2020年4月22日(水)
『聊斎志異』の中に地震の記載がある。
「康煕7年(1668年)6月17日の戌の刻、その日、わたしはたまたま臨淄(りんし)の宿で、従兄の李篤之と酒をくみかわしていた。と、不意に雷のような轟音が東南の方角から北西の方角へ走った。みなが何事だろうと、怪訝におもっていたとき、机がガタガタと揺れ、杯がひっくり返った。屋根裏の梁や柱がバリバリと裂けた。青くなって顔を見合わせたが、しばらくしてはじめて地震だと気づき、てんでに外に飛び出した。」
(岩波少年文庫版『聊斎志異』 P.165)
妖怪変化譚の集大成である同書としては珍しい、写実的な歴史記録である。もう少し続ける。
「見れば二階建ての家や平屋がいまにも倒れそうに傾くかとおもえばまた立ち直り、壁が崩れ家が倒壊する音、女子供の悲鳴が、鼎の煮えくりかえるように轟いていた。わたしは地面にへたりこみ、ゴロゴロと転げまわった。川の水は一丈あまりも盛り上がり、犬や鶏の鳴き声が町中に響きわたっていた。しばらくして、ようやくいくらかおさまったところで、まわりを見てみると、男も女も丸裸のままで集まり、夢中で話しあっていた。裸であることも忘れているのであった。」
(同上)
ふうん、と思った。
旧暦6月は既に日がかなり長いとはいえ、臨淄すなわち山東省は日本と同緯度帯であり、戌の刻(午後8時)にはとっぷり暮れているだろう。ことさら燈火を掲げて起きているのでなければ、生業にいそしむ庶民は早々と寝支度に入っていても不思議はなく、そこへ大地震であわてて飛び出してきたのである。ということは、当時そのあたりの庶民は、夜は裸で休んだのであろうか。もちろん、蒲松齢先生の写実精神を信用すればの話だけれど。
ここでちょうど少年文庫の頁があらたまる。頁をめくる数秒間にこんなことを考え、次に震災の描写がどう展開するかと読み進めば・・・
「こんな話がある。ある村の女房が夜、厠から帰ったところ、狼が子供をくわえていた。女房は狼に飛びかかり、狼がちょっと口元を緩めたすきに子供を奪い返して、胸に抱きかかえた。しかし、狼はうずくまって立ち去ろうとしない。大声をあげたところ、近所の人たちが駆け集まったので、狼は逃げ去った。
女房はほっとするとともに、身ぶり手ぶり、狼が子供をくわえたありさま、子供を奪い返した様子を話していたが、ふと自分が一糸もまとっていないことに気づき、あわてて家に走り込んだ。
これは大地震のとき、男も女も自分が裸であることを忘れていたのと同じである。人はとっさの場合、往々にして我を忘れてしまう。おかしなものだ。」
(同書 P.167)
「おかしなものだ」とは御挨拶である。
「ある家では二階が南向きから北向きになり、はたまた山が裂け、沂水(ぎすい)では川底が数畝にわたり陥没したという、実にめったにない異変」(P.167)を記すのに、他ではない、自分が裸であるのを忘れてしまう人々の心理に焦点をあわせる蒲松齢先生こそ、よほどおかしく感じられる。
それにしても、この母親もまた一糸まとわぬ裸で夜の厠へ出かけているわけで、やっぱり不思議で仕方がない。我を忘れるのが不思議なのではなく、誰も彼も素っ裸で寝ているのがどうにも腑に落ちないのだが、ここにこだわるのが自分のおかしさということか。
同じ状況を経験し、同じ情報素材を与えられても、何に注目するかは人によって相当に違う。「経験者の談話だから/一次情報をもつものの言葉だから」信頼できると必ずしも言えないことには、こういった事情も絡んでいる。
***
「何に注目するか」と「裸」と、この二つのヒントで思い出した話。セントルイスはラデューチャペル、ドン・ハウランド牧師のある日曜日の説教から。
知人が某所へ車で家族旅行した際、うっかりヌーディストのビーチへ乗り入れてしまった。あたり一面右も左も一糸まとわぬ老若男女がわが物顔に歩き回り、裸の人々がすれ違いざま、車の中の着衣の一家を胡散臭そうに覗き込んでいく。これはしまったと車を返す間、幼い息子が自転車を漕ぐ全裸の人を指さして叫んだ。
『パパ見て、ヘルメットをかぶらないで自転車に乗ってるよ、いけないんだー!』

上掲書 P.166の挿絵
Ω