2020年4月24日(金)
岡山県の茨城・・・ではない伊原木隆太知事が、山陽道下り線の瀬戸PAで29日(水)に入県者に対する検温を行うと発表し、その際に「岡山に来たことを後悔するようになればいい」 と付言した由、診療帰途のネットニュースで知った。
その後の経過を先取りすれば、知事の声明を支持する声がある一方で、「PAを爆破する」といった脅迫を含む多数の抗議が寄せられた。その結果、28日(火)に至って知事が検温中止を指示するとともに、「多くの人々に不快感を与えた」ことを陳謝するという次第に終わっている。
突っ込みどころ満載である。
最初のニュースを読んだとき、まずは以下のようなことをつらつら考えた。
① 新型コロナ対策を講じるにあたって「県」を単位と見なし、「自県を他県から守る」というモードをとることは、感染予防上ほんとうに有効か?
② 仮に感染予防上は有効であるとしても、県というものを互いに警戒し合う敵対的存在と見なす習慣が汎化するならば、感染予防上のプラスよりも大きなマイナスを将来に遺すことになりはしないか?
③ 「岡山に来たことを後悔するようになればいい」という発信の仕方は、自治体首長のそれとして相応しいものか、また果たして岡山県民にプラスをもたらすものか?
等々。
私見としては伊原木知事の方向性に賛成しかねるし、「後悔」云々といった物言いは、政治の力を「建設・統合」よりも「破壊・分断」の方向に傾けるものと憂慮するが、その後の展開は気の毒でもある。信念から出たことなれば、「陳謝」を要する事柄だったかどうか。匿名の「脅迫」など卑劣の極みというものだ。
どうも後味が悪いが、ともかくそもそも気になっていたことを書きとめておく。瀬戸PAの地理的意義に関してである。
上の箇条書きの中では①の系、つまり:
①-a 仮に県単位の排他的防衛が有効であるとして、山陽自動車道下り線の瀬戸PAで検温を行うことが(あるいは検温の場所として瀬戸PAを選ぶことが)具体的な手段として適切か、
ということ、要するに位置の問題である。
瀬戸PAは岡山県の東寄り、兵庫県境から20km余り入ったところに位置する。岡山市まで約15km、倉敷まで30km、広島県境までは60kmほどだろうか。
疑問は単純で、倉敷をはじめ岡山県内の観光スポットを目的地とするドライバーのうち、果たしてどれほどが瀬戸PAに車を止めるだろうかということだ。時速80kmの遵法運転でも、30kmなら20数分で倉敷に着いてしまう。瀬戸まで来たら、PAに入れたりせずさっさと目的地に向かおうとするのが、平均的な心理ではあるまいか。
逆に瀬戸PAで休憩をとるのは、広島・山口から九州方面へ、あるいは瀬戸自動車道・しまなみ海道を経て四国路へ、前途にまだ長い距離を控えている車が大半であろう。かく言う自分も毎夏の帰省時にはその口で、実際には瀬戸PAから20km西へ進んだ吉備SAで小休止することが多い。その実感も踏まえ、瀬戸PA下り線での検温対象者は「入県者」よりも「通県者」の方が多いのではないかと疑うのである。
これを検証する意味では29日に検温を実施し、あわせて行き先について調査してみてほしかったが、どうも怪しく思われてならない。「後悔」云々という毒のある表現と思い合わせ、実効性より選挙民へのアピールを狙ったものに聞こえるのは、邪推というものか。
しかし、仮に推測通り「通県者」のほうが多いとすれば、検温は「コロナ騒動の際に、通りすがりの岡山県内で嫌な思いをした」という記憶を多くの他県民に遺すばかりで、アピールどころかそれこそ岡山県民の利益に反することになっただろう。中止して幸いと他所ながら安堵する次第。
同じ24日(金)に徳島市では、内藤佐和子市長が「県外ナンバーに敵意を持つのはやめていただきたい、差別や分断は容認できない」 と市民に訴えた。場所も違い、県と市の立場の違いもあることながら、自治体首長の口から出て説得力があるのは、こちらの言葉である。
https://twitter.com/i/status/946262735393759233 より拝借
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