散日拾遺

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防災立国

2019-10-12 12:09:10 | 日記
2019年9月12日(土)
 雨の降り方がただ事ではない。予報通り、台風19号がわきめもふらず、まっしぐらに向かってきている。
 皆それぞれ準備に余念のないことだろう。明日に予定していた合同ゼミを中止にしたが、期限の迫ってきている学生院生は気が気でないはずだ。今回の台風は東に偏っているだけに、関西や九州の院生はギリギリまで出席の可能性を探っていたようである。しかし安全には替えられない。これは本当に替えられないのでね。
 
 昨日、卒研生の返信から:

> 先生こんにちは。ご連絡ありがとうございました。 今回は矢が降ってもご指導いただかねばと意気込んでおりましたので、残念です。

 ・・・槍が降っても、と言いたいところだったかな。しかし今回の雨は矢や槍に劣らず危険かもしれない。

> 前回の台風の際、私の部屋の階下(1階)に、どこかから、大きなヤシの木が飛んできており、大変驚きました。ヤシの木って飛ぶのですね。先生、どうか本日はお気をつけてお帰りになってください。

 名も知らぬ遠き島より / 飛び来たるヤシの木ひとつ ・・・歌にもなりやしない。

 ヤシも電柱も飛ぶ騒ぎで、本当に何が起きるか分からない。そのくせ実際にやってくるまでは日頃に変わらず平穏無事なのが台風の不気味なところで、「嵐の前の静けさ」という言葉にこめられた胸騒ぎを今さら実感する。

 この状況下で軽率ということになるのかどうか。数ヶ月前から約束していた小さな会食を、昨夜は予定通り実施した。できる備えや片づけは全てすませ、台風はいつになく定まった足取りで進路を刻んでいるから、前夜に外出していけない理屈はないが、やはり落ち着かない。
 還暦を迎えて決意したことの一つが「酒は飲みたい相手とだけ飲む」というもので、これは概ね守ってきている。昨夜のそれはごく限られた「飲みたい相手」、少なくとも「飲んでもかまわない相手」とのものだった訳で。

 教員免許更新講習を広瀬宏之先生とコンビで担当して、今年で11回目を数えた。おかげさまの人気講座で毎年100名以上の受講者があるから、通算1,500人近くの教員諸兄姉に講義を提供したことになる。
 講義後には型どおり受講者によるアンケート調査が行われるが、その結果は例年似たようなパターンである。自由記述欄に記載のある数十件の大半がなるほどのコメントやら批評やらで、励ましや感謝を記してくれる人々が10名ぐらいだろうか。他方、げんなりするような非難や無い物ねだり、時には無茶な言いがかりをつけてくる受講者が1~2名は必ずある。およそ建設的批判などというものからはほど遠いぶち壊しで、この種の先生方に担当される児童生徒が幸せであるとは、なかなか想像しがたい。
 さて、これら1,500名近い受講者の中で、事後に連絡をくれた人々がこれまで3人あった。1人は近隣の教会員で、今はNZから現地報告を送ってくれるA先生である。あとの2人は、東京都内の公立学校の養護の先生とだけ言っておこう。それぞれ別の年度に講習を受講し、その後職場で出会って大の仲良しになったのだという。仲良しの語らいの中で講習のことが話題になり、困難を抱えた児童のケース検討に「あの先生を呼んでみようか」と思い立ってくれたのが御縁だった。
 先方にしてみれば結構な心理的ハードルがあり、大学の事務を通して連絡をとるのもすんなりとはいかず、よくぞ呼んでくれたと思う。こちらとしても、有志の人々とは広く交流したい気もちが日頃からあり、御縁はありがたい。この2人と久々に歓談する約束の日が、台風19号上陸前夜にあたったのだった。

 近況や現場の様子をゆっくり拝聴し、店外に出れば雨脚はいったん弱まって無風である。欲が出て、恵比寿から5kmほどの夜道をせっせと歩いて帰宅した。そのまま9時間余り熟睡し、起きればこの雨である。

***

 国、あるいはそれに似たものの成り立ちについて考える。近代国家に限らず、古代都市国家でも同じことで、あるいは一国家内の特定地域でもよい。それらをとりあえず「国」と呼ぶことにしたとき、そのような権力集中が要請される事情には、たぶんいくつかのパターンがある。 
 わかりやすいのは宗教上の理由でヨーロッパからアメリカに移住した人々が建設したコロニーで、これは初めから宗教的なまとまりと、これに対応した一定の政治理念を存立根拠にしている。わが国の歴史の中にもそういう「国/都市」は少数ながらあり、たとえば伊勢長島の一向宗の共同体などはその例で、キリシタンが目ざしたのもそういうものだっただろうが、戦国時代末期にすべて粉砕され消滅した。
 いっぽう、日本の伝統的なあり方においては事情はだいぶ違っており、そもそも防災共同体としての意味が強かったのではないかというのが年来の私見である。もちろん、それだけで日本全体を覆うような強力な権力装置が構築・維持されるわけではなく、そこには他の社会関係 ~ たとえば中世において「本領安堵」と「奉公」からなる一種の双務契約として成立した武家の主従関係 ~ が託されもし、これに似つかわしいイデオロギーの装いも求められることになるけれども、そうした社会構造をとりわけ日常の世界に降りて行くに従って、はっきりしてくるのが「共同体は防災のためにこそ必要である」という生活実感ではなかったか。
 岡山学習センターで面接授業を行った際、地元出身の事務長さんが「岡山は自然災害がほとんどないので、助け合いの心が育たんのです」と苦笑しておられたが、近年は皮肉にもその岡山の人々が非常な御苦労をなめている。ともかく「助け合いの心」を制度化したものが相互扶助の共同体であり、地域コミュニティの範囲を超えた広域防災(たとえば一級河川管理)のために「国家」が要請される、それが日本人にはいちばんわかりやすい。

 この状況を大きく変えたのが「黒船来航(来寇?)」で、あの時以来、日本人は人為的な外圧へ対処するために強力な国家をもつことを余儀なくされ、そのため非常な出費を強いられるようになった。あげくの戦争と敗戦。その後に成立した自由民主党政権は、そもそもアメリカのテコ入れの産物との有力な指摘があり、そうであれば戦後の日本の政府と国家が「アメリカ対応」を基本機能にしていることに不思議はない。岸田秀が言うとおり、わが国は黒船トラウマから少しも脱していない。
 その事情を一朝一夕にどうしようというのではないが、仮にそうであったとしても日本人にとって、群れを成すことの最大の理由が「防災」にあるのだという二千年来の大前提を、どうしたって忘れるわけにはいかないというのである。

 数日前にインターネットで下記の記事を見た。
 https://www.msn.com/ja-jp/news/money/最低賃金引き上げ%ef%bd%a2よくある誤解%ef%bd%a3をぶった斬る-アトキンソン氏%ef%bd%a2徹底的にエビデンスを見よ%ef%bd%a3/ar-AAIu6OD?ocid=spartandhp#page=2

 アトキンソンという人物はよく知らないし、最低賃金引き上げが適切な助言かどうか(そうであってほしいが)は判断がつかない。ただ、目が吸い付いたのは下記の部分である。
 「なぜ、この政策(=最低賃金引き上げによる生産性向上)を実施するべきか。この点について3点、強調しておきたいポイントがあります。
 1つ目は、自然災害との関係です。日本の国土面積は世界の0.28%であり、人口は1.9%と、世界全体からするとほんのわずかを占めているにすぎません。しかし、2014年の『防災白書』によると、2003年から2013年の間に発生したマグニチュード6以上の地震のうち、実に18.5%が日本国内で発生したそうです。また、1984年から2013年の活火山の7%が日本に存在するともあります。
 つまり、日本という国は、地震や火山に絡んだ極めて特殊なリスクを抱えている国なので、いざという時のために、生産性を高めて国の財政を諸外国より健全な状況にしておかなくてはならないのです。このような観点から、日本にとっての生産性の向上は、国の死活問題だと私は真剣に考えています。」
 
 そんなことはあたりまえ、日本人なら誰でも知っていると言いたいところだが、政策を見る限り「知ってる」「わかってる」とは到底思えないというのであろう。おっしゃる通りである。
 厄介なことには自然災害のあり方が、おそらくは地球温暖化との関連で大きく変わりつつある。台風というものが、これまでより一桁上のこんな破壊力をもって毎年襲来するのだとすれば、そしてマグニチュード7クラスの首都直下地震が30年以内に70%の確率で起きるのだとすれば、インフラのあり方・作り方を根本から考え直さなければならない。道路も鉄道も送電線も家も、何もかもである。文字通り何もかもだ。
 田舎の家に上下水道が来ていないことを、これまでは引け目にばかり思っていた。しかし少なくとも井戸に関しては、案外捨てたものでもないかもしれない。井戸水はモーターで汲み上げるが、電気が止まったら釣瓶を使うまでである。

 思想的に二流でも防災において一流なら、自分の国を誇りにすることができる。防災は人智と人間性が結集されて成り立つものだからである。そこまでの道のどれほど遠く見えることか。

***
 折からA先生より来信。NZの新聞記事から2件御紹介あり。とりわけ後者に、時々刻々の海外からの視線を感じる。温かい視線である。

・ Countdown to offer customers a low-sensory, autism-friendly quiet hour nationwide

・ Poor unlucky Japan gets one visitor too many at Rugby World Cup
Ω