散日拾遺

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埃をはらって加藤咄堂

2019-11-05 20:44:29 | 日記
2019年11月5日(火)
 旧家の片付けはこれだから面白い。埃の中から出てきたのは、これ。

 



 『全釈 菜根譚』(大東出版社)、著者(注釈者)がかの加藤咄堂である。文字通りの掘り出し物だ。
 『菜根譚』は庶民的な叡智の書、「事事留個有余不尽的意思」云々という下りは、座右の銘とするところ。著者の加藤咄堂(1870-1949)は戦前に活躍した思想家・弁論家で、生死観ならぬ死生観という言葉を定着させた仕掛け人であること、島薗先生の御著で知った。

(Wikipedia より拝借、こういうポートレイトも珍しいが・・・)

 Wiki の情報から推すに、咄堂は ① 僧籍をもたない仏教思想家、② 弁論術・雄弁術の唱導者、この二面で注目されている。仏教大事とはいえ国粋主義的な傾向はもとから明白であったところ、時局の悪化に伴って翼賛体制に阿る姿勢が明らかになった。そのためでもあったか、活動の盛期は1890年代から1930年頃まで(明治20年代から昭和一桁)と長きに及び、人心に影響すること大であったと想像されるのに、戦後はほぼ完全に忘れられ Wiki などの記載も案外に薄い。

 掘り出された古書の奥付には「昭和15年5月25日発行、昭和16年4月1日第45版発行」とあり、わが家の誰かがこの45版を購入したと思われる(!)。カラクリがあるにしても、この本などもずいぶん広く読まれたのであろう。昭和16年は言うまでもなく日米開戦の年で、1945年という巨大な節目(むしろ裂けめ?)の4年前。いっぽう、節目の4年後に著者は79歳で鬼籍に入った。節目の前4年、後4年、計8年間にこの国を襲った激変(激変などという言葉に収まるものではないが)を、この人物がどう見て何と言ったか、聞いてみたかった気がする。

 『菜根譚』にどんな釈を付けたか、興味津々ぱらぱらとめくってみたところでは、ごく手堅い釈義に終始し、とりたてて何らかの主張が突出するようでもない。ときどき仏典に関する詳しい解説が加わるのが、この御仁らしいといえばいえるか。
 読み進めるにつれて最初の興奮が鎮まって来、漢籍仏典からの豊富な引用や歯切れのよい語り口が心地よくなってきた。死生観についての新発見はさておき、しばらくのあいだ楽しめそうである。

Ω