散日拾遺

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両手を挙げて

2019-10-13 20:46:46 | 日記
2019年10月13日(日)
 台風一過、晴天の暑い日だが、さすがに会堂は人が少ない。車移動を自粛したMさんの代わりに、Sさんが二週続けての奏楽である。パイプオルガン奏者には手許必需の鏡がないねと先週話したが、どうやら調達されたらしい。お化粧用のものを持参なさったか。
 M牧師が説教の中で、こまめに原語に言及されるのが嬉しい。

 一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、言った。
 「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
 イエスはお答えになった。
 「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
 そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
マタイ福音書 17:14-18

 「てんかん」にあたる言葉は(素材の原型をより忠実に残していると思われる)マルコ福音書にはなく、マタイの加筆と思われる。かつ、ここで「てんかん」と訳されている σεληνιαζομαι という単語(厳密には「てんかんである」という動詞)は σεληνη すなわち「月」という名詞に由来する。月の魔力によって疾患とりわけ精神の変調が引き起こされるという例の迷信で、英語では lunacy, lunatic にその痕跡を見る。
 しかし「火の中や水の中に倒れる」という描写は、てんかんの臨床像として少しも誇張ではない。その写実性と神秘的解釈との対比が印象的である。

 ついで「我慢しなければならない」の「我慢する」は ανεχομαι 、これはもともと「(手や顔)を上げている hold up」の意があり、「疲れて手を下ろしたくなるのをこらえる」ところから来ているとのこと。
 それで思い出される話が旧約にある。イスラエルがアマレクと戦った際、モーセが手を上げているとイスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になるので、アロンとフルがモーセの両側に立ってモーセの手を支え続けたとある(出エジプト 17:10-12)。

 戦い終わってめでたくモーセは手を下ろしたが、イエスは両腕を上げたその姿で十字架につけられた。「いつまで共にいられようか」に対する答えと、「いつまで我慢しなければならないのか」に対する答えは同じであるに違いない。それはいつまでか、わかりきったことである、が・・・
 ちょっと待った。
 「いられようか」という可能の意、「我慢しなければならないのか」という義務の意が、ギリシア語原文には見えない。少なくとも僕には見つけられない。単純な未来形にそういう含意があるものだとすれば、話は別だけれど。

 έως ποτέ μεθ υμων εσομαι, εως ποτε ανεξομαι υμων;
 「いつまで私はあなたがたと共にいることになるのだろうか、いつまで私はあなたがたのために手を挙げ続けることになるのだろうか?」

 答えは「世の終わりに至るまで」であろう、そうでしかあり得ない。ここでイエスは堪忍袋の緒が切れそうになって愚痴をもらしたのではなく、永遠に続く聖なる責務について深く自問した、そう読むことはできないか。もちろん、M先生の説教からは既に逸脱した勝手読みである。
 英語・フランス語のいくつかの翻訳は、例によってニュアンスのバラツキを窺わせる。下記、第一の訳はきわめて愚痴っぽく、第二のそれはいくぶん中立的であり、第三のものはより肯定的な読みを許容するように思われる(supporterai > supporter 英語の support !)。

 Jesus answered, "You faithless and perverse generation, how much longer must I be with you? How much longer must I put up with you?"  (NRSV)

 Then Jesus answered and said, O faithless and perverse generation, how long shall I be with you? how long shall I suffer you? (KJV)

 Jésus répondit: Race incrédule et perverse, jusques à quand serai-je avec vous ?  Jusques à quand vous supporterai-je ? (ABU)

 巨人アトラスが頭上に天空を支え続けたように、主イエスは両手を掲げて人の罪を負い続ける。

Ω