散日拾遺

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「法王」あらため「教皇」来日

2019-11-25 07:48:45 | 日記
2019年11月25日(月)
 フランシスコ教皇来日中。長崎、広島、東京と非常なハードスケジュールで移動しつつ、核廃絶に向けて明確で力強いメッセージを発信している。
 兵庫の義弟夫婦は連休を利用して長崎へ飛んだ。神奈川の義妹は本日東京ドームでミサにあずかる予定。カトリックの信徒にとって記念すべき人生の一日である。いわゆるプロテスタントの間では相当の温度差がありそうだが、個人的にはかねがね畏敬と親愛の念を抱くところ。義弟妹にとっては敬愛するパパ様、僕には本家の偉い伯父さんぐらいの感じだろうか。
 30年前にカトリックの親戚が大量にできた時、最初に知ったのが彼らは決して「法王」とは呼ばない、あくまでバチカンの「教皇様」であることだった。一方、僕の幼時の記憶には「ローマ法王パウロ6世」の印象が鮮烈である。在位1963~78年、第二バチカン公会議(1962~5年)の最中に急逝したヨハネ23世の衣鉢を継ぎ、ベトナム戦争の難しい時代に世界を駆け回る様子が、家庭に普及しつつあった白黒テレビのブラウン管に頻繁に登場した。
 以来、世間並に「ローマ法王」とばかり思っていたから、信徒も教会も「教皇」としか言わないのは驚きで、それにもかかわらずメディアが一貫して「法王」と呼び続けるのが不思議だった。
 状況が突然変わったのが、本2019年11月20日である。


 記事によれば変更の理由は、① カトリック関係者らが「教皇」を使っていること、② バチカンも変更に異論なしと確認できたこと、この二点に集約される。遡って、そもそもこれまで「法王」を使っていたのは、在東京「ローマ法王庁大使館」の呼称に準じたからだとある。

 この点について「ローマ教皇庁大使館」の web site には、記事も紹介する通り以下の記載がある。
 「日本とバチカン(ローマ法王庁、つまりローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。そのまま「法王庁大使館」になりました。そのため、外務省をはじめ政府は「法王」を公式の呼称として用い、マスコミ各社もこれに従っています。 」

 ただし、同じページにこのようにも書かれており、こちらは記事に紹介されていない。
 「以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにしました。「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。 」
 
 そういう次第なら2019年11月20日の変更は、実際には1981年に行われてよかったはずで、それが38年ほど遅れたということになる。1981年以降、カトリック教会の側から名称変更の申請を行ったかどうか等は書かれておらず、遅れの原因がどちらにあるのかよくわからない。
 いずれにせよ、当事者らは一致して「教皇」と呼び、政府やメディアはあいも変わらず「法王」と呼ぶという愚かしい状態が40年近くも続いてきた訳で、こんなところにも我々の社会の悪弊が顔を出しているようである。「言葉と現実の一致を維持することに関する不熱心」とでも呼ぶべき悪弊である。この括りでは「かちあげ」問題と微妙に通底するのが面白い。
 もう一つ、当事者や現場の実情より、手続きや文書の整合性が優先される例にも、数えられそうである。

 いずれにせよフランシスコ教皇の来日は良い是正のきっかけを与えてくれた。内なる声に鈍感、外からの刺激に敏感なのも我らが通弊。
 バチカンの伯父さん、今日もどうぞ御元気で !



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