに、国道196号線がバイパスに分かれる直前の蕎麦屋に初めて入った。その正面にこれ:


 巨大な鬼瓦、裏面に簡単な説明がある。

 

 平安京羅生門鬼瓦を復元したものだそうで、作りはもちろん伊豫菊間瓦と決まっている。閉店した海鮮料理屋も屋根に見事な菊間瓦の龍が鎮座しており、ピンと張った長い髭まで瓦なのが驚かしく誇らしかった。
 この角度のほうが鬼の表情がよく分かる。恐ろしく威嚇的なばかりでない、悲しみを帯びた深さを感じるのは、思い込みというものか。



 都市化の影響やら防災上の懸念やらで、瓦の将来は明るいとも思われないが、伝統の技には何とか生き延びてほしいものである。わが家は数千枚の瓦の上に太陽光パネルを載せていて、住人のものの考え方が自ずと知れる。


 ショッピングモールから望む高縄山が秋の晴天なのに霞み気味なのは、どうやら黄砂の影響らしい。日没は早くて17時20分には外仕事が強制終了になる。珊瑚樹とエノキの樹冠に切り取られた濃紺の高窓に、鎌に譬えるには精巧すぎる上弦の細月がくっきりと浮んだ。

2019年10月31日(木)
 田舎の眠りはどこがどう違うのか、東京の家だって十分静かなのに、音量とは別の条件に依るらしい静謐に圧倒され、最初の朝は必ず寝過ごすことになっている。
 遅く起きて点けたTVニュースで首里城の焼亡を知る。悲報続きの昨今ながら、他とは異質の喪失感で呆然となった。戦前数次の火災を経て戦災で灰燼に帰し、30年越しの復旧作業が完了したばかりと聞いている。当ブログでも5年前に、その比類のない美しさに触れた。
 「沖縄補遺 4 ~ 首里城の美しさ/沖縄の未来」2014年5月26日
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/9b034c46f0406f6bc59adff98229ea65 

 正殿が焼け落ちる瞬間の映像を見ながら、しかし人々の多くが早くも再建・復旧を心に誓っていることをひしひしと感じた。聞くまでもなく分かることである。何度でも建て直し、いっそう美しく誇らかに立ち直るに違いない。ささやかな援助をすぐにも申し出たい気もちである。

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