散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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瀬戸PAの地理的意義

2020-04-24 20:09:36 | 日記
2020年4月24日(金)
 岡山県の茨城・・・ではない伊原木隆太知事が、山陽道下り線の瀬戸PAで29日(水)に入県者に対する検温を行うと発表し、その際に「岡山に来たことを後悔するようになればいい」 と付言した由、診療帰途のネットニュースで知った。
 その後の経過を先取りすれば、知事の声明を支持する声がある一方で、「PAを爆破する」といった脅迫を含む多数の抗議が寄せられた。その結果、28日(火)に至って知事が検温中止を指示するとともに、「多くの人々に不快感を与えた」ことを陳謝するという次第に終わっている。

 突っ込みどころ満載である。
 最初のニュースを読んだとき、まずは以下のようなことをつらつら考えた。

① 新型コロナ対策を講じるにあたって「県」を単位と見なし、「自県を他県から守る」というモードをとることは、感染予防上ほんとうに有効か?
② 仮に感染予防上は有効であるとしても、県というものを互いに警戒し合う敵対的存在と見なす習慣が汎化するならば、感染予防上のプラスよりも大きなマイナスを将来に遺すことになりはしないか?
③ 「岡山に来たことを後悔するようになればいい」という発信の仕方は、自治体首長のそれとして相応しいものか、また果たして岡山県民にプラスをもたらすものか?

 等々。
 私見としては伊原木知事の方向性に賛成しかねるし、「後悔」云々といった物言いは、政治の力を「建設・統合」よりも「破壊・分断」の方向に傾けるものと憂慮するが、その後の展開は気の毒でもある。信念から出たことなれば、「陳謝」を要する事柄だったかどうか。匿名の「脅迫」など卑劣の極みというものだ。
 どうも後味が悪いが、ともかくそもそも気になっていたことを書きとめておく。瀬戸PAの地理的意義に関してである。
 上の箇条書きの中では①の系、つまり:

①-a 仮に県単位の排他的防衛が有効であるとして、山陽自動車道下り線の瀬戸PAで検温を行うことが(あるいは検温の場所として瀬戸PAを選ぶことが)具体的な手段として適切か、

 ということ、要するに位置の問題である。

 瀬戸PAは岡山県の東寄り、兵庫県境から20km余り入ったところに位置する。岡山市まで約15km、倉敷まで30km、広島県境までは60kmほどだろうか。
 疑問は単純で、倉敷をはじめ岡山県内の観光スポットを目的地とするドライバーのうち、果たしてどれほどが瀬戸PAに車を止めるだろうかということだ。時速80kmの遵法運転でも、30kmなら20数分で倉敷に着いてしまう。瀬戸まで来たら、PAに入れたりせずさっさと目的地に向かおうとするのが、平均的な心理ではあるまいか。
 逆に瀬戸PAで休憩をとるのは、広島・山口から九州方面へ、あるいは瀬戸自動車道・しまなみ海道を経て四国路へ、前途にまだ長い距離を控えている車が大半であろう。かく言う自分も毎夏の帰省時にはその口で、実際には瀬戸PAから20km西へ進んだ吉備SAで小休止することが多い。その実感も踏まえ、瀬戸PA下り線での検温対象者は「入県者」よりも「通県者」の方が多いのではないかと疑うのである。

 これを検証する意味では29日に検温を実施し、あわせて行き先について調査してみてほしかったが、どうも怪しく思われてならない。「後悔」云々という毒のある表現と思い合わせ、実効性より選挙民へのアピールを狙ったものに聞こえるのは、邪推というものか。
 しかし、仮に推測通り「通県者」のほうが多いとすれば、検温は「コロナ騒動の際に、通りすがりの岡山県内で嫌な思いをした」という記憶を多くの他県民に遺すばかりで、アピールどころかそれこそ岡山県民の利益に反することになっただろう。中止して幸いと他所ながら安堵する次第。
 同じ24日(金)に徳島市では、内藤佐和子市長が「県外ナンバーに敵意を持つのはやめていただきたい、差別や分断は容認できない」 と市民に訴えた。場所も違い、県と市の立場の違いもあることながら、自治体首長の口から出て説得力があるのは、こちらの言葉である。

https://twitter.com/i/status/946262735393759233 より拝借

Ω

新患のキャンセル *

2020-04-24 16:35:26 | 日記
2020年4月24日(金)
 自宅から診療先まで、本来は1時間弱で十分な距離。ところが、電車の遅延が常態化するにつれて所要時間がじわじわ増し、あやうく遅刻しそうになることが二、三度あって、家を出る時間を15分早めたのが一年ほど前だろうか。
 それが緊急事態宣言発令以来、電車内や駅ホームが空いたばかりでなく、電車がきわめて規則的に運行するようになった。先日は50分足らずで到着し、クリニックの扉の前でしばらく解錠を待つという具合。コロナ騒動終息後も、この快適さが続くとありがたいのだけれど。

 診察室に入ると、机上の予約表に初診を示す朱字の記載、受付からいつものメモが付いている。
 40歳男性、2月に会社で異動があり、以来非常なオーバーワーク。苦情対応が主な業務でストレスフルなうえ、拘束時間が長くて休日出勤も頻繁。3月末から不安や動悸がつのり、最近は夜も眠れない・・・
 「産業医に相談したら、すぐ受診するよう言われたそうです。」
 「なぜ、このクリニックに?」
 「御家族のことで以前相談にいらしたことがあるんです。とても穏やかで感じのいい人ですよ。」
 「そんな人だから仕事を押しつけられるんだね、診断書でソッコー休職のパターンかな、産業医もそれを期待してるんだろう。」
 「新型コロナで外出自粛の流れも、この方にはタイムリーですよね。」
 「あれ、身体もよくないの? 緑内障に喘息、高血圧、高脂血症って、まだ若いのに」
 「お薬手帳をおもちいただくよう伝えました。」
 「そうそう、抗うつ薬との相互作用があるからね。ともかくこの際、全身オーバーホールのチャンスだな、午後4時ね。」
 「午後4時です。」

 おもてなしの心の準備を整えて待つところ、午後に入って受付さんが、
 「先生、4時の新患さん、キャンセルになりました。」
 「キャンセル?何で?」
 「職場の命令で、出勤だそうです。」

 し・ゅ・っ・き・ん?
 職場の問題で心身が音を上げ、産業医も休職含みで専門医受診を勧奨している人に、受診予約を押しのけて出勤命令ですかい。 受診して「要休養」の診断書が出たらさすがに休ませないわけにいかない、その前に少しでも働かせておこうという魂胆か。
 どんなやりとりが上司との間にあったのか知る由もないが、ドクターストップ寸前の人間を、外出自粛の逆風などものともせず職場へ引きずり戻す、途方もない圧力にこの人が曝されていることはハッキリしている。
 その種の圧力は、今は休止中の某外来では常々目撃する、日常風景の一部ですらある。違法な時間外労働が記録に残らないよう、勤怠カードを取りやめたとか「押すな」と指示されたとか、魂消(タマゲ)るような話はいくらでも転がっている。「働き方改革」も何もあったものではないが、こうした実情を政権担当者や担当官庁は御存じないか、それとも知らぬふりをしているだけか。

Ω

目黒村今昔 / 追悼

2020-04-24 07:26:32 | 日記
2020年4月24日(金)
 昭和7年(1932年)のこの日、第一回東京優駿大競走(芝2,400m)が行われ、一番人気のワカタカが優勝した。相撲の話ではない競馬の話、日本ダービー誕生譚である。場所は目黒競馬場とあり、それで思い出した。
 名古屋の中学校を卒業して世田谷下馬の高校に入学し、10ヶ月ほど父の会社の独身寮に家族枠で住まった後、移った先が下目黒である。その最寄りのバス停が「元競馬場前」だった。こんなところに競馬場かと、昭和40年代後半には既に想像もできない目黒通りの繁華ながら、往時このあたりには東京府荏原郡目黒村の広々とした田園が開けていた。ハンセン病の専門病院「慰廃園」が明治27年に設立されたのも、同じ目黒村である。
 元競馬場前の一つ西のバス停が油面で、「あぶらめん」という地名をまた奇妙に感じながら、東急バスやら自転車やらで下馬まで通学した。

優勝馬ワカタカの口取り写真 ー Wikipedia 第1回東京優駿大競走より

  
慰廃園(左: 明治27年当時の全景、 右: 開演直後の入所者)
http://www.kt.rim.or.jp/~kozensha/CONTENTS/ihaien.htm

 入った高校には当時4つの附属中学校があったが、その後1校が離脱して現在は3校になっている。附属といいながら中高一貫ではない変則的なシステムで、附中卒業生の過半は他高に進む。岡江久美子さんと同級生になり損ねたのは、このカラクリのためである。
 岡江さんは高校時代に既にデビューしている。高校も3年になった頃だったか、S中出身の同級生らの間で小騒動が起きた。週刊誌だか新聞だかの写真入り記事 ~ 時代劇だったように記憶する ~ が手から手へ回り、ざわめきが伝染した。
 「新人でこれほどカメラ映りの良い女優は珍しい」との記者評や、「さすが」「やっぱり」といった言葉がしきりに囁かれた。他中の卒業生や僕のような外部入学生は、さしあたり物珍しく彼らの興奮を眺めるばかりだったが、ほどなくその風景を思い出し、思い当たることになる。
 S中の同窓生が誘ったのだろう、入学した年の駒場祭に岡江さんが姿を見せ、時ならぬ華やぎがつむじ風のように会場を吹き抜けた。サインをねだった記憶があるが、首尾良くもらえたかどうかは覚えていない。
 もらっておくのだった。
合掌
Ω